かけがえのない時間

 時刻は午後4時頃。

 9月の残暑が下旬まで続いている。ニュースでは9月ギリギリまでこの暑さが続くらしい。

 車内は車の持ち主である直子が暑いから、という理由で冷房がつけている。

 運転席には相場、助手席には直子、後部座席には熊田が座っている。

 目的地は「男性水死体事件だんせいすいしたいじけん」の最初の現場。曽湾海岸そわんかいがんだった。


 ● ●●


 この海に来た目的ですか? まぁ、言っちゃえばナンパ目的ですかね。忍野の野郎、女性と付き合ったこともないから、「ナンパしてこいよ」って遊び半分で女引っ掛けられるかなって。そのうち見かけなくなって、女捕まえたけど俺らと一緒に遊びたくないのかと思って。もしくは嫌になって先に帰ったと思ったんですよ。でも宿にはいないし、浜辺にはいないし……。そういえば噂で湾岸の方に死角になるところがあって、穴場でヤることヤってるって噂があったからもしや……って思って探しに行ったんですよ。そしたら……忍野が……。


 ごめんなさい、あまり思い出したくないので……。忍野君のことなら話せます。大学の友達です。彼、誠実だけど押しに弱いというか……。今回4人で海に行ったのも、彼が■■君に言われてナンパしてこいって言ったのも、多分忍野君なら真面目に女性を探しに行って、その間に■■君が私達と遊ぶ……という流れにしたかったんだと思います。結局■■君もナンパしてて私達二人で遊んでいましたけどね。


 今回の事件のことですか。私達は■■君の誘いで■■さんと忍野君、私の4人で旅行に行きました。■■君の提案で、忍野君はすぐに女の子を誘いに私達と離れました。そのあと3人で遊んでいたのですが、■■くんも別の女の人と一緒になってしまい、結局私達2人になりました。部屋に戻ると忍野君がいなかったので、3人で探しに行きました。何処にもいなかったので、途方にくれたとき、■■君が「もしかしたら」と言い、あの場所まで案内してくれました。そうしたら忍野君が……。それを見て■■さんが吐いてしまい、その間に■■君には警察に連絡してもらいました。私から言えるのは以上です。


 ● ● ●


 直子は忍野和泉の友人の調書を見てため息をついた。そして自分のボストンバッグの中にしまいこむ。


 「熊田さん、この辺りですか?」

 「ああ、この辺りだな」


 熊田が返事をして、近くにあった駐車場に車を止める。パーキングエリアだが、適当に駐車するわけにもいかなかった。

 相場と直子はこの事件担当ではなかった為、担当刑事の1人であった熊田と共に海岸にやってきたのだ。


 「さて、あっちが現場だ」


 熊田が指を指す先は、岩湾に囲まれていて此処からではよく見えない場所だった。


 「なるほど、確かに穴場ですね」


 相場が感心する。


 「おい、相場。感心するのはいいが後ろのトランクから包みを取り出してくれ」

 「直子さんが持ってきた私物ですよね……おもっ!」


 しぶしぶ相場が取り出すと、直子が持ってきた包みを落としそうになる。


 「落とすなよ」

 「なんですかこれ!?」

 「見ればわかる。とりあえず運べ」

 「直子さんが運べばいいじゃないですか!」

 「私は車まで運んだからあとはお前が運べ」


 有無を言わさず相場に運ばせる。

 相場は熊田をチラッと見るが、似合わない爽やかな笑顔で颯爽と歩きだす。

 残暑の残る9月にはもう人はいない。

 砂浜に突き刺さる岩湾に「立ち入り禁止」と書かれた張り紙。

 気にせず踏み込むと歩きづらい海岸。足元が海の水と苔。岩と石の上を歩く道はおおよそ5m程しかなくても厳しい。

 重い物を持っている相場は、ゆっくりゆっくり足を踏み外さないよう移動する。

 そして岸壁しかなくなったところで、岩湾を回り込む。


 「此処だ」


 到着したのは、砂浜の個室のような場所だ。

 奥行き6m、横幅4mほどの狭さで三方面を岸壁が覆う。波打ち際の音が心地よいはずだが、悲惨な現場の後だと知ると、体が強張って立ちすくんでしまう。


 「さて、相場」


 直子が相場の方をくるっと振り向き、人差し指を地面に向ける。


 「それ、置いて」

 「いや、これなんですか?」

 「見ればわかるって言っただろ」


 そう聞くと相場は渋々と包みを取り出す。


 「えっ、なにこれ…」

 「何って、マネキン」

 「いや見ればわかりますけどさぁ!?」


 包みの中には全裸のマネキンがあった。


 「男性のマネキンって、中々ないんだぞ。しかも短足で小さいの。被害者と同じような身長と体重」

 「……何処で手に入れたんですかこれ」

 「知り合いにマネキン作ってる奴がいてな。しかもちょっと変わった人形師。ちょうど良いから貰ってきた」


 直子はしれっと答える。


 「で、はい」


 直子はボストンバッグからあるものをとりだした。


 「な、鉈!?」

 「うん、鉈」

 「犯人はこの先に漁師小屋があってな、距離はあるがそこから鉈を持ってきて両足を切断したようだ。本来なら錆びてるし、使い道がないから小屋に放置していたらしいが、まさかそんな風に使うとは思わなかっただろうな……」

