第498話入唐使に贈りし歌一首 短歌を併せたり

天平五年発酉の春閏三月、笠朝臣金村の、入唐使に贈りし歌一首 短歌を併せたり


玉だすき 懸けぬ時なく 息の緒に 我が思ふ君は 世の人なれば

大君の 命恐み 夕されば 鶴が妻呼ぶ 難波潟 御津の崎より

大船に ま梶しじ貫き 白波の 高き荒海を 島伝ひ い別れ行かば

留まれる 我は弊引き 斎ひつつ 君をば待たむ 早帰りませ

                              (巻8-1453)

波の上ゆ 見ゆる小島の 雲隠り あな息づかし 相別れなば

                              (巻8-1454)

たまきはる 命に向ひ 恋ひむゆは 君が御船の 梶柄にもが

                              (巻8-1455)


天平五年(733)春閏三月、笠朝臣金村が入唐使に贈った歌一首と短歌


玉だすきのように心に懸けない時もなく、命の綱とも私が思う君は、この世の人なので、大君の勅命を拝し奉り、夕方になれば鶴が妻を呼ぶ難波潟の御津の崎から、大船の両舷に櫂を多く取り付け、白波が高く立つ荒海を島伝いに出かけていかれます。

こうして君とお別れしたならば、後に残る私たちは、弊を引いて神に手向け、ご無事を祈りながら、君をお待ちしましょう。

どうか一日も早く、お帰りなさい。


波越しに見えている小島が雲に隠れてしまうように、君の船が見えなくなってしまったら、本当にお別れなのです、なんと不安で苦しいことでしょう。


命がけで恋慕っているだけよりは、君の乗る船の櫂の柄にでもなりたいと思います。

そうすれば、ずっと一緒にいることができると思うのです。



遣唐使餞別の宴で詠まれた作。

「君」は遣唐大使の丹比真人広成。


この時の遣唐使の帰路は、苦難に満ちた。

任を終えて天平六年(734)10月に帰国する時、長江河口を出発した四船は暴風に遭い散り散りとなった。

大使の船は同年11月に種子島にたどり着いたけれど、副使が帰着して帰国報告をしたのは遅れて天平八年(736)年8月になった。

特に、判官の平群広成ら115人が乗った船は、東南アジアの崑崙国に漂着。

崑崙国の兵に捕らえられて殺されたり、逃亡したり、90余人が疫病で死亡。

結局、平群広成ら4人のみが生き残り、崑崙王の元に拘留された。

天平七年(735)、唐から帰国した崑崙人商人の船に潜り込んで唐に戻った平群広成らは、玄宗(唐)に信任されていた阿倍仲麻呂のとりなしを得て、今度は渤海国経由で帰る許可を得、738年5月、渤海国にいたった。

そこで渤海王に帰国を懇望し、渤海からの遣日本使の予定を早めて日本に送り届けてもらうことになった。

しかし、その船も波浪に遭って1隻が転覆し、渤海使節の大使ら40人が日本海に沈んでしまった。

平群広成らはようやく出羽国に到着し、奈良の都に戻ったのは、天平十一年(739)年10月のことであった。

また、残る一船についてはまったく消息が伝わっていない。

その中で、偶然、大使の船で帰国できた玄昉や吉備真備は、その後朝廷にて、大活躍を果たす。


そんな歴史を思うと、この入唐使に贈る歌は、不思議な、そして複雑な感慨を覚えてしまう。


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