3-2 調べもの

 階下に足を踏み入れると、オフィスは明るくなっていた。一般向けではないこの出張所は、セデイターの活動時間への多少の配慮として、始業と終業それぞれが他の部署よりも一時間遅れなのだが、それでもすでに始業時間をとうに過ぎていたため、窓やカーテンは開けられている。オフィスが開く前には終わるだろうという、当初のリンディの思惑とは異なり、ナユカとの打ち合わせはけっこう時間を食った。

 幸いにして、日頃、利用者がやたらに来る場所でもないので、管理者が忙しくて会話ができないなどということはなく、今も控え室で待機中。外からの来訪者が来れば鳴る呼び鈴も、いつもどおり沈黙したまま。当面、彼女の仕事はふたりの世話であり、オフィスでやることは特にない。せいぜい、掃除や機器のメンテナンスくらいだろう。


「お待たせ」

 ドアの開いた控え室の仕切り越しにリンディの声が聞こえ、気づいたアネットは、その向こうから会釈する。

「あ。今、出ます」レースカーテンに映るシルエットの実体が登場。「お話、終わりました? あ、お急ぎですか?」

 目の前のリンディは、早々とセデイターとしての身支度をしてある。

「あー、そういうわけじゃなくって……」キャリアがポシャらずに済んだことを思ったら、気合が入っただけ。「えーと……待たせちゃったみたいだね」

「いえ、それはお気遣いなく」特に待っていたということもないけど……話し相手としては待っていたような気もする。「……では、食堂に行きましょうか」


 三人はダイニングルームへ行き、マメな管理人はお茶を入れてから席に着く。

「今後のことなんだけど……」セデイターが話を始める。さきほど決定した指針どおり、異世界人の件ではない。「昨晩、あたしが言いかけた別のターゲット……つまり、セデイト対象者ね……それを追いたいわけ」

「リンディさん、お一人で?」

「そう、あたしだけ。……まずは、見つけなきゃならないんで、その情報がほしい。それによって、今後の予定が決まる……まぁ、そんな感じ」

「ナユカさんはどうなさるんですか」

 尋ねたアネットに当人が視線を向けるが、リンディが代わって答える。

「ここで待機ってことで」

「待機?」

 管理責任者が訝しげなのは当然だろう。通常、「被害者」は早めに魔法省へ転送する。

「はい。ちょっと事情があって……」

 その「事情」を追求されないかと冷や冷やしているナユカに対し、アネットはあっさり承諾。

「わかりました」おそらく、その点を長く話し合っていたのだろう……。それならば立ち入ることではないと判断し、速やかにセデイターの要請に取り掛かる。「では、その対象者の情報ですね。オフィスの端末で調べましょう」

 余計なことを質問してこない対応に、肩透かしを食らった感のあるリンディだが、同時に好感を持った。……公務員のわりには話が早い。この間の警官なんて……まぁ、それは今はいい。

「OK。それじゃ、オフィスに行こう」


 オフィスに入った三人は、設置されているデータ端末を取り囲む。この世界にも、このようなコンピューター的なものが存在しているが、使われているのは「魔法テクノロジー」であり、かの世界のテクノロジーとは系統を異にする。

 ここの端末は、もともとはデータベースへの接続機能を主としていたものだが、今では、ケーブルでつながっている端末同士での会話などにも機能を拡張され、限定的なイントラネットワーク端末にもなっている。操作できるのは事前に承認されたユーザーのみで、ログインやセキュリティの認証は、声紋に加えて、呼気に含まれる個々人に特有の魔力パターンである「魔紋」によってなされる。

 主だった操作は、詠唱コマンドによる音声入力のため、基本入力インターフェイスは、こちら風のヘッドセットである。よって、キーボードはないのだが、トラックボールに似た入力装置はあり、画面上のオブジェクトの選択に使われる。表示部は液晶モニターのような薄い形で、非使用時のスクリーンは白。表面は極めて薄いクリスタルでコーティングされており、そこへデータや画像・映像が表示される。その一部は、映像や音声の入力用にもなっており、ごく小さな領域をカメラやマイクとして機能させることができる。

 そのような端末への、魔法省における外部関係者としての制限つきアクセス権を取得してあるリンディは、アクセス用認証コードを自分の所持しているセデイター用の携帯ディバイスにすでに入力してある。したがって、それを端末に通し、ここでの利用登録をすることで、直ちにデータアクセスが可能だ。新しく訪れたセデイト関連を扱うオフィスでは必ず登録を行っていることから、すでにその作業に馴れているセデイターは手早く手順を終え、早速、ターゲットとしているセデイト対象者の情報の検索を開始する。

