foodies ~フーディーズ~

阿佐ヶ谷の女王

第1話 エピソード

クソババア

言ってやりたい。でも言えない。黙って話を聞くしかない。

午前中から嫌な気分マックス。私のどこが気に食わないのだろう。聞いてみたいが、そんな事を聞けば、更に風当たりは強くなるのだろう。黙って耐えるしかない。

後一年、後一年と自分に言い聞かせて。一通りの御指摘、私にとっては「いちゃもん」を拝聴し、やっと解放された。私が考え、コーディネートしたアイテムにはあれこれと手を入れられた。おばさん臭く。


今日は店内のディスプレイを変更する日で、私が担当する日。本社からの今季一押しのアイテムはカシミヤのセーター。これにウエストシェィプされたダウンを合わせた。ダウンで着膨れ何て言うのは、今時流行らないので、スリムにシェイプされたフォルムのダウンコート。ボトムスはスリムなパンツスタイルに。膝が隠れる長さのダウンなので、スリムなパンツスタイルでも暖かさは抜群。冬でもスリムに見せるスタイルで、防寒も抜群なコーディネート、更には通勤OKな軽くカジュアルダウンした装いにまとめたつもりだった。セーターの中は厚手の生地のシャツ。パンツにインしても、セーターから裾を出してもスタイリッシュでお固い職場でなければ、シャツ出しスタイルもOKなコーデ。


これが気に入らなかったらしい。「カジュアル過ぎる」「うちのターゲット分かってる?」「本当にセンスないわねー。大学はデザイン科だって言うけど、経歴だけは御立派でも本人にセンスがなければ、何の意味もないわよね。」「こんなダウンで客先行ける? これだから社会人になって日が浅い人は・・・ 学生気分がぬけてないのよねー」


フロアマネージャーもブティックマネージャーも知らんぷり。誰も口出し出来ない。

何の肩書もない、一販売スタッフでしかない、彼女に口出し出来ないのは、ダントツの売り上げのせい。そして、私の接客態度や勤務態度ではなく、「センス」「感性」にいちゃもん付けているので、何も言えないのだ。センスが良い悪い、は人の感じ方で受け止め方。数値で計れるものではない。それを毎回ダメ出しされる。そこにあるのは「自分が気に入らない」それだけ。


これが一年続いた。あと一年頑張れば、ここからおさらば出来る。このババアとおさらば出来る。それを支えにして頑張ってきているが、限界に達しそう。泣きそうになるのを堪えながら、ともかくこの店舗でひたすら私だけを叩くのは何故なのだろう、何がいけないのだろうと考えながら、開店準備に入る。


「今日のランチどうする?」同期の修子が声を掛けてくれた。

「もう朝から胃がムカムカだから、軽めがいい」

「そだね、私も週末の夜に暴飲暴食したからなー。これ以上体重増えたら、正座が辛くなる。中華粥はどう? 来々亭の」

「いいねいいね。お粥がいい!!」

「聖羅も声掛けとく。あの子も早番だから」

「うん お願い」

「さあ 仕事仕事。あとで聞くからさ」

「ありがとう」


と言っても、週明けの月曜日は暇。富裕層の暇を持て余しているマダムがちらほらいらっしゃるくらい。ランチタイムまでが長い。実際の12時から13時は近くのオフィスのOLが覗きに来て、それからランチ。


同期三人でランチに出る。胃が痛いので鶏肉のお粥にする。聖羅はがっつりとチャーシュー麺。二歳違うだけで、ここまで食欲も違うのかとびっくり。


お粥を啜っていると修子が今朝の話題を振ってきた。

「莉奈 今朝も災難だったね。私から見ても、あれはいちゃもんでしかない。でもセンスだなんだと言われると、反論のしようがないんだよね。接客態度ならいざ知らずさー。聞いててムカムカするよ、ほんと。」

「莉奈 またプレミア・ババアにやられたんだってね」と聖羅。


「うん・・・ もうさー 何が気に入らないの?って聞いてやりたいんだけど、フロアマネージャーもブティックマネージャーもプレミア・ババアの味方だし、実際売上ナンバーワンだから、楯突く事が得策ではないのは分かっているから、やり過ごすしかないよ、やだけどさー」


