八. 統一王国の時代

        イクリークの繁栄。不死の探求と大きすぎる代償。



 “忘却の時代”という、歴史の大断絶が過ぎ去ったあと、世界状勢は大きく変貌を遂げていた。


 エシアルル達の領域は全く変化していない。


 アイバーフィン達は北方アリエス地方へ移り住み、冷涼な山岳地帯であるこの地域を安住の地とした。


 ドゥローム達は、ごく一部の者が“天空の会戦”で荒れ果ててしまったラデルセーン地方を元通りにするために残ったようだが、ほとんどの者はラディキア群島や、ユードフェンリル大陸のオルジェス地方に移り住んでいた。


 バイラル達はこの時代、戦乱に明け暮れていたようである。諸勢力がしのぎを削っていたのであった。

 また、アル・フェイロス遺跡の中心部は“禁断の地”とされ、石壁で囲まれて立ち入りが固く禁じられるようになっていた。




[バイラル達の勢力争い]


 西方大陸エヴェルクではソルセイア帝国と前アズニール王国が領土争いを繰り広げていた。おそらくソルセイア帝国は、以前は広大な領土を占めていたものと想定されるが、この時代にあっては凋落ちょうらくしていたようである。

 勢いに乗る前アズニール王国であったが、帝国と争うためには後方の憂いが存在していた。ひとつは、メルリアの攻撃である。禁断の地の守護者と称するメルリアという勢力が幅を利かせるようになり、たびたび局地的な攻撃を受けていた。もうひとつは、海上貿易の要衝ようしょうであるカイスマック島の領有を巡って、東方大陸ユードフェンリルの前イクリーク王国と対立していたことである。

 東方大陸ユードフェンリルにおいては四つの新興勢力があった。そのなかで最も力を伸ばしたのが前イクリーク王国である。王国は早々にソルセイア帝国領を掌握、リウォンルクやライオフに対しても睨みをきかせていた。


 時のアズニール王ウォード・アズニールは、イクリーク王フウェンディン・アントスと会談を行い、相互不可侵の条約を締結した。カイスマック島の領有権はイクリークのものとなったが、後方の憂いを断ち切ったアズニールは、メルリアとも和解し、いよいよソルセイア帝国との争いに総力を結集することにした。

 二十年に及ぶ戦いの末、アズニールは西方大陸エヴェルクにおける主権を確立した。

 一方のイクリークは次々と対抗勢力を併合、アズニールより十五年先んじて東方大陸ユードフェンリルの宗主となった。


 イクリークとアズニールは敵対関係に陥るかと懸念されたが、アズニール王はイクリーク王の、人間による統一王国建国という意思に感銘を示し、アズニールはイクリークと併合することとなった。歴史上名高い“慈悲のもとの無血譲渡”である。

 王権を自らの意思で譲渡した事例は古今例がない。(ただし、アズニール王朝建国の際、レツィア・イナッシュによりアズニール家に王座が譲渡されている。これについては“黒き災厄の時代”にて著述する)以降、アズニール家はイクリーク王朝の執政家となる。

 若き国王ジェナーグ・アントスは開かれた王朝を主張し、他種族との接触も積極的に行った。そのため、アイバーフィンやドゥロームもイクリーク領内に多く居住するようになる。ここに人類の統一王国、イクリーク王朝が誕生したのである。

 王都は東方大陸ユードフェンリルのガレン・デュイルである。

 暦法については、すでにアル・フェイロス暦が使われなくなり、各勢力が独自の暦を用いていたが、ここに至ってアル・フェイロスの暦法が復活、若干の訂正を伴ったそれはイクリーク暦法となり、イクリーク統一の年をイクリーク暦元年と定めた。

 以降、約六百年に渡り、この平穏なイクリークの時代は続くことになる。




[イクリーク王朝の繁栄]


 イクリーク王朝は、それまで一部の商業目的を除いて一般の利用が禁じられていた渡航を解禁した。さらに航海術についてもひろく公開したため、この時代は船舶が海洋を行き交う大航海時代となった。

 商業は大いに栄え、またそれに伴い人々の生活圏も拡大し、イクリークの版図も広がっていった。ドゥロームやアイバーフィンも、イクリーク統治の恩恵を十分に受けた。こうして多少のいさかいを除いて、きわめて平和な時代が過ぎ去っていった。


 イクリーク王朝没落のきっかけは、“色のくすみ”であった。

 世界のありとあらゆる事物の色が薄れていったのである。

 みずみずしい若木の緑はもやがかかったように不鮮明になった。朝夕の太陽の赤は弱々しく、紺碧の海は重たい灰色と化した。


 世界は終わりを迎えようとしているのではないか?


 “魔導の時代”を経た現在でこそ、色のくすみの原因が「万象の内部を流れゆく原初の色が、何らかのためにせき止められてしまったため」と理論的に説明できる。

 しかしながらこの時代においてはまだ魔導が存在しなかったため、人々はただおそれるだけであった。やがて厭世えんせいの空気が世界を覆い尽くし、終末の退廃した雰囲気に満ちていった。

 王政も同様である。イクリーク暦600年が経過した頃には建国時の気高い志は消え去り、人心はとうに離れていた。また王朝も民草に関心を示さず、ただただ緩慢な厭世の空気の中で腐敗していった。




[不死の探求、そして]


 国王タイディア・アントスは陰鬱な野心に燃えていた。

 彼はひそかに禁断の地に足を運び、そこからアル・フェイロス王国時代の魔術に関わる書物を入手していたのだ。

 その中で特に彼の心を惹き付けたのは魔術の異端書である。これには不死の探求が記述されていたのだ。

 それからというものタイディアは徐々に常軌を逸するようになり、忌まわしい儀式に日夜を費やすようになった。


 そして、ついに彼は禁断の領域に足を踏み入れてしまった。

 酸鼻きわまりない儀式の果てに、国王の体は異形のものと化した。あたかも魔族レヒン・ザムのような体に。

 時を同じくして禁断の地では大きな亀裂が走り、数限りない“魔界サビュラヘム”の住民が姿を現したのだ。

 空は一面の暗黒に包まれる。

 もはや色のくすみごときを嘆いている場合でないことに人々が気付いたときにはすでに遅かった。


 冥王ザビュールがついに神々の呪縛から解き放たれ、暗黒の宙から降臨してしまったのである。

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