青春万華鏡
コアラのマーチ@大人になれない私たち
第1話 薬師寺
私は息を呑んだ。
窓際に佇む彼女の袴姿が、花瓶に活けられた一輪の花の如く可憐であったからだ。
その肌は透き通るように白く、昨今の大学生には珍しい艶やかな黒髪。その清廉さはさながら白百合のようだ。その様子から私の所属する書道部内では彼女のことを<リリィ>という渾名で呼ぶ者もいるくらいだ。
しかし、その実頼りがいのある性格で、周りに困った人間がいれば放っておかない。そんな彼女のたくましくも美しい姿は、その花言葉になぞらえるなら百合は百合でもカサブランカといったところであろう。
私は大学生活の四年間、そんな<カサブランカの君>に対して尊敬の念、いやそれ以上の念を抱いてきたかもしれない。それだけに、今日という日にその晴れ姿にお目にかかれることは、私にとって嬉しくもありどこか物悲しくもある……
私が部室の入り口で彼女への並々ならぬ想いで胸をいっぱいにしていると、小川のせせらぎの如く清らかな声で私はふと我に返った。
「どうしたの? 薬師寺君。」
「……あ、あぁ、さっき伊藤のやつに、部室のキャメラを取って来いと言われて。本日の主役である四回生に雑用をさせるとは、今日という今日こそあやつにお灸をすえてやらねば、まったく。あはは」
咄嗟のことにぎこちなくなってしまった。私としたことが。
「それにしても、卒業してしまったら寂しくなるわね。可愛い後輩達と滅多に会えなくなってしまうし。特に薬師寺君は伊藤君と仲が良かったわよね。年末の忘年会のあと、薬師寺君のお家で二人だけのお泊り会をしていたみたいだし、そういう気の置けない後輩と会えなくなるなんて、薬師寺君は特に寂しく感じるんじゃないかしら」
「そ、そうだな。私としても彼のような後輩としばらく会えなくなるのは凄く残念に思っているよ」
なんと忌々しいことか。
残された数少ない二人の間の言の葉を、何故あの男のような性根の悪いやつの名で汚さなければならないのか。
確かにやつは忘年会の後、私の家に宿泊したが、それは終電を逃したとかで駄々をこねるやつをこの寛大な心を持つ私が泣く泣く泊めてやったのだ。それゆえ決して彼女の言うような上下の信頼関係などはこれっぽっちもない。
しかし、思い返せばこのお泊り会は私の青春の締めくくりを語る上で、否応にも語らなばならない出来事であった。
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「ねぇ薬師寺さんっ、実は僕気になってる人がいるんですよ」
時は十二月某日。
忘年会で彼女との甘美な会話を楽しもうという私の密かな思惑が外れ、その無念を酒で洗い清めようと催した有志による気高き男達の二次会がお開きになったあとのことである。
不本意ながら伊藤と二人だけの三次会のような状況になった折、急に伊藤が誰も望んでもいない恋の暴露大会を始めたのであった。
しかし、私はこの時酒が回っていたのか、この伊藤との会話を続けることにした。
「ん、いっ伊藤が恋だと!?で、ど、どんな女性なんだ?参考までに聞いてやらんこともないぞ。」
「う~ん、ヒントくらいあげましょうか。ヒント-僕の先輩ですっ」
一体目の前の生意気な後輩は何を言っているのだ。全くもって理解し難い。
仮にそのヒントとやらが事実であったとして、部内で伊藤の先輩にあたるのは私を除いて彼女しかいないではないか。
さらに畳みかけるようにこの男は言葉を重ねる。
「前々から僕のこと良く見てるんですよね~、なんていうか~目が合うっていうんですか?絶対好意ありますよね~」
「いっ、伊藤よ、そんなことを根拠にそのお相手とやらがお前に好意を持っていると。ばかばかしい」
「え~。薬師寺さんにもそういうことありませんか。気づいていないだけかもですよ」
「そ、そんなことはない」
そう、そんなことはない。ある筈がない。
私にとって、彼女は高嶺の花であって、手の届く位置にはいない。私が普段、彼女の視線を感じるような気がするのは、無意識にも彼女のことを視線で追ってしまっているからなのである。
そして、決して認めたくはないが、確かに彼女は私ではなく伊藤のことを見ているのを私は薄々感じていた。特に最近の見ているだけで燃え上がりそうな恍惚とした熱視線は、日頃人の機微に疎い私でも特別な感情があることを感じざるを得なかった。
「ちなみに僕は脈もありそうだし、卒業する前にそろそろ告白しようかな~って」
極めつけである。話の流れとして当然のことだが、どうしたものか伊藤の言葉が頭に入ってこない。まるで、酷い二日酔いにでもなったような気分だ(実際に二日酔いになったが)。
なぜなら、現状彼女の意識が自分には向いていないであろうこと、そしてそれを認めたくない自分がいること、これらのことをよりにもよってこの小賢しい色敵・伊藤との会話によって気づかされてしまったからである。
これまで、日常に存する一点の黒い染みのようなものでしかない伊藤であったが、殊この件に関して言えば白い紙の上に零れた墨汁のようであった。
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こうした忘年会後の出来事を受け、私は密かに一つの決心をしていた。
今日こそは自分の感情に蓋をすまい。
そう心に誓ったのだ。
しかし、困ったことに、その意気込みとは裏腹に、私はこれ以上ないであろう好機を目の前にして中々話を切り出すことができない。いざ、想いを口にしようと意識してしまうと、閉ざした口が重たく開かないのである。伊藤のやつに先んじて胸の内を伝えなければならないというのに。自分自身の意気地のなさにいい加減嫌気がさす。
「あの、薬師寺君、そろそろみんなのところに戻らない?
みんな写真撮影を待っているだろうし」
不味い。ここを逃すと後がない。何としても四年間の想いの丈を告げなければ。
「あ、あの、実は君に話したいことがあるんだ」
「何かしら」
こういう時、どう言えばよいのであろうか。いかんせん経験不足が悔やまれるところだが、ここまできたら直接的に伝える他ない。
「私は、ずっと君のことが……!!」
とここまで言いかけたところで、彼女の顔におそるおそる目を向けると、その視線は私ではなく、背後の扉に向けられていた。
「えっ、伊藤君……?」
~第2話に続く~
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