 現在、ここにある情報は今朝、すでにアネットの手によって更新されており、最新の状態。この世界では、有線や無線による外部ネットワークのインフラがまだほとんど構築されていないため、この出張所でのデータの更新や同期は、魔法省から物理的に転送される「データクリスタル」を接続することによってなされている。

 それは、その名の示すように、魔法による情報記憶用のクリスタルであり、小型のデータストレージディバイスとして、様々な機器に使われているものだ。「転送」の仕様として、無生物であれば、容積と重量の制限はあるものの「送り転送」も可能であることに加えて、そのような小さい器具なら、小型転送ボックスの使用により、少ない魔力消費で転送できるので、遠隔地とのデータ交換には非常に有用なものとなっている。ただし、当然ながら、転送装置のある場所同士であることが前提である。


「情報では、まだこの街には来てないね。ほら」

 端末の正面でセデイターが指し示した画面を、背後の事務員が中腰になって覗き込む。

「……そのようですね」

「あ、隣かけて」

 椅子に座ったまま、リンディは少しだけ横にずれる。

「はい」

 アネットは手近な椅子を速やかに移動し、隣に着席。

「で……このルートの先はこの街だから、ここに来るとは思うけど……。ま、とりあえず、先回りはできた」

 したり顔のセデイター。なんだかんだあっても、いったん魔法省に戻ったりしなかったのは正解だった。

「ここからなら、明日になりますか……」

「このパーティは進行が遅いから……明日の……夜かなぁ……このまま進めば、だけど」

「目撃情報が……」アネットは、画面を指差し数える。「多いですね」

 動向がよくわかるのはそのため。

「なんか、派手にやらかしてるんじゃない?」この手の連中にはよくあること。セデイト対象者、すなわち、自制を失った魔導士が含まれているのだから。「おかげで予定が立てやすいけど」

「えーと……街道でいきなり火柱とか……で、火事寸前。こっちは、使われていないロッジが一部凍結……。負傷者は……まだ出てないようです」

「あ、本当だ。変なの」画面を見つめるセデイター。「これって、人的被害はないんだね……せいぜい器物損壊……それも、重罪にはならない程度……。偶然かなぁ。それとも意図的?」

「どうでしょう……。目撃者の証言は……」該当部分を見つけて、事務員が読み上げる。「『もう駄目かと思ったが、気がついたら無傷で寝ていた』とか……」

「なんのこっちゃ」なんだか間抜けな証言だが、怪我がないのは結構なこと。「ま、そのほうが都合がいいか……」

 セデイト対象者が傷害などの重罪を犯していると報酬に上積みがあるものの、同時に一般バウンティハンター向けの賞金も高額になるので、ライバルが激増してしまう。そして、彼らはたいてい、セデイターよりも荒っぽい。鉢合わせた賞金稼ぎ同士がトラブることも、しばしば……というよりも、必ず奪い合いになる。しかし、今の状態だと、賞金が高額になるのはセデイターだけで、それ以外は目もくれないだろう。

 ……邪魔が入らなければ、少しはやりやすくなる。なんといっても、相手は「Aランク」対象者……簡単な相手ではない。余計なことで気を散らされることがなさそうなのは、ラッキーだ。リンディは画面から視線を外し、こちらの考えを妨げないよう黙っているアネットに、顔を向ける。

「とにかく、明日だね」

「それでは、今日は待機ですか?」

「そうなるかな……」この街に来るのを待つのみ。進路変更などの新たな動きがない限り、特にすべきこともないので、行動方針の選択肢はないながらも、いちおうナユカに尋ねておく。「て、ことで……今日は待機。わかった?」

 ここまで、画面を見てもさっぱりわからず、ただ背後に立っているだけで、まったく話に入っていけなかった異世界人が、久しぶりに口を開く。

「わかりました」

 反対する理由はないし、もとよりこのセデイターに従うしかない。どうせ自分にはなにがなんだかわからないし……。ちょっとした疎外感のようなものを感じている中、ナユカは、リンディから直接自分自身に関わる話を振られる。

「……あ、そうそう。住所、調べてみる?」

「え? ああ、わたしの……」

「ストップ」

 掛け声とともに突然立ち上がったリンディは振り向きざま……。

「……もごっ」

 言わずもがなのことを漏らしそうになった異邦人の口に、手を強く押し当てたまま、逆側の施設管理者に肩越しから頼む。

「悪いけど、プライベートなことを調べたいんで、ちょっと外してくれない?」

「いいですけど……」承諾したアネットは、プッと噴出して顔を背ける。「くくくくく」

 笑いを抑えながら席を立ち、控え室のほうへと離れていく後姿を目で追いつつ、不思議そうにしているリンディ。

「なに? なんなの?」

 その腕を、ナユカが軽くポンポンと叩く。

「ん、んぅ……」

 気づいたセデイターは、両呼吸器官をふさいだままの手を離す。

「あ、ごめん」

「ぷはっ」息を吐いて、三回ほど呼吸する。「……ひどいです、リンディさん」

 けっこうがっちり決まっていた。さすがに戦闘慣れしている……。という一般人の印象とは違い、ただの偶然である。リンディは筋力系でも体術系でもない。

「だって……言いそうになるから……。苦しかった?」

「なんとか、大丈夫です」それなら、鼻までつまむ必要はないのに……。鼻をさするナユカ。加害者は手を固定させようとして、つい、つまんでしまったのだが、被害者には不満が残る。「……でも、笑われました」

