今日も偽りの彼女とデートする
加藤 忍
俺と彼女の休日
土曜日の朝十時、待ち合わせをした駅前に立つ大きな時計の下で彼女を待つ。服装は色々と考え冬場と言うことで黒のズボンに柄の入った白いTシャツ、よもぎ色のジャケットを着ている。
手につけている腕時計で時間を確認する。五分前、気合いを入れて彼女を迎える。
「すみません、遅れました!」
駅のホームから駆け足で走って来る女の子が目に入る。遠くから見てもスラリとした体系に似合わない大きな膨らみが少し揺れるのが見える。
黒いタイツと黄土色の厚底ブーツ、黒い短パンに赤のコートを着ている。髪型はロングの茶髪とよく似合っている。手には白い小さなバックを持っている。
彼女は半ば息切れをしながら目の前で止まった。ブーツで走るのは大変そうだな。
「いいよ、今来たところだから。呼吸が落ち着いたら行こうか」
「はい」
彼女は手を広げて大きく息を吸って吐いた。二回ほど繰り返すともういいですと言ったので歩き出した。
彼女の希望により最初はこの辺に出来たらしい喫茶に寄ることになっていた。駅からそう遠くないところらしい。
「
「そうかな?」
「そうですよ」
俺の身長は百七十前半、特に飛び抜けて高いわけでも、ましてや低いわけでもないだろう。彼女からすると高いのだろうか。
「真衣ちゃんはいくつ?」
「私ですか?私は百五十三です」
「俺と二十ぐらい違うんだ」
「誠治さんって百七十なんですね?やっぱり高いです」
大学ではそうでもないよ、と言う前に目的地の店に着いた。レトロ感のある雰囲気がいい店。店のドアを押すとカランカランとベルが鳴る音が響く。
店内はカウンターとテーブル席があり、俺たちはテーブルに向かった。四人席に座る必要はなかったので二人が向かい合える二人席に腰を下ろした。中は暖房が効いていたので真衣ちゃんはクビに巻いていたマフラーを外した。
「ご注文が決まりましたらお声をかけてください」
そう言って若い女の店員がテーブルに来て伝えた。
テーブルの端に置かれたメニュー表に目を通す。喫茶店なのでケーキやコーヒー、マカロンなどがある。ひとまずコーヒーだけでいいかなと思いメニュー表から目を離す。向かい側では真衣ちゃんは今もメニュー表とにらめっこしている。
それから数秒後、真衣ちゃんはメニュー表を閉じテーブルに置いた。
「決まった?」
「はい」
すいませーんと定員を呼んだ。はーいと言う声の後先ほど来た女の店員が駆け足で駆け寄って来た。
制服のポケットから機械を取り出して店員が注文を待つ。
「俺はブラックコーヒーで」
「私はミルクコーヒーと・・・あとチョコレートケーキで」
店員はかしこまりましたと一礼して去って行った。
この店にはマスターと店員が二人で切り盛りしているようで忙しそうに店員の女の子二人がせっせと働いている。
店の中にいるお客はまちまちだった。それもそうか。まだ十時半を過ぎたばかり、こんな時間からいるのは近所の人だけだろう。
店員の方から真衣ちゃんの方に目を向ける。少しの沈黙のせいか、体を小さく丸めていた。
「どうかした?」
顔を上げていえ、大丈夫です、と両手を振っている。
「初めてなんです。こうして男の人とこういった店に来るのは・・・」
「そうなんだ。いいよ、硬くならなくて。俺もこういった店にはあまり来ないから少し緊張しているし・・・」
「そうなんですか!?てっきり慣れているのかと・・・」
「全然慣れてないよ」
真衣ちゃんはそうなんですねと言って笑顔を見せた。きっと緊張が解けたのだろう。彼女の笑顔はどこか幼さを感じた。それもそうか、二つも年が違うんだから。
「おまたせしました、ブラックとミルク、チョコレートケーキです。ごゆっくりどうぞ」
一つのトレーで全ての品が揃った。店員がさがるとコーヒーカップを右手に持ち、口をつけた。飲んでいるとコーヒーの匂いが鼻まで届く。少し苦味のある匂い。最初の頃は苦手だったっけ、この匂い。いつから慣れたんだろう。
コーヒーカップをテーブルに置くと真衣はケーキに手をつけようとしていた。見た目は普通のチョコレートケーキだと思っていたが、ここの店はケーキの上に板チョコを乗せている。厚みのあるチョコレートを真衣ちゃんは先に口に入れた。そのあとケーキに手をつけた。
口にケーキを入れるたびに美味しそうな顔をする彼女の顔を頬杖をついて眺めていた。
「ありがとうございました」
店員の明るい声がベルの音と共に聞こえる。店を出ると日はすでにほぼ真上に来ていた。
「これからどうしましょうか?」
彼女が希望した店は終わった。腕時計を見るとまだ時間はある。この付近だと何があったっけ・・・あ!
