博士
usagi
第1話
私はお父さんのことを「博士」と呼んでいる。愛をこめて。
お父さんであることに期待するのをやめたから、その呼び方がしっくりきている。
博士は一家の大黒柱になっていないどころか、子育て(私を育てること)の興味はなく、掃除、選択、炊事、、、ゴミ捨てすらしない。
いつも部屋に閉じこもり、家のことを何一つしないから、見かねたお母さんは2年前に家を出て行ってしまった。
お母さんは、博士に何を言っても、注意しても、暖簾に腕押しで、「結婚する意味がないどころか、家族になることもできない。」と泣きながら宇都宮の実家に戻ってしまった。
お母さんは私を連れて行こうとしていたが、転校するのが嫌だったし、博士のことが好きだったこともあって、以来博士と二人で暮らしている。
しかし、今その選択を後悔し始めている、、、(泣)。
20年以上前、私が生まれる10年前に博士は1つの発明に成功したらしい。
自動で部屋を掃除してくれるロボットを商品化したのだという。
以降、その発明を真似たお掃除ロボットは一般に広がったものの、博士は特許申請を忘れ、大金持ちになる機会を逃してしまったそうだ。
博士は作ることで満足しちゃって、その先の「欲」というものを一切持っていないのだ。
商品化で得た収入は、今ではもう残りわずかとなり、私たちは毎日パンを3個ずつ食べながらなんとか生活をしている。
「今からでも訴訟すれば勝てるかもよ。」と私が進言しても全く聞く耳を持たないから信じられない。
5月になり、日差しが夏のように感じられるようになったある日のこと、、、。
目を覚ますと、体の節々が痛み、頭の奥がズキズキとしていた。
季節はずれのインフレエンザにでもなったか、と起き上がれずに考えていた。
「博士、博士。」
私は布団の中から、か細い声で博士を呼んだ。
「お、おはよう、心美。今日はいい天気だな。日差しもいい感じだ。」
リビングから博士の能天気な声が聞こえてきた。
博士は私のガラガラ声にすら気づいていないようだった。
「あのさ。今日、具合悪いから学校に休みの連絡入れてくれない?」
「えぇ!それは大変だ。」
「どんな風に具合が悪いんだ?」
博士は私の部屋までドタドタと走ってきた。
博士は身長が170cmなのに体重が90kgあるので、相当太っている部類に入る。その姿を見るたびに、まともに食べてないのに太っている貧乏人の典型だ、と思う。
部屋に入ってくると、博士は私のおでこに手をあてた。
「うひゃー!!。これはまずい。熱が50度もありそうだぞ。」
さずがにそんなはずはない。
しかも本来親ってものは、「大丈夫だよ。」と安心させるべきなのではないか。
「どうしようどうしよう。」
走ってきたせいか、太っていたせいか、もしくはあせっていたからか。
博士のおでこから汗が噴き出しているのが見えた。
「だから、とりあえず学校に電話してちょうだい。今日は無理だから。」
「う、うん。学校の電話番号はどこかな。」
私がチェストの上を指さすと、博士は学校の電話番号が書かれた運動会のお知らせの紙を持ってリビングまで走っていった。
「え、あー、はい、そうなんです。」
博士の緊張した声が隣から聞こえてきた。
父親らしいことをするのが久しぶりだからなのか、博士は声を震わせながら話していた。
ともかく、博士は社交性というものが全くないのだ。
まあ、私のことをこれだけ心配しれてくれることに愛は感じられるのだが。
だがしかし。
そのまま博士は戻って来なかった。
どうやら、病人の私を一人置き去りにして、自分の部屋に閉じこもってしまったようだった。
「具合の悪い私を放っておいて、何をしているんだろう!」
「だからお母さんだっていなくなっちゃったんだろうよ。」、と考えているうちに、熱の勢いか、フーっと気が抜けていつのまにか眠ってしまった。
「心美、、、心美、、、。」
遠くから声が聞こえてきた。
それは博士の声のようだった。
「んん、博士?」
ぼーっとしたまま目を開けると、博士は手に何やら変な形をした帽子を持っていた。
帽子と言っても金属製のもので、複雑な配線が施され、色とりどりのランプがチカチカと点滅していた。
「ええ?どうしたの。」
「これは何なの?」
私がその不思議な帽子を呼びさすと、博士は心底うれしそうな顔をしてほほ笑んだ。
「ふふふ。できたんだよ、心美。」
「何が?」
「決まってるじゃないか。心美の病気を一瞬で治しちゃうやつだよ。」
「そんなものあるわけないでしょ。」
「それより病院連れて行ってよ。薬でも飲まないと良くならなそうだから。」
「いや、必要ない。病院に行く必要もない。」
「とにかく。さっそく試してみよう。」
博士は私の体を起こし、いきなりその変な帽子をかぶせてきた。
ただでさえ頭がズキズキするのに、こんな重いものをかぶせてきて、、、。
