大切な電話
nobuotto
第1話
「懐かしき昭和の町」と題したテーマ館があった。
初めて訪れた町だった。私は初めて訪れた町を散歩するのが好きだ。いつもの生活では撮れない写真が撮れる。インスタ映えとかでなく、その場所でしか撮れない写真。それが素敵だ。
それにしても今日の商談は最悪だった。一人で営業を任されて三年。これまでの中でも最悪の部類に入る。若い女性の営業マンを鼻から相手にしない態度だった。これではいくら準備をしても、商談が進むわけがない。
旅館に戻る頃には、すっかり日も暮れてしまった。
本当は携帯ですぐに今日の結果を報告しなくてはいけないが、電話をかけても、明日帰って話しても結果が変わるわけではない。明日帰ってから報告することにした。
スーツを着替えて旅館から出ると、もう通りには誰もいなかった。
商談に失敗したので、二泊の予定も消え、明日には会社に戻らなくていけない。暗くなってきたが、初めての町の散歩だけはやらなければ。
日が落ちると、思っていた以上に寒くなってきた。
旅館に戻ろうかとも思ったが、少しだけ散歩してさっさと帰ることに決めた。
急ぎ足で誰もいない町を歩いていると、少し先に明るい建物が見えた。
居酒屋かなと思って行ってみると、それが「懐かしき昭和の町」というテーマ館だった。
昭和と言えば、父と母の時代になる。私の知らない時代だけど、かと言ってそんな昔でもない中途半端なテーマ館だ。
そうは思いつつも、他に行くあてもないし、入場無料だったので、少し暖を取ろうかと建物の中に入った。
思ったより広く、幾つもの展示ブースが並んでいた。そろそろ閉館時間なのだろう、館内には誰もいなかった。
開けっ放しの入り口のそばに「昭和の交番」が展示されていた。
木造の小さな掘っ建て小屋に〇〇交番と木板がぶら下がっている。当時の警察官の写真が大きく引きのばされて小屋の壁に張ってあった。この寒い土地で、こんな粗末な建物で、それに薄着である。テーマ館に入って暖をとるどころが、見ているだけでもっと寒くなってきた。
次に「昭和の小学校」と題した階段が少し広めのスペースで再現されていた。
ささくれだった木の階段をベニヤ板に描かれた半袖シャツに短パンの男の子が駆け下りている。映画やテレビでよく見るシーンだ。私が小さいときも田舎に帰ると結構木造の建物があり、こんなささくれだった階段があった。
映画のセットのようで面白かったから、数枚写真を撮ってアップした。
その奥には「昭和の電話交換局」があった。当時の建物を模した壁はレンガ作りでかなり凝っている。
赤い扉を開けて中に入る。
テーブルに上に黒電話が五,六台置いてあった。
そう言えば、小さい時、使われていない古い黒電話が家にあった。父が話していたことを思い出した。
「パパが小さい頃、アパートに住んでいてな、黒電話もアパートで大家さんの家にしかなかったんだよ。電話は高級品だったんだ。それでな、アパートに住んでいる人に電話がかかってくると、電話が来ましたよって呼びにきてくれてたんだ」
私はその話を聞いて不思議でしょうがなかった。人の電話の当番までしていたら一日中朝から晩まで、休む暇さえないだろう。
父は笑って言った。
「今ならそうだよな。けど、昔は、本当に緊急な時だけしか電話を使わなかったから、大家さんだって何日かに一回くらいしか呼びに行かなくてよかったんだよ」
そう言われても、自分の家に他人から電話がかかってきて、その上「電話ですよ」って呼びに行くなんて、迷惑以外何でもない。
どこか遠い国の話を聞いているような気持ちがしていたことを思い出す。
きっと父さんは黒電話を懐かしがるだろうから、写真を撮ってメールしてあげた。
営業で独り立ちして仕事が忙しくなってから、家にも帰っていないので、ちょっとした近況報告と親孝行だ。
奥には若干黒ずんだ交換機と薄茶色の壁掛けの電話機があった。交換機の前面には回線を繋ぐための穴が沢山開いている。小さな椅子がその前にあった。