「まあさ、あと一年の辛抱だし、あんなババアのせいで会社辞めても勿体ないし、店舗のコーディネートも順番に回ってくるから、あと4、5回だよね? そう考えると、少しは気が楽じゃない? 永遠に続く訳ではないから。ごめん。言われている方は辛いとは思うけど」

「修子 ありがとう。そうだよね、あと一年我慢すれば、本社に行ける。希望していた仕事が始まるから、あと一年なんとか頑張る」


「いいなー 二人はいいよ、店舗スタッフは二年間限定なんだから。あたしなんか永遠にプレミア・ババアと一緒に仕事すんだよっ もう 怖い怖い」


聖羅は店舗スタッフとしての採用。

私と修子は本社採用だが、会社の方針で二年間は店舗スタッフとして働く。会社に利益を生むのは店舗。新卒はそこを経験してから本社勤務となる。中途採用で他のブランドでの職務経験があれば、これは免除される。海外ブランドとは言え、日本法人。やる事が如何にも日本っぽい。


聖羅はファッションの専門学校卒 始めから販売担当としての採用だった。

「いいよ二人は。ずるいよ。いつまでも店舗に居なくていいんだから。憧れのブランドだから、わーいって入社したけど、基本給は安いし、歩合給だし、土日は休めないしさー。まあ同じ学校だった子はマルキューのスタッフとかしているから、友達はほぼほぼ平日休みで合わせられるし遊べるけどさー。社販で服は割引になるけど、ブランドだと制服なんだね。マルキューの子達みたいにお洒落してカリスマ店員になれないしさー」


専門卒でうちに入れれば就活大成功だと思うのだが、就職活動で職場を下見したりしなかったのだろうかと呆れる。ブランド名だけで入社を志望したのだろう。

修子が往なした。


「確かに聖羅の採用は販売スタッフだけど、これから語学力を身に付ければ、また違う道に進めるんじゃないかな? 中国語なら漢字だし、中国からのお客様多いじゃない。免税になるし、日本って近いからって、一時期ほどではなくなったけど、未だに爆買いツアーで日本に来る人も居るし」

「えーーーっ 勉強嫌いだもん。今更勉強したくないよー。やっと卒業して勉強しなくても良くなったのに、ちょーめんどくさい。いいよね、莉奈は。帰国子女だもん。英語もフランス語も喋れるって、ずるいじゃん。莉奈に生まれたかったよー。海外で暮らしてたら、私だって喋れるよ。ムカつくー」


どうしてムカつかれるんだろう。意味が分からない。親の転勤で海外に行き、友達と離れ離れ。慣れない英語に戸惑い、大変だった。フランス語は祖母がフランス人だから、子供の頃からフランス語の会話が日常にあったが、私は日本人。何の努力もせずに語学を習得した訳ではない。ただ、こういう下らない会話のお陰で、気分は晴れて来た。プレミア・ババアも一生販売スタッフのまま。少しだけ溜飲が下がる。


「しかしさー あれはないよね、莉奈のコーディネートのダウンコートをふっつーのロングコートに変えるの。平凡過ぎ。如何にもなコーデ過ぎて、びっくりだよ。おばさんくさーい。ダサ過ぎ。あんな当たり前のコーデなんか意味ないじゃん。誰でも考えて出来るじゃんねー。あれの何がダメなの?」

聖羅は同じブランドだけど、フロアが違う。若い子向けのフロアに居る。


私が今朝の事を思い出し、固まっていると、修子が口を開いた。

「ダウンコートでは営業行けないだろってさー」

「はあ? 働いてる女すべてが営業なわけじゃないじゃん。それに会社によってはカジュアルデーがあるっしょ。そもそもセーターがカジュアルなんだしさー」

「もうプレミア・ババアの言いがかりだと思うよ。それよりさー プレミア・ババア、フーディーズ更新してるの?」と修子が話題を変える。

「してるしてる。見た。まーたお高いお店の評点つけてたよー。

見てないの? 全公開してて、鍵付けてないじゃん。莉奈も見てないの?」


「うーん 検索してまで見たくないんだよねー(笑) フーディーズも登録してないし。」と私。

「うんうん 莉奈の気持ちは分かるよー 聖羅も自分が莉奈みたいに虐められてたら、見たくもないかなー。ただ、プレミア・ババア イイネしないと機嫌悪くなって、シカトすんだよねー。だからもう、ご機嫌取りみたいなやつー」