私は次第に機嫌が悪くなってきた。
「まあまあ、かわいい心美ちゃん。言うこと聞いてね。」
「ちょっと待っててね。」
博士はいつになく機嫌が良い様子だった。その姿を見て余計に腹がたってきた。
博士が帽子とパソコンをつなぎ、何やらパチパチとキーボードをはじいている様子を見ていると、なにやら変な声が聞こえてきて、一瞬気を失ってしまった(ように思った)。
ぱっと眼を覚ますと、私が起きたことに気付いた博士は、帽子を両手でさっとはずしてきた。
「ほら!治った。」
博士が叫んだ。
「なわけ!」
「いや、確かに、、、。」
本当に治ってしまったみたいだった。
どこも痛くないし、具合が悪いのもなくなっていた。
「えぇっ。何がどうなったの?」
「ふふふ。治っただろう。」
「これでもう大丈夫。」
博士は私の前に仁王立ちになり、得意げな顔をして早口で話し始めた。
調子に乗っているときはいつも早口だ。
「お父さんはな。見つけたんだよ。病気の治し方をね。」
「なんで???どうやって??」
「それは秘密さ。いくらかわいい娘と言えどもね。」
すごく聞いて欲しそうな様子だったので、私はその秘密とやらについてもう聞くのをやめることにした。
「この機械はなんていう名前なの。」
私は別な質問をした。
「そうだな、、、。どうしようか、ココミキャップとかどうだろうか。」
「それやだ!私の名前を勝手に使わないでよ。」
博士は満面の笑みをたたえて、ぶつぶつと独り言を始めた。
「んんん、あー、ここがこうでああで、、、。」
博士は帽子を裏返しにして、顔をうずめるように覗き込みながら、パソコンを腕に抱えて、また部屋に戻っていってしまった。
なんだか私はキツネにつままれたような気分になった。
何やらわけがわからなかったが、事実私はすっかり元気になっていた。
博士は天才なのか、変人なのか、これが発明なのか、たまたまなのか。
私にはよくわからなかった。
翌日学校に行くと、カオリが私の机にトンと手を置いて話しかけてきた。
「昨日休んでだけど風邪でも引いてたの?」
「馬鹿な心美でも風邪引くことあるんだ。」
と言ってケケケと楽しそうに笑いかけてきた。
「確かに前にいつ風邪引いたかなんて覚えてないわー。」
私も苦笑いした。
「多分そう。風邪引いたみたいだった。でも博士の発明ですぐに治っちゃった。」
自分で言いながら、なんか変なことを言っていることに気づいて恥ずかしくなった。本当のことではあるんだけど。
「ちょっと。そんなわけないでしょ。いくらなんでも。」
「いや、それが本当なの。」
カオリはなんでも話せる私にとっては唯一無二の親友だ。
「まさか。風邪を治す薬ってないから、発明できたらノーベル賞だって聞いたことあるけど。」
「だったらうちの親、ノーベル賞じゃん(笑)」
「なわけないか、、、。」
「でもさ。それが本当だったら、、、すごく面白いじゃん。」
「で、発明ってどういうやつ?」
「変な機械の帽子をかぶって、しばらくすると頭が痛いのも具合が悪いのも、全部消えちゃうってやつ。」
「うわあ、、、。それが本当なら。マジですごいわ。」
カオリは少し考える様子をしたあと、話を続けた。
どうやら、ちゃんと私の話を信じてくれたみたいだった。
「ねぇ、そのこと今日お父さんに話しちゃっていい?」
カオリのお父さんは、最近転職してネットテレビのプロデューサーをしているらしい。そのネタにどうか、ということだろうか。
「いいけど、、、。本当かどうかは他の人にでも試してみないとわからないかも。」
「大体うちの親ってあやしいじゃん。信用できないっていうか。」
「知ってる知ってる(笑)。」
「だから、面白いんだよね、心美のお父さん。」
「私結構好きだよ。」
「でも、毎日一緒だとウザイよ、、、(苦笑)。」
「ははは!だろうね。」
カオリはうれしそうに手をたたいた。
「じゃあ、お父さんに話しちゃうね。もしかしたら、明日見に行くことになっちゃうかもね。その発明!というか見てみたいわ純粋に。」
次の日の朝、カオリは本当にお父さんと一緒に行っていいか、と聞いてきた。
昨日はノリでいいよ、って言っちゃったけど、、、だまっておけば良かったと後悔した。
大体博士をカオリのお父さんに会わせるのは恥ずかしかったし。
カオリのお父さんは、格好よくおしゃれで感じが良かったので、マルデブチビの博士と比較されちゃうシチュエーションになるのも嫌だなと思った。
カオリがあまりにも真剣に頼んできたので、結局は断り切れず、学校終わりにカオリとカオリのお父さんが家にやってくることになった。
手持ちの小さなカメラを抱えて、カオリとカオリのお父さんがやってきた。
「はあ、本当に来ちゃったんだ。」
ふーっ、と私はため息をついた。
「当たり前でしょ!」
「楽しみだなー。」
