タケル

usagi

第1話

お父さんもお母さんも、同じくらい大好きだった。

美人でやさしかったお母さん。イケメンでうれしそうに一緒に遊んでくれたお父さん。ずっと二人の温かさに包まれながら生きていくことに僕は何の疑いも持っていなかった___。



小学校5年生の時だったと思う。

学校帰りに近所の空地で毎日友達と遊んで疲れきっていた僕は、たいてい夜の9時には布団に入っていた。


ある晩のこと。


プルルルルル、と夜中に電話が鳴った。

電話はいつまでも切れることはなく、僕は体を上げて隣で寝ていたお母さんに声をかけた。


「ねえ、電話鳴ってるよ。」


お母さんは疲れていたのか、僕が何回声をかけても目を覚まさなかった。

それでも電話が鳴り続けていると、ようやくお母さんは目を覚まし、居間までフラフラと歩いて、受話器を取った。


「はい。」

かなり不機嫌そうな様子で電話を取ったので、相手に失礼じゃないかと僕は少し心配になった。


部屋からその様子を見ていると、お母さんの顔は次第に険しくなり、

そして顔からすっかり表情が消えた。


「はい。あ、はい。」

お母さんは「はい」としか言わなかったので、何を話しているのか僕には全くわからなかった。


お母さんは電話を切ると、ソファに置かれていた上着を羽織り、

「今から出るから。」

と僕の手を引っ張った。


「痛いよ。ねえ、どうしたの?」

お母さんは返事をしてくれなかった。

時計を見ると夜中の2時を回っていた。


「こんなに遅いよ。眠いしさ。明日でいいじゃん。」

僕の声なんて全く耳に入って来ない様子で、そのまま寝巻姿でタクシーに乗せられた。

タクシーの中でもお母さんは無言のまま、ただじっと前を見つめていた。


「どうしたの。ねぇ。」


20分ほど走り、タクシーが止まったのは救急医療センターだった。

お母さんは僕の手を取って中に入り、階段を急ぎ足で上った。


右側の3番目にあった「301」と表示のあった扉を開けると、お医者さんと看護師さんがマスクをしながら、二台あるうちの手前のベッドの脇に黙って立っていた。


お医者さんはお母さんに顔を向けた。


「タクシーに乗っておられたようです。」

「酒酔い運転の車が逆走して正面衝突だったようです。」

「タクシーの運転手と一緒に即死でした。苦しむ暇もなかったと思います。」


それは、お母さんに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。


お母さんはゆっくりとベッドに近づいて行った。

ベッドに横たわっていた人の頭にかかった白い布を外すと、腰が砕けたように座り込んでしまった。


僕は事態を飲み込めず、お母さんのそばについて行った。


「タケルは来ないで!」

お母さんは今まで聞いたことのないくらいに大きな声で叫ぶと、声をあげて泣き始めた。

そんなお母さんの姿を見るのは生まれて初めてのことだった。


僕にもようやくわかった。

お父さんが死んでしまった。


もう会えないってことなのか。

なんでなんだろう。


そんなことを想像すらしなかった僕は、その気持ちを、どのように、誰に、どこにぶつけて良いのかわからなくなってしまった。


それから1週間は、お葬式やらなんやらで慌ただしい日々が続いた。


僕は学校を休み、

短い間にたくさんの親戚の人たちに会い、

「タケルくん大変だろうけど頑張ってね。」

と異口同音に声をかけられた。


「頑張るって何を?」

僕は何も返事ができなかった。


そして親戚の人たちがさーっといなくなってしまうと、ようやくお父さんが死んだことを受け入れられるようにはなってきた。

でも自分が何をすればいいのか、どうやって何を頑張れば良いのか、さっぱりわからなかった。

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