海に行ったことがないって聞いたから

叶 遥斗

📃勝利を望まれていない勇者と 迫害された魔女で 「海に行ったことがないって聞いたから」




「これは相談なんだが、どうだろう。海を渡って別の国で暮らしてみないか」


 悩んだあげくに出た苦肉の策、困った顔を見せる俺に彼女は首をかしげサラサラと髪が肩を滑った。曇りのない眼差しがこちらを見ている。


「うみ……?」

「海を知らないのか?──そうか、ずっと森のなかにいるんだったな」


 俺はため息をついた。まるで無害な無垢な少女。だが目の前にいるのは嘘かまことか不老不死の魔女。そのせいで歴代の王に疎まれ森のおくに隔離されてしまって孤独な時をかさねてきたのか。


「普段はお客様なんて来ないの。だから私にもっと外の世界のお話を聞かせて?」

「それはかまわないが、俺は一応勇者で王から悪しき魔女を討伐するよういいつかって来た。呪いを恐れて魔女に手出しするなと騒ぐ国民をなだめてようやくたどり着いてみれば、……悪しき魔女どころかただの世間知らずのお嬢さんが一人」


「勇者は何をする人なの?」

「そうだな。普通の人が嫌がることを率先してやる馬鹿野郎かな。化け物退治とか。王に命じられればどこへでもいく」

「だからここへ来たのね」


 ご丁寧に焼き菓子とお茶を用意してくれた少女は気分を害した様子もなくニコニコとしている。


「本当なら危険な敵と剣で戦うのさ」

「王様がそうしろっていうなら仕方ないわね。王様は偉い人だもの」


 森の魔女の数少ない知識のひとつが『王様偉い』では俺も泣きたくなる。これまで疑うこともなかった俺もきっと彼女と大差ないのだ。国を、民を守るために。王に従うのが当たり前だと思っていた。しかし今回ばかりは王に従う気にはならない。何が悪しき魔女だ。


「退屈なら俺が今まで勇者として戦ってきた数々の武勇伝でも語るとしようか。海の話も」

「楽しみ」


 彼女が知るのはこの森と自分と遠くにいる偉い王。人より永く生きながらほとんど何も知らずに過ごす。俺が見てきたたくさんの景色と武勇伝、その度に浴びてきた称賛の声。俺は誰より強くて誰より凄くて皆に必要とされて来た。必要とされていた。途中まではそれが真実ですべてだった。でも違った。


 俺の話を楽しく聞いていた彼女がふと表情をかえた。


「どうしたの?」


 彼女が、ではない。それは俺の異変だ。


「いつしか勇者は気付いてしまった。王にとって都合のよい存在は、王の手にあまる存在へとなりつつあり、扱いを誤れば牙を剥く存在にもなりうる──それが王族側の見解なのだと。最早勝利を望まれてなどいない。うまく怪我でもして戦力外になるか、人知れず魔女にでも敗れこの世を去るか。この物語の結末はまだない」


「私ずっと王様の言いつけを守って森で暮らしてきたわ。貴方もずっと王様の言いつけを守って戦ってきたのよ」

「そうだな」

「善良な民を続けることだってできるし、反旗を翻すことも簡単だわ」

「なに?」

「私と貴方。なんだってできる。本当は自由なのよ。私たちが善意で偉い王様の言いつけを守ってあげているだけ。彼らの命は私たちには逆らえない。彼らはまだその本当の意味を知らないの」


 無垢で無邪気で無知な、はずの笑顔が。今何を言ったのだろう。


「貴方を悲しませるものなんかこの世にはないわ。貴方は、どうしたいかしら?」


 広い世界の理を知らない瞳が笑いかけてくる。


「ここへ来たとき『海を渡って別の国で暮らしてみないか』と私に言ったけれど、そうね私なら王都を海に沈めて別の国を作ることもできる。この森で」

「はは……スケールが違うな」

「私を迫害したいならもっとちゃんと邪悪な悪魔でも連れてくるべきだわ。結局のところ王様たちがどんなに偉くても私をどうすることもできないのよ。でも私今の暮らしも満足なの。時々やって来るお客様のお話を聞くのは好きよ。だから勇者を差し向けた王様を許してあげるの。楽しまなくちゃ損でしょう?」



 何が勇者だ。たったひとつの時代しか知らずに一体何が見えたというのだ。何が王だ。しかし魔女に会わせてくれた。感謝の念がないわけではない。固定観念や価値観などいくらでも塗り替えてしまえ。


「じゃあ今度は俺が話を聞く番だ。俺の知らない世界の話を聞かせてくれ」


 物語の結末は、それから決めても遅くはない。楽しまなくちゃ損らしい。







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