 「足の切断面から錆が見つかって、凶器はそれではないが足の切断は小屋の鉈となったわけだ」


 そして直子はいつも通り、無表情で鉈を相場に渡す。


 「切断して」

 「は?」

 「切断して。現場検証したい」


 暑さが残る下旬だからといって、此処まで冷や汗をかくとは思わなかった。


 「整理しよう。被害者の身長は165センチ。まず後頭部からの強打。なんども打ち付けた跡があるから転倒した被害者を何度も殴打した可能性がある」

 「被害者の口から海水と砂が混じっていた。おそらくうつ伏せになって半分溺れかけていたんだろう。だが、強打の方が死亡原因なのは、肺に水が貯まらなかったからだ」

 「そこから漁師小屋から鉈を持ってくる。何故あそこに鉈があることを知っていたのはは知らないが、その後仰向けにして切断した」


 直子と熊田が交互に喋りだす。


 「と、いうわけで、君には両足を切断してもらおう」

 「いやいや、マネキンだから簡単に壊れるでしょう」

 「そこがあのマネキン作りのポイントでね、肉質と骨の太さは割りと人間臭いんだよ」

 「直子さんがやればいいじゃないですか!」

 「私は現場検証しているお前を見たいんだ」


 見るのも現場検証の一つだ。と言い、直子は座れそうな石の上に腰を下ろす。

 反対側の側面には、熊田が立ったまま岩湾の壁にもたれかかっていた。


 「ええ……」


 完全に相場の行動を見る立場になった先輩達に、これ以上反論することを諦めることにした。


 ● ● ●


 ガンッ、ガンッ!


 肉を切り裂き、骨を断つ。割りと簡単だが、力がいる。

 振り上げて、降り下げる。単純な作業だが、骨が折れる。

 一心不乱に行為を行う。

 何の為か、決まっている。

 誰の為か、決まっている。

 今を逃したらチャンスはない。

 これはやらなければいけない行為なのだ。


 ガンッ、ガンッ!


 ● ● ●


 「終わりましたよ……」


 ふーっと息を吐いて額の汗を拭う。

 足を切るのにあたって、腕捲りをしていた。足も靴下を脱ぎ、太ももまでズボンを捲っていた。お陰で海水に浸かることはなかった。


 「おう、お疲れさん」


 熊田は労いの言葉をかける。

 反対に直子は何も言わない。


 「時間にして片足20分程度ですか……。確かに肉の感じかしましたし、骨の感じもしました……。本当に骨を砕いている感じがして嫌でした……」

 「直子が持ってきた鉈は一応刃こぼれしていたやつだが、犯人が使用した鉈は錆もしていたし、もう少し時間がかかっていただろうな」

 「……わからない」


 直子が呟く。


 「犯人は返り血を浴びていたはずだ。それにどうして被害者の血が必要以上に抜かれていたのか……」

 「返り血はともかくとして、被害者の血が抜かれていたのは砂に流れていたからじゃないですか?」

 「被害者の友人は、最初足が砂に埋もれていると思ったと言っていた。うーん……」


 直子は首を傾げる。


 「それにどうやって足を持ち帰ったんだ?」

 「えっと……」

 「足場の悪い此所まで、往復するのに時間がかかるだろ。それに人に見つかりやすい」

 「まぁ、確かに……」


 ずばずば言う直子の疑問に、相場は答えられない。

 そもそも、そんな疑問すら、半分も考えていなかった。先輩の疑問に、答えられない自分が不甲斐ない。後輩が必ずしも先輩よりも頭が回るとは思っていない。むしろその逆。だから先輩の役に立てることと言えば、マネキンの切断を手伝うだけだった。

 とにかく、不甲斐ない。

 相場は俯くだけだった。砂浜には、踝程高く海水が浸かっていた。



 「……確かに此所は穴場だなぁ」



 直子が呟く。染々と。ぼーっとしている。

 えっ、と相場は声に出す。熊田も、この後輩がいきなり何を言い出すかわからなかった。

 直子は二人をちょいちょいっと手を招く。直子の傍に、寄る。


 「ああ……」


 熊田が感嘆な言葉を吐くように呟く。相場も同じだった。



 橙色に染まる夕焼けは、くり貫かれた岩湾の穴にぴったりと収まるかのように、この小さな海の個室を照らしていた。



 「きっと穴場の本当の意味は、これだったんでしょうね」


 相場が微笑む。気持ちが幾分かスッと楽になる。

 熊田は珍しいものを見たと楽しそうに笑う。

 相場はちらりと、直子を見る。

 直子は――いつもの無表情が柔らかい顔になっていた。これがきっと彼女の素の表情なのだろう。


 「さて、帰ろうか」

 「えっ?」


 立ち上がる直子に、切り替え早いなぁと思うと、察した熊田に「あいつはそういう奴だよ」と言う。


 「さて、相場」


 いつもの無表情な顔つきの直子は、相場に言った。


 「マネキン、よろしくな」


 無惨な死体――もとい、無惨なマネキンの後始末は、後輩、相場アキラに託された。

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