プレミア・ババアの仇名は、フーディーズのニックネームの「プルミエール」から付けた。史恵をモジって付けたようだが、本人はプレミアムと勘違いしているようだ。価値が高い食事をしている、プレミアムな食事をしている、を「プルミエールなお食事」とフーディーズに書き込んでいる。まさかババアの悪口を言うのに、本人の本名を出すわけにもいかず、また仕事の愚痴は社食では話せない。


だからこうして時々、ランチは近くのお店で取る。もちろん大っぴらにも言えない。

うちのお客様がランチを取らないようなお店。今日もざわざわした中華料理店。千円以下でランチ出来るお店。制服を着ているからスタッフの悪口を聞かれるのはまずい。ブランドイメージがある。このお店はお粥は700円くらいで食べれるし、中国人がランチを取りに来るお店。仕事の話はしやすい。


マルキューのアパレルショップの販売スタッフは自社の製品を着てショップに立つが、海外ブランドはシンプルな形の制服がある。と言うのも、自腹でプレタポルテなんて買えないから。社販で幾らかの割引があるとは言え、常に自社製品を纏って接客出来るほど、お給料は高くない。


「そろそろ戻らないと」と修子が言う。お化粧を直して売り場に戻る。

今日は三人ともディスプレイや棚卸やらで早く出勤したので早上がり。遅番だと20時半に百貨店が閉まっても、お客様が残っていれば応対し、その後で売り上げの集計や在庫の確認と補充、本社への発注とで、退社出来るのは22時近く。WEBから発注を掛けても、本社の人間は退社済み。在庫が確保出来ない事はザラ。


「今日は専門時代の友達と遊ぶんだー。明日は休み。はーっ もう一日が長いよー。カラオケで騒ぐんだー」聖羅はどこまでも元気。店舗一階のフロアに戻っていった。


「さあ 私達も戻ろうか。莉奈 帰りにお茶する?」

「うーん お酒がいいな。今日は家で食事するって言ってあるから、おばあちゃまが食事の支度しちゃってるの。話しながら、軽く飲みたい。聞いてくれるの。」

「うん そんな顔してたらね。一緒に帰ろう。ロッカールームで」

「了解」


入れ替えにプレミア・ババアが食事に上がる。


「何を召し上がるんだか」と修子。

「私の身体は日々私の口から入ったもので作られるから、食事はもっとも大切なもの。だったっけ?」と私。

「ランチも三千円以上掛け、お昼休みは一時間じゃ足りない。ヨーロッパのようにビジネスランチが出来るくらいの時間が必要だそうな」と修子。

「販売スタッフだよね? 商談する訳でもなく、店舗の中で接客してこそなのにね。」

軽く毒づきながら、売り場に戻った。


今日はディスプレイの変更のため、8時半には出社し、開店前の準備を行った。早番のため、18時に退社出来る。修子と銀座8丁目の行き付けのワインバー「エルミタージュ」に入る。お酒は強くはないが弱くもない。商社マンの親の転勤に付いてNYに行き、その後フランスに転勤になった父親と大学時代はパリで過ごしたので、ワイン好きになった。と言っても、入社二年目の身分なので、このバーのグラス・サービスのその日のお勧めを貰う。今日は一緒に暮らす祖父母と夕食を取るため、ワインは二杯まで。オリーブと枝付きの干しブドウをつまみに軽く飲む予定。


修子が口を開く。

「聖羅のあの言葉遣いは、どうにかならないのかしらね」

「接客中もああなの? フロアが違うから、仕事中はあまり接点ないし、たまに一階見てから二階に来たお客様が『一階のあの服が欲しい』なんて言うと、一階に行くけど」

「普段私達と話している時よりは、仕事中はマシって程度(笑)」

「そうなんだ・・・  ハイブランドも落ちたものね。日本では」

「仕方ないんじゃない? 今やハイブランドの顧客にキャバ嬢やホステスが名を連ねる時代だし、子供がなりたい職業第一位がキャバ嬢だもの(苦笑)。海外では有り得ないよね。」

