おとぎばなし
夜蒼
第1話 お月さまのスープ
ヘカテーちゃんとプロメテウスさんのお話
「・・・・・・僕"たち"と一緒にくるかい?」
伸ばされたのは、所々に包帯が巻かれた痛々しい細い手のひら。
体の至るところに巻かれた包帯の隙間からは、月の光を纏った昏い瞳が覗いていた。どこまでも昏くどこまでも冷たいその真っ赤な色は、それでいてどこか、とても悲しそうだった。
どうしてあの時、クラウスの手をとったのかは分からない。
もうずっと前。私が、ずっと小さかった頃の記憶だ。もう朧気にしか覚えていない。
岩だらけの荒野。真っ暗な空。淀んだ空気。私を捨てて逃げる兄の背中。
----そして、目の前に差し出された手のひら。
私は迷うことなくあの手をとった。
それだけを覚えている。
「むか、し、むかし、あるところに、うつくしく、こころ、やさしい、しょうじょが、すんでいま、した。しょうじょの、なまえを・・・・あれ?」
「それは、Ella・・・・エラだよ。この前、教えただろう」
「でも、このおはなしは、しんでれらなんでしょう? どうして、なまえがちがうの?」
「違わないさ。元々、彼女はエラという名前があったんだよ。ここの、『Cinder』はどういう意味か分かるかい?」
「・・・・はい?」
「そうだよ。彼女は働き者だったから、いつも灰や埃で汚れていた。そんな彼女を義母や義姉は『灰かぶりのエラ』、『シンデレラ』と呼んだのさ」
「へぇー、くらうすはものしりなのね。 それじゃあ、これは? これは、どういういみなの?」
「これは、×××××」
「ふーん、じゃあ、×××××は×××××だから×××××ってこと??」
「うんうん、そうだよ。君は覚えがいいな」
「ほんとう?」
「あぁ、本当だよ。君は賢い。・・・・さて、今日はここら辺にしておこうか。君も、もう疲れただろう」
「あ、まって! わたしもてつだつわ」
くるくる、くるくる。
わたしはお鍋をかき混ぜる。一人ようの小さなお鍋だけど、ずっと混ぜているのはとってもたいへん。腕がしびれてぴりぴりして、わたしは少し手を止める。手を握ったり開いたりしていると、それを見かねたのかクラウスが代わってくれた。
くるくる、ぐるぐる。ことこと、ぐつぐつ。
クラウスのごはんは美味しいから好き。二人でたべる、あったかいお鍋はとくに。
でも、木の器にそそがれたスープは一人ぶん。差し出されたパンは一つだけ。
クラウスはごはんを食べない。前に、「食べる必要がない」っていってたから、食べられないわけじゃないと思う。かといって、食べたくない、食べるのがきらい、というわけでもないと思う。
木の器にそそがれたスープにふぅっと息を吹き掛けると、湯気がふわりと宙を舞った。まだ熱いみたいだから、パンをスープにふやかして食べる。昔は、こうしてあったかいごはんを食べれることなんてめったになかった。お腹いっぱいごはんを食べれるようになったのも、ぜんぶクラウスがいてくれるから。
ふと顔を上げると、ガーネットの瞳と視線がぶつかった。
いつもは深く昏い色をしているクラウスの瞳が、たき火の炎できらきらと輝いて見える。お日さまの光でだってこうはいかない。きれいなだぁとわたしは思う。
美味しいかい? と聞く声に、わたしは大きくうなずいた。
「えぇ、とってもおいしいわ。クラウスは、やっぱりたべないの?」
旅を始めてから、この人が何かを口にしたところを、わたしはまだ一度も見たことがない。
気になるものは気になるし、わたしだってやっぱりごはんくらい二人で食べたい。
「僕"たち"はいいよ。君が食べればいい」
「・・・・・・どうして?」
「食べる必要がないから」
「それはまえにもきいたわ」
「・・・・・・食べたって、意味がないからだよ」
そう言って、クラウスが立ち上がる。見上げれば、炎の煌めきはもう掻き消えて、月の冷たい光を纏った瞳がそこにあった。いつもの昏い瞳が、わたしを見下ろしていた。
「・・・・今日は冷える。もう少し、たき火をもってくるよ。君はここにいて」
ふい、と視線が反らされて、クラウスが森の中に消える。
パチパチと燃えるたき火の音を聞きながら、わたしは少し反省する。
怒らせて、しまっただろうか。いやなことを、聞いてしまっただろうか。
帰ってきたらあやまらなきゃ、と思いながら、まだほんのり熱いスープに口をつけると、あたたかくて優しい味が口に広がった。
「あったかい・・・・」
こんなに美味しいのになぁとぼやく声は、夜の闇に溶けて消えた。
一緒に食べたい、と思ってしまうのは、やっぱりわたしのわがままなんだろうか。
真っ白なスープに、夜空の月が揺らめいている。
見上げれば、欠けた月が一つにぽつんと空に浮かんでいた。
空に浮かぶ、あの人によく似たお月さまに、わたしは小さく願う。
いつもより月の光を遠くに感じたのは、たぶん、きっと、気のせいだ。
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