馬超5 卒す      

劉備りゅうび漢中かんちゅう王を自称すると、

馬超ばちょうは左将軍に昇進。

左、つまり東部方面の総指揮官となった。


また劉備が皇帝位に就くと、

驃騎ひょうき將軍となり、涼州りょうしゅう牧とされ、

郡の鄉侯に封じられた。


とは言え翌年に馬超は死亡。

47歳だった。


死に際し、劉備あての遺書には

こうつづられている。


「臣の一族二百人余は、

 そのことごとくが曹操そうそうに殺され、

 臣以外では、いとこの馬岱ばたい

 残る程度でした。


 僅かなる我が宗門を受け継ぐ者として

 馬岱のこと、

 よろしくお頼み申し上げます。


 それ以上に、

 申すべきことはございません」


馬超には侯と諡され、

その封地は子の馬承ばしょうが嗣いだ。


また馬岱は、のちに平北將軍、

陳倉ちんそう侯に封爵された。


馬超の娘は、安平王の劉理りゅうりに嫁入りした。




先主為漢中王,拜超為左將軍,假節。章武元年,遷驃騎將軍,領涼州牧,進封斄鄉侯。二年卒,時年四十七。臨沒上疏曰:「臣門宗二百餘口,為孟德所誅略盡,惟有從弟岱,當為微宗血食之繼,深讬陛下,餘無複言。」追諡超曰威侯,子承嗣。岱位至平北將軍,進爵陳倉侯。超女配安平王理。


先主の漢中王と為れるに、拜して超を左將軍、假節と為す。章武元年、驃騎將軍に遷り、涼州牧を領し、斄鄉侯に進封す。二年に卒す、時に年は四十七。沒するに臨みて上疏して曰く:「臣が門宗の二百餘口、孟德が為に盡く誅略さるる所と為り、惟だ從弟の岱のみが有り、當に微かな宗なる血食の繼たらんと、深く陛下に讬ちたれば、複た餘言無し」と。超に追諡して威侯と曰い、子の承が嗣ぐ。岱が位は平北將軍に至り、陳倉侯に進爵す。超が女は安平王の理に配さる。




領涼州牧,進封斄鄉侯

 涼州はこの時蜀の支配下ではない。

 言ってみれば「涼を手に入れろ、

 手に入れたら、領地としてやる」

 的な意味合いになる。


 また、斄は馬超の本籍地付近。

 つまり、やはり蜀の領地ではない。

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