「水族館とかどう?」
「水族館?いいですね、行きたいです」
彼女の同意のもと水族館に向かうことになった。歩いて何分かはわからないが歩いて行ける距離にあるはずだ。スマホで地図を確認してから足を進めた。
「今日行った喫茶店、どうして行きたかったの?」
水族館に向かう途中で聞いてみた。喫茶店なら他にもあるのにあそこを選んだ理由が店にいるときから気になっていた。
真衣ちゃんは少し照れ臭そうに下を向いた。
「実は友達からここはデートスポットにぴったりだよねって話を聞いて、一度行ってみたいなって」
「友達誘って行ってみたら良かったのに」
「私、学校では彼氏がいることになってて、彼氏と行けばって言われてしまったので」
「それでね」
きっとこれ以上詮索してはいけない気がした。なぜ彼女に彼氏がいないといけないのかは他人である俺には聞く権利も知る権利もないのだから。だからこの話をやめて別の話題を出そうとした。
「真衣ちゃんはおっと」
彼女の肩に右手を伸ばして引き寄せる。彼女はえ!と声を上げたがすぐに納得してくれた。後ろから自転車が二代並走して前を通って行った。学制服を着ているので高校生ぐらいだろう。背中にはリュックを背負っている。
真衣は俺の顔を見上げる。
「ありがとうございます」
「お礼なんていいよ」
彼女の肩から手を離す。真衣ちゃんは耳と顔を赤くしている。可愛らしい表情にドキッとするが正常心を保つように努力する。俺は彼女の理想でなくてはならないから。
それから水族館にはすぐに着いた。長い列に並びチケットを大人二枚購入すると中に入った。土曜日ということもあり親子やカップルがよく目に入る。
「誠治さん、ジンベイザメですよ、大きいですね」
建物の中央に設けられた大きな水槽に両手をついて眺めている真衣ちゃんは子供たちに紛れているからか、子供にしか見えなかった。そんな彼女の横にそっと並ぶ。
「ジンベイザメは初めて見た?」
「はい!この付近に引っ越して着てなかなか街を回ることをしていなかったので」
「水族館はあたりだったようでよかった」
真衣ちゃんは大きな大きな水槽を一通り見終わると次の水槽につながる通路で誠治さん早く〜!と手招きをしてくる。本物の子供のように楽しんでいる真衣ちゃんを見て笑顔が自然と溢れた。
小型の水槽でひらひら泳ぐ?クラゲって泳いでいるんだよね?どうなんだろうと思いながらクラゲとツーショットしたいと言う真衣ちゃんのスマホで写真を撮った。真衣ちゃんにスマホを返すと誠治さんも一緒にと言われ、クラゲの水槽をバックに真衣ちゃんがシャッターを押した。
「誠治さん、顔硬いですよ」
「・・・そうだな」
真衣ちゃんに指摘された通り、俺の顔は真顔に近かった。昔から写真を撮られるのに苦手だったから思うように笑えないのだ。
「もう一枚いきますよ・・・はい、マングウス」
チーズしゃないのかよって思うと笑えた。彼女なりの粋な計らいだったようだ。真衣ちゃんは二枚目の写真を見ながらこっちの方がいいですと言った。
ペンギンショウでは一匹だけ顔を下に向けて寝ていて、ペンギンを飼育委員さんが「寝ちゃってますね、起きてー」と言っていたのが面白く、見に来ていた他のお客さんと一緒に笑った。そのペンギンはショーが終わったと同時に目覚めた。
「ペンギンにもああいう子いるんですね」
ペンギンのショーが終わると真衣ちゃんがぼそりと呟いた。
「ああいう子って?」
気になりつい聞いてしまった。詮索はダメだってさっきも抑えたはずなのに。真衣ちゃんはショーのステージをじっと見つめながら答えた。