 アネットは向こうで腹を抱えているだろうか……。

「そんなにおもしろかったのかな? じゃ、もう一度」

 非筋力系が再び口へと手を伸ばしてきたので、それをかわすべく、真の筋力系はすばやく一歩後退。さすがに、二度目はない。

「結構です」

「冗談だって。怒らないで。……それよりも、住所、調べちゃおう」さっと元の椅子に座り、隣の椅子を軽く叩いてナユカに着席を促すと、しれっとして尋ねる。「で……住所は? あ、声は小さめにね」

「もう」

 口を尖らせた異世界人は、アネットの座っていた椅子にかけ、気を取り直して、自分の住所を国名から口述する。今度は最初からセレンディー語の住所用語を交え、発音もゆっくりと正確に……。

 その発音に基づいて、セレンディア人が検索を始めるが、のっけからすでに、住所データベースにない。それでも、その先を順番に検索してみるが、最初にないものはやはり、三番目でもなし。迷子の発音ははっきりしているとはいえ、データ化されている住所は、セレンディー語の表音文字で記載されているので、外国語なら表記に違いはあるのかもしれない……。しかし、残念ながら、リンディはその方面に明るくなく、やむを得ず、いったん検索を中止する。

「これは……見つからないかなぁ」

 この言い様には少し気を遣ったニュアンスがあるが、当事者の異世界人はもっときっぱりしている。

「ええ。絶対ないです……やっぱり」

 ほんのわずかな期待はどこかには残っていたものの、調べる前から、ナユカには存在しないという確信があった。ここは異世界だ。間違いない。

「そうなのかな……後は……」ゆっくりと口にしたリンディは、少しだけ考える間を取る。「魔法省に戻ってからだね」

「はい」

 異世界人は素直に同意。それでも、果たして元の世界に戻れるのか、戻れるのならどうやって戻ればいいのか、現状ではさっぱりわからず、不安を拭い去ることはできない。ただ、信じてもらえそうもない見解を聞き入れて対応してくれる人がいるのは、とてもありがたいと思う。そこへ、その人からお誘いが。

「……あとで、街を回ろうよ」

 どうせ、今日は「待機」で、やることはない。

「え? 街を?」

「慣れるのも必要だよ。あたしもこの街の下見がしたいし。一緒に行こう」

 その「慣れる」べき対象は、ナユカにとっての異世界での生活そのもの。宿場は建設中で街とはいえず、よって、ここが異世界で最初の街だ。いろいろ見て回るに越したことはない。それに、興味もわく。なにかと変わったものがあるかもしれない。

「行きます。なんだか、おもしろそう」


 調べものが収穫なしに終わったふたりは、端末を後にして、事務員の控え室へ向かう。見れば、当のアネットは控え室に完全に引っ込んでいたわけではなく、オフィスとの境界辺りで待機していた。

 会話の内容はそこからなら離れていて聞こえず、オフィス管理者としては適切な距離といえるか……。いちおう、距離の確認として、リンディはちらっと後方を見る。……おそらく、盗み聞きなどする意図はない……もちろん、聴力強化の魔法でも使えば、聞き取れないわけではないが、そこまでする理由はないだろうし、そこまで疑うべき対象でもない。

「調べものは終わりました?」

 ふたりが近づいてきたのを見て、アネットのほうから先に、セデイターへ声を掛けてきた。

「当面はね……。まぁ、また調べるかも。それより……」リンディには、少々気になることがある。「さっきのユーカ、そんなにおもしろい顔してた?」

 口を塞いだ張本人は、残念ながらよく見ていなかった。

「え? いや、それは……」

 アネットはナユカをチラッと見てすぐさま顔を背け、うつむく。思い出し笑いをこらえているのだろう……。寛容なショートカットの娘もこれにはむくれる。

「どうせ、わたしはおもしろい顔です」

「失礼だよねー」リンディは不機嫌な相方に同調してみせながらも、笑い出しそうな目撃者に再度尋ねる。「で、どんな顔?」

 その顔の主がお怒りなのを重々承知している真面目な事務員は、何度か咳払いをすることで笑いの表出を止め、どうにかまともに口を利けるレベルまで持ち直す。

「ごめんな、さい。……本当に……失礼、しました。……すみません」

「いえ、その……それは……」

 言葉に詰まるナユカ。あの質問に対して、謝るというのは‥‥かえって失礼な気も……。違う表現で三回……まぁ、セレンディ語の学習にはなるけど……。それにしても、本当にそんなにおもしろかったのかな……。

