第43話 老人2
「どいつもこいつも臆病風吹かしおって!」
老人はぶつぶつ言っている。
イングマルは「仕方ないよ、山賊は誰でも怖いもん。」といった。
「バカヤロコノヤロ!さらわれた娘はもっと怖がってるだろうが!男がそんなんでどうするんだ!」
「皆、いつかは必ず死ぬんじゃ。今、命を賭けないでいつ生きたと言えるんじゃ!」 と飲んだ水をむせてこぼしながら歯抜けの口でいった。
「ところでお前さんは誰じゃ?」
「僕はイン・・・アウグスト、町から村長に届け物の帰りだよ。」
「そうか。気つけて帰れよ。」という。
「おじいさんはこれからどうするの?」と聞くと「もちろん孫娘を助けに行く。」という。
イングマルは「いってもすぐやられるよ。」というと「そんなことはわかってる。
この先、孫娘がどこかで生き延びててくれたら、自分を助けにきてくれた人がいた、その事実があるだけでも生きる希望になるじゃろ。」という。
イングマルは僕も手伝おうかと聞いたが「お前さんは村のもんじゃないだろう、これはわしらの問題。よそ者には関係ない。」とにべもない。
イングマルは「とにかくその甲冑は無いほうがいいと思うよ。たどりつくこともできない。」と言ってその場を後にした。
老人はフンと鼻を鳴らしたきりで、後は何も言わなかった。
老人の言う事は正論である。
正論に基づいて行動しようとしている。
しかし人間社会はいつでもどこでも正論どうりにはならない。
人間は動物であり、本能に従って行動する生き物である。
今回死の恐怖が村人を行動させなかった。
危うきには近寄らない。これが動物的本能である。
しかし、老人は理性と知性に基づいて行動しようとしている。
死の回避という生物の最も根源的な本能を抑え、知性と理性でもって克服し行動している。
実際には老人は死ぬだろう。
少女を助け出すことも今の老人には無理である。
それでも老人は理不尽に抵抗したという事実を残すのだという。
その事実が老人の生命より重要だという。
老人だけが行動しその他の村人は行動しなかった。
この違いはなぜだろう。
それは村人が恐怖を知っているからである。
とても豊かとは思えない辺境の村で貧しさはすぐ恐怖が支配する。
飢えの恐怖、病の恐怖、災害の恐怖、暴力の恐怖。
恐怖は人間の本能に直接働きかけ支配してしまう。
どんなに想像力を働かせようとも本当の苦しみや悲しみはそれを経験した者にしか分からない。
生まれついて本能を克服し、理性と知性に基づいて行動できる人など存在しない。
そのためには長い間の教育と訓練、日々の鍛錬が必要なのだ。
イングマルも老人も特別な人ではない。
恐怖を克服できるのは経験と生い立ち、日々の訓練の賜物なのだ。
生まれたての人は動物と同じであり、人間となるためには教育、訓練、鍛錬が生涯にわたって必要なのだ。
人は鍛えられ作り育てられることによって、人間となるのである。
イングマルは別かもしれない。
彼は老人のそれとは少し違う。
イングマルは確実な死地へは近づこうとはしないし死の恐怖を知っている。
彼の行動は生への自信であり他の者が死確実と思っても危険回避の方法を知っている。
過信とならないのは彼の不断の努力と訓練のたまものである。
老人は自分の命をかけて雄が持つ本能的な理不尽な暴力に抵抗しようとしている。
人間の本能と理性がぶつかり行動し、殺される。
老人は殺されることこそ、望んでいるかのようである。
イングマルがもっと大きく多くの言葉や文字を知っていればうまく表現できたかもしれないが、今のイングマルには言葉にすることができない。
ただ、この老人を死なせてはならない。
そう思ったが止めることもしてはならない。
この老人の手で孫娘を助けださねばならない。
イングマルは影ながら手助けすることにした。
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