カオリは美人でしかも笑顔が素敵だから、そうやって喜んでくれて私も段々とうれしくなってきた。カオリの顔を見ながら「将来モテモテになって心配だな」、と関係ないことを考えてしまった。
博士に声をかけたあと2人をリビングに通してお茶を出していると、博士が青いスーツにネクタイを着けて、得意げな顔をしながら部屋に入ってきた。
手には「ココミキャップ」を抱えていた。
「テレビのインタビューだよ。」と言ったら、格好だけは決めてきた様子だった。全然似合わなかったけど。普段社交性は全くないくせに、調子に乗ると博士はいつもこんな感じだった。
カオリのお父さんは、博士と握手をすると、自分でカメラを回しながらインタビューを始めた。
「山口博士、こんにちは。」
「どうも、こんにちは。」
「今日はすごい発明があると聞いてやってまいりました。博士は、なんでも病気を一瞬で治してしまう機会を考え出したとか。」
「ええ、まあ。」
博士は頭をかきながら答えた。
「娘が風邪を引いたもんで。治してあげようと考えていたらできちゃったんです。」
「父親の愛の結晶とも言える発明ですね。」
はあ。恥ずかしいことをぬけぬけと。
私は聞きながら顔から火が出る思いがした。
「なるほど、すばらしいですね。で、それは、どんなものなんですか。」
博士は、箱から大事そうにキャップ型の機械を取り出した。
「これです。ココミキャップです。」
「ココミ、とは娘さんのお名前ですか。」
「はい、私の愛する娘の名前です。いい名前でしょ。私がつけたんです。」
もうやめてくれー。カメラが回っていなかったら博士の手を引っ張って退場させるところだ。
「これには、どのような効果があるんですか。」
「大概の病気を治してしまいます。」
「簡単に言うと、人間に古くから伝わることを体現したものなんですけど。」
「なんですか、それ。」
「あ、内緒にしてくれたら話します。なんといっても企業秘密ですから。」
「あ、わかりました。内緒にしますから、是非教えてください。」
カメラが回りながら内緒なんてできるはずがない。博士は救いようのない馬鹿だ。本当は言いたくて言いたくて仕方ないということが手に取るようにわかった。
「えっとですね、聞いたことがありますか。ヤマイは『○○』からって言葉。」
「あ、はい。『病は気から』ですか。」
「それです!それ!まさしく!」
博士は大きな声をあげた。
カオリのお父さんは、突然大声が出たのに驚いてビクっとした。
「病気を治すのに大事なのは『気』なんです。」
「大丈夫と思えば大丈夫。治ったと思えば治るんです。そんなものなんです。」
「人間なって結局そんなものなんじゃないか、って思いついて、ある仕掛けを考えたんです。」
「なるほど。そうかもしれませんね。で、その仕掛けとは?」
「もう本当に内緒にしてくださいよ。」
だから、、、。言いたいんでしょ、、、。私はますます恥ずかしくなってきた。
博士はカオリのお父さんの耳元で小さな声でささやいた。
「さ・い・み・ん・じゅ・つ。」
「えっ?」
「催眠術です。」
「つまり、『あなたの病気はもう治りました。すっかり元気です。体を蝕んでいた悪いものはすべて取り除かれました。もう大丈夫です』って催眠術をかけるんです。」
「このココミキャップのここの部分から声が出まして、、、。でそれを聞いているとそう思いこんじゃうんです。脳が。」
「ほう。」
「不思議なもので、体も『あっ、治っちゃった』って勘違いしているうちに、本当に治っちゃうっていう仕組みなんです。」
「なるほど、、、。」
カオリのお父さんは半信半疑の様子だった。
でも私が治ったんだから、この機械は本物だとは思う。
珍しく、発明は成功したんだと思う。
「はい、事実私はかなり重い風邪をひいていたはずが、キャップがかぶって10分ほどで治ってしまいました。」
思わず私は話に割って入り、助け舟を出してしまった。
「わかりました。そうなんですよね。事実、娘さんの病気があっという間に治ったと私も聞いています。」
「ところで、この機械、使い方は簡単ですか。少しお借りしても。」
「えぇどうぞどうぞ。」
「すみません。間違った報道がされないよう、我々は常に『裏取り』という作業をしなければなりませんので。」
「お借りして、少し試してみようと思います。いいでしょうか。」
「是非、どうぞ。ココミキャップ、自信を持ってお貸しします!」
博士は少しのけずる格好をして、自信満々に声をあげた。
博士はカオリのお父さんに使い方を一通り説明すると、カオリとお父さんは丁重にお礼を言ってココミキャップとパソコンを抱えながら引き挙げていった。
あー。本当にテレビに出てしまうんだろうか、、、。
これからどうなるものやら。私は少し不安になってきた。
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