「結局、どんなだったの? 教えてよ」

 こっちは、しぶとく失礼なブロンド美女。

「それは……」

 アネットはナユカをチラッと見る。

「言ってください。すっきりしませんから」

 非難しているのではなく、その点をはっきりしてくれないと困る。素顔を素で笑われたら、乙女としては往来を歩けない。

「えーと、その……寄り目……が……」手で口と鼻までふさがれた効果として別の要素もあるが、平和のために、それだけにしておく。「つぼみたいです、わたしの。……ごめんなさい」

 目撃者の再三にわたる謝罪は、逆にその対象を虚しくさせた。どうせなら、笑い飛ばしてもらったほうが……いや、それもやっぱり……。なんとなく気まずい雰囲気のところへ、リンディからの提案。

「ね、もう一度やっていい?」

 それは、また口を塞いで鼻をつまむということ? 悪乗りと思えて、さすがのナユカもイラッとする。

「はぁ? いやですよ、そんなの」

「だって、あたし……見てないし」

 言葉と同時に伸びてきたブロンド美女の手首を、口の手前で反射的に受け止めるスポーツ女子。

「何のつもりです?」

 手をつかんだその指に自然と力が加わり、リンディはその圧を感じる。

「あのぉ、ちょっと……」

「だめです! ナユカさん、それ以上は!」

 いきなりアネットが割って入ってきた。

「わ」

 驚いたナユカはつかんでいた手首を離す。

「どうしたの?」

 解放されたリンディが見つめるのは仲裁者。

「え? だって……折れてしまうかも……」

「あたし、そんなにやわじゃないけど」

 体力派ではないのは自覚しているが……。

「でも、ナユカさんですよ……怪力の」

 ……この管理人の中では、人一人を軽々と運ぶのを目撃して以来、そう確定しているらしい。ただ、運ばれた当人は眠っていたので、その様を実感していない。

「いや……いくらなんでも……」不安がよぎったリンディは、剛力娘に視線を向ける。「ねぇ?」

「ちゃんと加減してますよ」

 と、本人。ということは、していなかったら……まさか……折る自信があると? 

「……え」

 つかまれた手首を逆側の手で確認……別に問題はない……痛みもない。よかった。

「そうでしたか……すみません……」どうやら間違いだったと認識したものの、怪力の度合いを過大評価しているオフィス管理者は、釘を刺しておく。「でも、十分に気をつけてくださいね」

「え、ええ……はい……」

 評価も度を越すと、人間扱いされてないような気がする……。それとも、ここの人たちは体の造りが違うとか? もしそうなら、気をつけないと……。新たな懸案を抱え込んだ異世界人へ、リンディから苦情が。

「これも、ユーカがやってくれないのが悪い」

 なんのことを指しているかわかるけど、わかってあげない。

「……なにをですか?」

「これだよ」

 その声とともに、ブロンド美女が自らの口を塞ぎ、目を中心に寄せる。

「ぶはっ」

 アネットの噴出した音──どうやら本当につぼらしい。それを号令に、ナユカも軽く噴出す。

「ぷふっ」

「あ、笑ったね。なら、あたしにも見せて」

 自ら勝手にやったとはいえ、それを笑ってしまった以上、拒否しにくい。ここは、先に笑った方へターゲットをそらそう。

「あ、いえ……それなら、アネットさんからで」

「そうだねぇ……何度も笑った罪は重いよねぇ」

 笑われた、いや、笑わせたリンディは、にやっと笑う。

「……え……え?」

 ……これは罠だ。新たな標的の笑みは消え、最初の標的の口角が上がる。

「覚悟してくださいね」

「い、いや……」迫り来るふたり……。アネットの口からかすれた叫びが漏れる。「や、やめて……え? あ!」

 素早く後方へ回った怪力娘に捕らえられては、もはや……。抵抗を諦めた獲物は、腹をくくるしかなかった……。


 この後、アネットの変顔を契機にテンションが上がり、妙なモードに突入した三人は、オフィスの片隅でちょっとした変顔大会を開催するに至った。幸いにして、その間、オフィスには誰も来なかったため、この黒歴史が刻まれた先は三人の記憶のみとして、事なきを得た……はずだ。途中でリンディが装着していたセデイター用スコープの映像記録スイッチが入り、それに本人が気づいたのが大会終了後だったことは、他二名には伏せておくべきだろう。



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