燃え上がる思い

 四川しせん直子なおこは欠伸をしながら捜査現場に到着した。ぼさぼさの髪は女性にしては身だしなみに気をつけていないことがわかる。しかしスーツはおろしたての様に綺麗だ。

 周りには既に何台ものパトロールカーが夜の工場を赤く照らされている。

 深夜もあってか、野次馬は少ない。代わりに警察官の出入りが激しい。そのなかで直子はゆったりと歩いて、警備をしていた男に警察手帳を見せ、黄色いテープの向こう側に足を踏み入れる。


 「あっ、直子さん遅いですよ!」

 「直子さん言うな。四川先輩と呼べって何回言えばわかるんだ」


 「だって四川先輩って呼びにくいし……」ともごもご言う後輩、相場あいばアキラは直子にメモ帳で叩かれる。


 「取り敢えず状況を教えてくれ」


 直子は取り出したメモ帳を開く。先ほどのゆったり、やる気のない表情に反して、直ぐに刑事の顔になる。


 「被害者の名前は人羅にんら賢治けんじ。25歳の商社マン。持ち物や財布等から見て、窃盗目的の犯行ではありません」

 「死亡原因は?」

 「後頭部が陥没しているようで、頭を殴打された形跡があります。多分それが死亡原因はそれです。あと……」


 顔を上げてちらっと直子の立っている場所の向こう側を見る。

 直子は察した様で、直ぐに後ろを向く。そこにはブルーシートが何かに覆い被さっていた。

 ブルーシールの周りにあるコンクリートは水浸しだ。

 無言でブルーシートの前に立つ。そして捲り中身を確認する。


 「ああ……これは酷いな」


 そう呟いて、息を飲む。

 そこには被害者、人羅賢治の死体があった。


 顔の皮を剥ぎ取られ、筋肉の筋が丸見えだった。


 ● ● ●


 人羅先輩ですか。 恨まれるような人ではないです。むしろいい人ですよ! 殺されるのがおかしいぐらいです。僕が見たなかでは電車で妊婦さんに座席を譲ったり、目の不自由な方に手を添えて道案内するぐらい、他人にも優しい人でした……。


 人羅君かね。彼はとても商社マンとして成績優秀で、今年の最優秀賞候補だったのに……。悲しんでいる取引先は沢山いるよ。気遣いもできて、後輩の面倒もちゃんと見ていて……。ああ、失礼、この歳になると涙腺が緩んでしまってね……。


 人羅さんですか……。本当に、とても良い人で……。え、恨まれるようなこと? ないですね。でも女性陣からとても人気ですけど、婚約者がいたみたいで……。悔しがる人は沢山いますけど、逆恨みのような人は聞いてません。え、婚約者さんですか? この会社の社員さんではありませんよ。なんでも大学時代から? の付き合いらしいですよ。


 ● ● ●


 相場は唸っていた。被害者――人羅賢治の勤務先の駐車場。運転席に相場、助手席に直子がいる。


 「凄くいい人っていう印象しか聞いていません!」

 「先輩後輩、同僚上司、赤の他人ですら優しいんだ。嫉妬心よりも憧れの眼差しが強いな。婚約者との関係性も『彼が幸せになる女性なら温かく見守ろう』という。周りにそんな空気を出せる人間というのは中々いないもんだぞ」

 「そうですね……。聞いている俺が幸せになってほしかったって思う人ですもん……」


 相場はしみじみ言う。

 対して直子は聞き込みの内容を書き留めていた。


 「やっぱり女性による嫉妬心でしょうか……?」

 「あり得ないなぁ…」

 「えっ?」


 メモ帳から目を離さず直子は呟く。


 「女性による殺人なら、最初は被害者の後を追う。その後、婚約者に会う被害者を見つける。次はその婚約者を狙い、殺す」

 「えっ、なんでそう思うんですか?」


 驚いた顔をする相場。



 「私だったら力が強い男じゃなくて、一発で殺れる女を狙う」



 後輩の顔も見ずに、しれっと語る直子。


 「……一旦署に戻りましょうか」

 「ああ」


 寒気がした相場は車を動かし始める。この人を敵に回してはいけない。

 そんな相場の様子なんて気にすることもなく、車内からの景色を見ながら呟く。


 「お腹すいた」


 ● ● ●


 「お、直子! お帰り」

 「……熊田先輩」

 「俺も担当になったからな! お互い頑張ろうな!」


 直子の背中をバンバンと叩く熊田に対して、「いつものことか」と言うように特に反応はない。

 熊田くまだわたるは名前の通り、直子よりも背が高く、胸筋が発達している。熊田の名に恥じぬ熊のような男だ。


 「おっ! お前が直子の担当か! 宜しくな!」

 「お、お願いします……」


 相場は熊田とは初対面だった。熊田の大声に恐縮し、熊田の強い力で背中をバンバン叩かれる。直子と違い熊田に聞こえないように「痛い痛い……」と呟いてしまう。


 「直子には苦労させられてるだろ?」

 「……! わかるんですか!? いてっ!」


 今まで何も喋らなかった直子が相場の足を蹴る。不機嫌な様子だ。


 「お前ら被害者の会社に聞き込みだろ? こっちは工場内部調べていたんだわ」

 「何がわかったんですか?」


 聞いたのは直子だ。


 「まぁ、後で分かると思うが、工場内の水道高熱は通っていたんだ。いつもあそこでたむろしていた若者は18から20歳の男。6人ぐらいでいつも食べ物持ち寄ったりしているらしい。あとホースで水をかけあったりしていた。その日は若者が工場跡地を使う日ではなかったが、見回っていた巡査が水を使った跡があったらしいから、いつもの若者だと思って工場内に入ったらしい」

「……へー」


 直子はメモに書き留める。それをオイオイと熊田が制する。


「まだ正式に発表されてない内容されてないんだ。ちょっと待て」


「そういうところだぞ」と熊田に指摘されると、直子はムッとした顔になる。渋々メモ帳をポケットの中にしまうり


「取り敢えず、これで3件目だ。やり口が同じだから、これは完全に連続殺人事件ってなるな」


 ● ● ●


 工場跡地に関して、熊田の言う通りだった。

 警察側の対応にも不備がない。

 被害届の内容は「深夜に工場から笑い声等聞こえる。うるさいからどうにかしてくれ」という騒音に関してだった。

 刑事達が一番に気になっていたのは、被害者の死体。

 被害者ーー人羅賢治の死因は後頭部陥没。人羅賢治の通勤は電車で、いつも線路沿いを歩いて帰っていた。暗い場所で、人通りも少ない。そしてあの工場跡地付近を通る。

 殺害現場の特定は、人羅賢治のスーツの引きずった後から発見された。

 人羅賢治が殺害されたと思われる付近には、レンガが捨てられていた。血痕は少ない。何かに包んで殴られたようだ。陥没角度から人羅賢治よりも背が低いと予想される。

 しかし人羅賢治の身長は175㎝で高い為、身長の低い男性でも襲う事が出来る。

 その後工場跡地に引きずり、人羅賢治の口にホースを入れて、拷問の水攻めの様な行いをした。その為に周囲に水が散乱していた。

 そして顔から皮を剥ぎ取った。手慣れた様子はなく、おそらく素人の犯行だ。しかし皮を余すことなく剥ぎ取っていることから、執念は感じられる。


 そしてその『水』に関する行為は、7月13日「忍野おしの和泉いずみ殺人事件」と8月25日「服部はっとり一期いちご殺人事件」と類似していることから、これを「男性水死体連続殺人事件だんせいすいしたいれんぞくさつじんじけん」と名付け、捜査を開始することとなった。

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