「ほかの人の空気に流されず、いつでも自分でいられる人・・・ですかね?」
「俺はそれがいいとは思わないな」
俺の言葉に真衣ちゃんはえ?とこちらを大きな目で視線を向ける。
「人ってさ、どこかで必ず誰かに救えわれているんだよね、いつでもどこでも自分勝手だといろんな人から見放される。だからそう言ったことは程々の方がいいんだよ」
なんとなく彼女に語りかけているような感じになった。でも今の言葉からすると真衣ちゃんは友達といるとき別の自分を作っているのではないかと思った。だからそんなことが口に出たのだろう。真衣ちゃんはまたステージの方を向いてそうですねと掠れた声で言った。
最後のグッツ売り場ではお菓子など買ってもどうかと思い、二人の思い出としてジンベイザメのキーホルダーを購入してあげた。真衣ちゃんは目をキラキラさせながらお礼を言ってくれるので買ってあげた甲斐があったと俺も満足した。
水族館を一周して店を出ると外は日が暮れかけ夕日が綺麗に海の向こうで輝いていた。昼食は館内のレストランで食べた。ジンベイザメカレーはジンベイザメっぽい形のカツが乗っていた。真衣ちゃんは海のパスタと名前通り海鮮系のパスタを食べた。
レストランには別の水槽が置かれており、タイミングが良かったのだろう、ダイバーさんが魚の餌を中でまいていた。
「もうすぐ時間ですね」
真衣ちゃんの声はどこか切なそうに聞こえた。時計は五時になろうとしている。彼女にかけられた魔法が後少しで解ける時間。
「駅、向かいましょうか?」
声は弱々しく、表情も少し悲しそうに真衣ちゃんは言った。夕日がそんな俺たちの背中を押す。
駅までは水族館に向かっていたときより早く感じた。
会話がはずんだからだろうか。それともただ単に歩くペースが速かったのだろうか、それはわからない。駅に着くと真衣ちゃんは左足を軸にクルンと半回転した。
「今日はありがとうございました」
真衣ちゃんは駅の前で頭を深々と下げた。そしてカバンから茶封筒を取り出し差し出した。茶封筒の中身は知っている。だからあえて中身を確認しなかった。
茶封筒をポケットに入れて真衣ちゃんの頭に手を置く。ポケ〜と間の抜けた顔になった真衣と目を合わせる。
「今日は楽しかったよ、ありがとう」
「私もです!」
駅の改札へと走って行く真衣ちゃんの背中が見えなくなるまで手を振った。姿は他の利用者によってすぐに消えてしまった。
茶封筒をポケットから取り出し中を確認した。樋口さんが二人と野口さんが三人、福沢さんじゃないのは何かあったのだろう。お金を再び茶封筒に入れてポケットに収める。
俺の仕事はレンタル彼氏。彼女の方が多く耳にするかもしれないが。彼女に比べると安いと思う。指名料、契約料、交通費、デート代など諸々ある。
こんな仕事をはや一年している。何回も指名してくれる子もいれば、一期一会で終わる子もいる。それぞれ利用者によって違う。
だがそれでも、俺のすべきことは利用者に幸せな時間を過ごされること。彼氏が欲しい人、彼氏に振られて落ち込んでいる人、真衣ちゃんはどっちだったのか、それともそれ以外なのか、それを詮索するのはタブーだ。もちろん本人が話せば別だけど。時々いるんだよな、なんで利用したのか話す人。
「さて、明日の準備をしますか」
夕日が沈んだ街に明かりが灯る。車にもライトが点灯し始めた。綺麗な景色の中、さっき来た道を今度は一人でゆっくりな足取りで引き返した。
今日も偽りの彼女とデートする 加藤 忍 @shimokawa8810
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