『墨子』号令篇に見られる戦時下の都市の内部

ラーさん

はじめに

 『墨子』の兵技巧書は、墨家が墨家思想の非攻に見られる専守防衛の考えを実践する過程で考案、蓄積された守城法の記録である。

 兵技巧書は『墨子』の備城門第五十二~雑守第七十一までの二十篇で、そのうち現代までに九篇を失い、現行本では備城門第五十二、備高臨第五十三、備梯第五十六、備水第五十八、備突第六十一、備穴第六十二、備蟻傅第六十三、迎敵祠第六十八、旗幟第六十九、号令第七十、雑守第七十一の十一篇が残っている。

 その成書年代については、渡辺卓氏、吉本道雅氏等の研究があり(注1)、特に吉本氏は1972年、山東省臨沂県銀雀山の前漢墓より発掘され『守法守令等十三篇』と名付けられた竹簡を中心に、その他出土文字資料を参照して、兵技巧諸篇の成書年代を推定した。

 吉本氏は墨子の兵技巧諸篇を以下の4つに分類した。


 Ⅰ、備城門・備水・備突

 Ⅱ、備高臨・備梯・備穴・備蟻傅

 Ⅲ、迎敵祠・旗幟・号令

 Ⅳ、雑守


 そしてその成立順序をⅡが斉の地(現山東省)で制作されたのち、秦(現甘粛省及び陝西省)で制作されたⅢが斉にもたらされ合流、さらにⅠとⅣが加えられて成立したとし、兵技巧書全体の成立は前三世紀中頃であるとした。特に発掘された『守法守令等十三篇』が兵技巧書のⅠ、Ⅲの文章を引用して斉で制作されている点を指摘し、兵技巧諸篇が戦国時代後期には少なくとも斉の地で成立していた可能性を示している。

 以上の研究から『墨子』兵技巧書が、戦国時代の攻城戦時における都市の様子を伝えるものと判断できる。しかし『墨子』兵技巧書を中心にした渡辺氏、岡本光生氏、千原勝美氏などの先行研究は都市の内部を考察するには至らず、増淵龍夫氏、佐原康夫氏、池田雄一氏などの戦国時代の都市や社会の研究などでも、その内容の一部を傍証として引用したに過ぎないものがほとんどだった。だが『墨子』兵技巧書は、これを中心として都市の考察を行うのに十分な内容を備えている。そこで本研究では『墨子』兵技巧書から号令篇の記述を中心に戦国時代の戦時下の都市住民の性格を賞罰などの上下関係から検討してみたいと思う。また、特に号令篇を中心にするのは、その城内の内容の記述が最も詳しいためである。

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