交換機を操作している白黒写真が横に張ってある。
「交換手が電話番号を聞いて、この穴にいちいちジャックを挿して繋いでいたんだ」
電話機はデルビル磁石式壁掛け電話というものらしい。
箱の右手にある取手を回すと交換手に繋がる。交換手に電話番号を伝えると交換手が交換機に電話番号をジャックで差し込んで相手先に繋げる。こちらの電話機と相手先の電話機がこれで繋がり、繋がった合図として箱前面の上部にあるベルが鳴る。ベルが鳴ったら中央にある穴に向かって話して、左にぶら下がっている筒で話を聞く。
なんとも手間の懸かることを昔はしていたものだ。
「触るな」とも書いていないので、右手にある取手を廻してみた。全く動かないか、空回りすると思っていたが意外としっかり廻った。電話機の部品は壊れていないみたいだ。
小さな音でベルが鳴った。
これはよくある「昔の電話機を試してみよう」とかいう展示物に違いない。
筒を耳に当ててみる。
「やっと、繋がったか。今上野で、これから乗り換えて夜中にはそっちに着く。とにかく無事に帰ってきたから、生まれる前に着くからと康子に伝えてくれ」
興奮気味の男性の声だった。
この手の展示物では子供向けアニメのキャラクターの音声が流れるのが鉄板だけど、ここは変わった趣向だ。
またベルが鳴った。筒を耳に当てる。
「優ちゃんね。五日に告別式やるから戻って来れるかね。仕事も忙しいじゃろが、最後に爺ちゃんに会ってやってくれんね。旅費はばあちゃん出すから。じゃあ」
もう一度取っ手を回してみた。
今度は「何番ですか」と言う声がした。
交換手だ。私と同じ年くらいの女性の声だ。
相手番号を言えば繋げてくれるのだろうか。回りを見たが、こんな時にいう電話番号の説明はない。ひょっとしたら今の時代の電話番号でも何でもいいから言って見ればいいのかもしれない。
「何番でしょうか」
また聞いてきた。
頭が白くなってしまった。
「いえ、かけるところはありません」
交換手からの返事はなかった。
「ありがとうございました」
と私は思わず言った。
すると「はい」と交換手の明るい声がして電話は切れた。
それからベルが鳴ることはなかった。
電話交換局を出るとレンガ作りの壁に説明書が張ってあった。そこに展示物の由来が書かれていた。
「当時、交換機は非常に貴重な物でした。そのため火事に備えて交換局もレンガで作られていました。しかし、不幸なことに昭和二十年四月二日この交換局内で火事が発生しました。レンガ作りで外に広がらない代わりに、建物内は火の海となってしまいました。交換手達の必死の消火活動で全焼はまぬがれたものの、交換局にいた交換手一名の尊い命が奪われました。この時の交換機をここでは一部修復して展示しています」
戻ってもう一度取手を回した。ベルは鳴らなかった。
ふと、ある光景が頭に浮かんだ。
必死に消火活動をしている交換手。逃げればいいのに、必死になって火を消そうとしている。そこに、交換手へのベルが鳴る。一瞬手が止まって交換機を見る。けれど、今はそれどころではない。
頭に浮かんだ光景は直ぐに消えた。
交換手の女性は電話を繋げることができないままに、ここで亡くなったのかもしれない。
さっき私に話しかけてきた男性、おばあさんは、その時繋げるはずの電話の相手だ。
彼女が繋げることができなかった大切な電話を今繋げることができた。
そして私の「ありがとう」で彼女は最後の仕事を終えた。
そんな気がした。
テーマ館を出ると雪が降っていた。
携帯が鳴った。会社からだった。他にも何件か着信が入っている。
便利になったものだと思う。何が起ころうと機械が繋げてくれる。
大切な電話なんてめったにないのに。
大切な電話 nobuotto @nobuotto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます