モルちゃん

まきや

1. 池ケ原公園



公園は今日も平和だった。


「今日のレースは何が来るんかねえ」


緑に塗られたベンチに座り

赤いサインペンを耳の裏にはさんで

スポーツ新聞を片手に、独りごとを言う老人。


ずっと、そんな感じなのだろう。

公園のその椅子は、老人の指定席だった。


「区立池ヶ原いけがはら公園」

公園のモニュメントでもある置き石に

そう書かれていた。


そこは、都心からは外れた区だが

都内にある、ありふれた憩いの場だった。


公園の西側は子供たちの遊び場で

ブランコや鉄棒、砂場が設置されていた。

北の方に行けば、わずかばかり

健康器具的な遊具が置かれている。

北の一角は、広い野球のグラウンドになっていた。


この公園を特徴づけているのが、東のエリア。

南の入口から、中央の広場を抜けて右に曲がると

そこに看板が見えてくる。


ベニア板に手書きのカラフルな文字で

「こども動物園 富士見平分園」

と描かれていた。


同じ区内で、少し離れた所にある本園とは違い

こちらはこじんまりとした規模の

小動物だけを集めた、ふれあいの場所である。


それでも、幼い子供をもつ親にとっては

午前中だけ、とか子供を迎えた後など

ちょっとした時間を過ごせる、貴重な場所に

なっていた。

(無料というメリットも大きかった)



好天に恵まれたその日も、小さな動物園には

まばらに人の姿があった。


たいていは小さな子供と親たちだったが

今日は中に混じって、若い男女がいた。

この時間でこの場所という材料から

地元のカップルといった雰囲気に映った。


彼らはインコとガチョウのいる小屋と

ヤギやヒツジの暮らしている広場の間を通る

細い通路に立っていた。


「まだかなあ」


女性がつぶやいた。


小さな広場を囲む、胸ぐらいの高さの鉄の柵を

両手で上からつかみ、その上にアゴをのせている。

いかにも待ちきれないといった様子だった。


「ヒロくん、何時?」

「あと10分。もう何回目だよ」


ヒロと呼ばれた彼の返事から

ウンザリした様子がにじみ出ていた。


彼は同じ柵に背中から寄りかかり、肘をついた。

反り返って、待っている間に固まった背筋を伸ばす。

空気が口から漏れて、思わず呻いた。


アイはいつも、そうだ。

俺に何でも聞いてくる。

今だって、自分の腕時計すら見てないし。

秋の高い空を見ながら、彼は思った。


トンと軽い衝撃を受けて、我に返る。

目は足元へと移った。


ヒロの腰の下ぐらいの背の子供たちが

緑に塗られた鉄柵をつかんで

アイと同じく、お楽しみの時間を待っていた。


ログハウス風の飼育小屋にかけられていた看板が

モルモットのふれあい時間を明示している。


【ふれあいタイム 13じ00ふん から】

判っていはいるけれど、何度も読み取った文字。


「ヒロくん?」

「はいはい! あと5分!」


語気荒げに返す。


時間は相対的。

アイには、待ち遠しく長い5分間。

ヒロには、倍速に感じる5分間。



「ねえ、また入らないつもりなの?」


アイがハンチング・ベレー帽ごしに、不機嫌そうに言った。


「当然だろ」

「どうして入ってこないの?」

「だから、毎回言ってるだろ? 動物アレルギーだって」

「ウソ」

「何だよ、ウソって」

「毎回そう。それしか言わないよね」

「それしか、って言われても、仕方ないだろ。

じゃあ、どう言えっていうんだよ」

「別に。どうでもいいけど」


こうして議論になってない会話は

過去から何回も繰り返され

ループにおちいってきた。


「またアタシだけかー。でもいいんだ。

かわいいモルちゃん、触れるから、寂しくないしー」


アイのつぶやきを嫌味として受け取ったヒロは

黙って動物たちの様子を見ていた。


打ち込まれた杭を並べた檻の中で

餌を食べながら出番を待つ、ヤギとヒツジたち。


ガラス張りの大きな部屋では

これから登場するモルモットたちが

大きな長方形の桶の中に詰め込まれ

ひしめき合っていた。


栄養状態が良いのだろう。

どれもよく太って、毛艶が良かった。

白一色、白に別の色がのったブチ模様や

茶色と黒が渾然としているもの等

どれも模様は様々だ。


こんな小さな

コロコロみたいなヤツらが羨ましい。

そう、ヒロは思った。

餌をもらって、大した運動もせず

ストレス皆無。

何も考えずに、生きてけるんだろうな。


ヒロは見ているだけで湧き上がるくしゃみを

こらえながら思った。




「そろそろ、モルちゃんたち。外に出しますよ」


若い女性のスタッフのひとりが、ガラス張りの

飼育小屋の扉を開け、中にいた男性の飼育員に

声をかけた。


「了解。準備できてるよ」


彼は木で組まれている大きな箱の方を指さした。

箱は台の上にセットされており、そこから

ちょうどモルモット一匹分の幅の透明の通路が

伸びていた。


子供たちの待つ広場へ向かって

並びながら移動するモルモットたちの

かわいい姿が見えると評判の趣向を凝らした

仕掛けだった。


あとは通路をふさぐ仕切りを取り除くだけの

状態になっていた。


「あれ? またモルちゃんたち、箱の真ん中に

集まってる」


女性スタッフが気づいて言った。

見るとモルモットたちが、妙に箱の中心に向けて

体の向きを揃え、固まっているように見えた。


「ああ、ここのヤツらは、良くそうするんだ」

「何ですかねー? モルモットの習性ですか?」

「聞いたことないけどな。きっと寒いんだろ」


男性スタッフは歯牙にもかけない様子だった。

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