おねえちゃん

usagi

第1話

「起立、礼!」

「先生、ありがとうございました。みなさんありがとうございました!」

6時間授業が終わり、クラスメイトたちは思い思いに帰り支度を始めた。

既にランドセルを背負って走り出す男の子がいれば、ゆっくりと自分の持ち物をランドセルに詰めている女の子もいた。


水曜日はいつも一緒に帰る悠人は家と逆方面の塾に通っていたので、僕はランドセルを抱えてゆっくりと教室を出ようとした。


「ちょっと!」

クラス委員のナツに呼び止められた。


「今日掃除当番でしょ。さぼらないで!」

ちっ、と僕は小さく舌打ちをしながら教室に戻った。




僕の町には3万人しか住んでいなかった。しかも市町村合併で4つあった町が1つになってしまったので、僕の通う小学校の区域はかなり広かった。うちまで歩いて30分もかかったが、クラスの中でいえば平均的な通学時間だった。


掃除を終えると、「ゆうやけこやけ」が鳴り始めた。それは、あと10分で5時になるという合図の音楽だった。


10月に入り日が短くなってきたので、僕は早く帰らないと暗くなっちゃう、と思って足早に学校を後にした。


学校を出て10分ほど歩くと、「町」から「田園地帯」に突入した。

「ここから先は田舎です」という看板を出してもいいくらいに、道路を隔てた奥側にはもう田んぼしかなくなってしまう。


そしてその先に行くと信号もなくなり、車もたまにしか通らなくなる。

お母さんは、「車が来ないと安心しないで。必ず周りを見渡して。」といつも言うけど、そんな心配は全くないのに、といつも思っていた。


しばらく歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。

横目でチラと見ると、女の子の姿か見えた。

1年生か2年生か、彼女は低学年しかつけない黄色のカバーがついたランドセルを背負っていた。


「あれ。こっち方面から通う子なんていたかな。」

と僕は不思議に思った。後ろを振り返って見るのは恥ずかしかったので、僕は自分の足元を見て歩数を数えながら、少し早足でうちに向かった。


僕の家の方角は、つきあたりが山になっていたのであまり人通りは多くなかった。

知る限り、自分の学校で言うと住んでいたのは悠斗のうちだけだったはずだ。

全校生徒は300人くらいしかいなかったので、知らない子がいるはずもなく、不思議に思った。


太陽が山の斜面に半分くらい隠れ、空がオレンジ色に染まってきた。

僕はこの瞬間の山を見るのが大好きだったけど、今日は顔を上げてその様子を見ることなく、また足元に目を向け、100歩、200歩、次の電信柱まで100歩、と数えていた。


家の前の最後の交差点に差し掛かり、さすがにここで右か左に曲がるだろうと後ろを振り返ると、なんとその子は僕と目が合い、うれしそうにしながら、そのまま直進してきた。


この先にはもううちしかなかった。


僕は少し怖くなって急ぎ足になって、家に駆けこんだ。


「ただいま!」

「ねぇお母さん、誰かが後をつけてくるんだよ。ちっちゃい女の子が。」

僕は家に入るや否や叫ぶと、お母さんが二階の階段から下りてきた。


「あら。」

お母さんは不思議そうな顔をして僕を見つめると、家のドアが開いてその子が入ってきた。


お母さんはその子に話しかけた。と同時に僕も叫んだ。

「お母さん、この子だよ!」

「あやめちゃん、この子だあれ?」


「??」

今、お母さん、この子だれ、って聞いた?


