第267話藤原房前の返信

跪きて芳音を承り、嘉懽交探し、及ち、龍門の恩の、復蓬身の上に厚きを知り、恋ひ望む殊念は、常心に百倍なり。

謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌を奉す。

房前謹みて状す。


言問はぬ 木にもありとも わが背子が 手馴れの御琴 地に置かめやも

                                (巻5-812)



11月8日 還る使大監に附し、謹みて尊門の記室に通ず。


跪いて、素晴らしいお手紙を受け取りました。

実にありがたく、うれしく思います。

何よりも、貴方様の御一族の素晴らしい高い徳の御恩が、私のような賤しい身に対しても厚いことを知り、恋しく貴方様のおられる地の方角を望む格別の思いは、常の心の百倍にもいたります。

謹んで白雲の境から運ばれて来た御歌に奉和して、拙い歌ながらお聞かせする次第であります。

房前が謹んで記しました。


言葉を話さない木であったとしても、貴方様のお手に馴染まれた御琴を、地面に直接に置いたままのようなことは、いたすでしょうか。


11月8日、筑紫に還る使いの大監に託して、謹んで尊い貴方様の家の書記にお届けいたします。



既に長屋王を讒言を用いて滅ぼし、平城京の政治、日本の政治の実権を握った藤原四兄弟の房前である。

しかし、その彼としても、由緒ある大貴族にして、武門の棟梁である大伴旅人から、琴と手紙を受け取れば、無碍にはできない。

下手なことをすれば、せっかく手に入れた政治権力とて、不安定になるのだから。


ただ、房前からの返書と和歌は、丁寧な言葉を使っているようで、どこか上から目線。

「琴は受け取っておく、膝の上には乗せないけれど、地面に置いたままにもしない」

まるで「生かさず殺さず」、由緒ある大貴族に、本来は協力を求め、政権の安定を図るべきなのに、どこか見下した雰囲気、慢心が漂う。


しかし、その藤原四兄弟はこの後、都に流行った天然痘で房前をはじめとする四兄弟全員が次々に亡くなる。

長屋王を不当な手段で殺害し、大貴族大伴家まで蔑むような態度が、天の怒りを買ったのだろうか。

普通に天然痘で亡くなっていれば、そんなことも思われないけれど、こういう歌を知ると、気になるところである。



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