「ないない。ハイブランドのお店に入る事すら出来ないもの。入口でドアマンに追い返される」

「一階は手頃なお値段だから、それこそキャバ嬢成り立てみたいなお客が多いしね」


日本に帰ってきて驚いたのが、水商売の人達が注目され、雑誌に出ている事。ブログやフォトグラムで沢山のフォロワーを獲得しているのは、芸能人よりもキャバ嬢の方が多いのでは?とも思う。海外、特にヨーロッパでは有り得ない光景。


「プレミアム・ババアだけどさ。あれは莉奈に対するやっかみだと思うよ。気にするなって言っても、あれはムカつくと思うけどさ」

「そうなのかな? 入社した時から、あまりにも酷くて、『私、何かしました?』って思っちゃう。私の事なんて、無視するかほっといてくれれば良いのに」

「自分は何も持ってないから、ああなんだと思う。可哀想だけど。」

「なにも持ってない?」

「あの人、既婚って言ってるけど、事実婚なだけで、内縁関係らしいよ」

「えっ? 何それ? フランス人じゃあるまいし、事実婚って何言ってるの(笑)」


修子が聞いた話によると、お互いの資産の事や家柄の事があり、入籍しない事をお互いに望んでいるので、入籍せずに今日まで来たとの事。日本の企業だと結婚しないとあれこれと詮索されたり、昔は結婚して退社するものとされていたので、外資を選んで働いている、との本人談らしい。確かにバブル世代のプレミア・ババアの時代は結婚→退社の時代だったかと思うが、スキルがある訳でもなく、また金満ではあるが、そんな資産家がどうして販売スタッフなのか? 疑問は残る。歩合ではあるが、そこまで給料がいいものだろうか?


「マネージャー方はプレミア・ババアの顔色伺ってるから、あれこれと突っ込んだ事は聞けないみたいだし、あの人、会社の歓迎会も送別会も出ないでしょ? 安いお店でお食事したくないとか言って。だから詳しい事は良く分からないんだけどさ。未入籍は確かだって。」

「ねえ修子 そんなに資産があるのに、どうして働いてるの? まあ海外の資産家や日本の本当にきちんとした家柄のお金持ちは働く、と言う事をきちんと子供の頃から教えて躾けるけど、それと同時に教育もきちんとして、それなりのスキルや学歴を身に付けさせる。買う側ではなく、販売スタッフで居るのはどうしてなのかな?ハイブランドではあるけど、どうして本社側の人間にはならないの? その資産で御実家が会社経営して、みたいな感じではないの?」


「事実を正当化するために、嘘で固めてるんじゃない?」

「事実を正当化って?」

「内縁関係じゃなくて、愛人さんなのかなーって。未入籍で居るしかないのかなって。そして、資産云々も嘘だから、仕事は辞められない。」


修子鋭い。何と言うか、いつも冷静に物事を見極めている部分がある。御自宅では生徒さんを指導する立場にもあるから、物事を色んな側面から見れると言うか。

「本当の資産家なら、ああ言った金満な生活は送らないと思う。昼はこれ食べ、夜はこれ食べ、お値段はこれくらい、星は何個、家では一切食事は作らないって事でしょ。事実婚なんて言って、同居すらしていないんだと思う。」

「なるほどね、結婚出来ないのを結婚しないに変え、そのために嘘でコーティングしてるのか。」

「そういう事、さあそろそろ帰りましょ。おばあさまが食事作ってくれているんでしょ? 」

「うん 修子ありがとう。今日は帰ってからもお稽古付けるの?」

「ううん 昨日お茶事だったから、今日はお教室はお休み。」

「えっ 疲れてるのにごめん。」

「ここのワインのセレクト好きだから、オールOK。昨日は千鳥の盃で日本酒かなり飲んでしまったよー(笑) 土日のお休み、ショップ勤務だと中々取れないのに、それが潰れてくさくさしてたから、また明日ね」


明日はババアが休み。平穏な日常が過ごせる。










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