「お母さん、だからこの子がずっとつけてきたんだよ。」


「ねぇ。あやめちゃん、知っている子なの??」

僕は唖然とした。

お母さんはちっとも僕と目を合わさず、そのあやめちゃんという子のことをじっと見ていた。


「しらないー。」

女の子は答えると、赤い靴を脱いで二階に上がっていってしまった。


お母さんは、今度は僕の方をじっと見つめて話しかけてきた。

「君ね。もう遅いから帰りなさい。ほらもう暗くなってきたでしょ。」


「お母さん!」

僕はまた叫んだ。


「困ったわねぇ、、、。」

「どこの子なのかしら?」

お母さんは本当に困った顔をしていた。


僕は、お母さんが自分のことを認識していないことにようやく気付き、体全体から力が抜け落ちて、玄関で靴を履いたまま座り込んでしまった。


しばらくして気付くと、僕は客間のふとんに寝かされていた。

目を少しだけ開けて天井の木目を見ていると、廊下からお母さんの電話の声が聞こえてきた。


「そうなのよ。誰かわからない子が。」

「あやめも知らないって言っているのよ。」

「仕方ないから今客間に寝かせているの。うん。大丈夫。早く帰ってきてね。」


どうやらお母さんはお父さんと話をしているようだった。

もしかして、お父さんも僕のことを知らないなんて。そんなことあるもんか。


なぜこうなってしまったのかわからなかったが、僕はもうこのうちの子どもではなくなっている様子だった。

あやめちゃんという子がこのうちの子で、僕は、、、なんなんだろう。

このうちの子だって思っていた僕の記憶の方が間違いだったのか。そんなわけはない。


悲しくて悲しくて、僕は横になりながら、涙が顔の横をつたって枕を濡らした。


ドアが少し開き、あの子が部屋をこっそり覗いていた様子が見えた。


「おまえ、、、誰だ。」


僕は小さい声で叫ぶと、その子は部屋にトコトコと入ってきた。

「私はあやめだよ。小学校2年生。」


「じゃなくて、何ものなんだ!?」


「このうちの子だけど、なんで?」


「あー、もう!」

僕はいたたまれない気分になった。


「こわーい。」

その子はニヤッと笑って部屋を出て行ってしまった。


僕は体を起して、布団の上に胡坐をかき、どうしたもんかと考えた。

あの子はどうもすべてを知っている様子だった。


しばらくすると、その子がまた戻ってきた。


「ごめんね。ちょっとやりすぎちゃった??」


「どういうこと?」


「私ね、お父さんもお母さんもいないんだ。生まれたときからずっと。ずっと前から2年生で、今も2年生。だからちょっとだけ、いたずらしたくなっちゃったの。あなたがうらやましくて。」


「はあ?」


「ずーっとここにいるのに誰も私のこと気付いてくれないし、遊んでもくれない。だから、ちょっとだけ、いたずらしちゃったってわけ。」


「どういうこと?」


「うーーん。どいうことだろうねー。」


「あー楽しかった。」

その子は小学校2年生にしては少し大人びた様子で両手を上げて伸びをするようなポーズをとった。


「僕は全然楽しくない!」

僕はその子のことをおもいっきり睨んでやった。


「あのさ、私のこと妹にしれくれない??」


「なんだよ。お前のことなんて知らないし!」

「だいたい、こんな性格の悪い奴、妹なんかにしたいと思うか?」


「いいじゃん、いいじゃん。」

そういう声がしたかと思ったら、次の瞬間、目の前にいたはずのあやめちゃんの姿を見失っていた。


何が起こったのか考えを整理しようとボーっとしていると、突然お母さんが部屋に入ってきた。


「光太郎!あなたなんでこんなところに寝てるの!勝手に布団なんか出して!」

ものすごい剣幕だった。


「お母さん!お母さん!」

僕はお母さんがついに自分のことに気づいてくれたうれしさのあまり、お母さんに思いっきり抱きついてしまった。


「なによ!いいから早くしまいなさい。あなたはいつもわけのわからない遊びばっかりして。」

僕はうれしくなって、ギュウっと強くお母さんに抱きついた。


「もう変な子ね。いいから早くしまいなさい。」

お母さんはなんだか機嫌を取り戻したみたいで、ちょっとうれしそうな顔で台所に行ってしまった。


「おう、光太郎、ただいま。」

しばらくすると、お父さんが帰って来た。


僕は玄関でお父さんを迎え、話しかけた。

「ねぇ、お父さん。今日、お母さんから電話あった?」

「いやないけど、どうした?」


「なんでもない。」


僕はだまっておくことにした。

やっぱり、全部なかったことになっているんだ。さっきまでの出来事が。不思議なことに。


居間のテーブルで、いつものようにお父さんとプロ野球の話をしていると、お母さんが子持ちシシャモ2本とお味噌汁と、僕の大好きなぬか漬けのキュウリとごはんを持ってきた。


僕は試しに、ちょっと聞いてみることにした。

「ねぇ、お母さん。僕に妹いたりする?本当はどこかに隠れていたとかしてさ。」


お答案とお母さんは顔を見合わせた。


「なんでそんなこと言うの?」

「なあに言ってるの!」と返してくるかと思ったら、逆に質問が飛んできて、僕は少し驚いた。


「いやなんとなく、ね。」

なんだか聞いちゃいけないことを聞いたような感じになり、僕はそれ以上その話をするのをやめることにした。


それから1カ月ほど経ったころだろうか、お父さんとお母さんが話してくれた。

僕にお姉ちゃんがいたという話だった。


お姉ちゃんは小学校2年生の時に交通事故で死んでしまったらしい。

名前は菖蒲(あやめ)ちゃん。

お父さんもお母さんも彼女を亡くした悲しみや後悔を乗り越えることができず、ずっと菖蒲ちゃんの存在を消してきたということだった。


「あのさ。」

僕は二人に話しかけた。

「あやめちゃんはさ、ずっとずーっと家にいるんだよ。」


それから僕は、お父さんとお母さんにこの前の話を聞かせた。


二人とも笑いながらも、そして涙を流しながら僕の話を聞いてくれた。

きちんと真面目に話したからか、ちゃんと信じてくれた。こんな話、他の人だったら絶対に信じてくれないだろうなと思った。



あやめちゃんかー。


僕のお姉ちゃん。

でも僕の方が年上だから、妹なのかな。


僕は、自分がお姉ちゃんの年より大きくなったことを誇らしく思った。

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