身長が伸びる宇宙服

ねい

第1話


「くそー、どいつもこいつも俺を見下しやがって」


 レッド総帥は荒れていた。


 彼は大きなコンプレックスを抱えていたからだ。


「なぜこの俺が低能なやつらを見上げねばならんのだっ!」


 彼の横を誰かが通り過ぎる。誰かの人影は、総帥に降り注ぐ太陽の光を簡単に遮った。その現象は、彼のそばを人が通り過ぎるたびに起こった。


 それが許せなくて、彼は、隣を通り過ぎる人物を睨み上げた。


「・・・?」


 睨まれた人物は、怪訝な表情を総帥に向けて、そそくさとその場を立ち去った。


「ちくしょうっ!あいつ、なんだこのちっこいオッサンは?と思いやがった!そういう目をしていたっ!」


 総帥は、手にしていた鞄を地面に思い切り叩きつけた。それはただの被害妄想だったが、その出来事で彼のコンプレックスは刺激されてしまったのだ。


 そう、彼は身長が低かった。


 成人男子の平均身長より、ずいぶんと身長が低かった。


 誰と話すにしても見上げなくてはならないし、満員電車は息が詰まる。たまに見かける同じ目線の人間といえば、小柄な女性か小学生くらいである。それが彼のコンプレックスだった。


「全部この身長が悪いんだ!俺の身長が高ければ俺はもっと尊敬されていたし、オレンジに振られることもなかった!」


 オレンジとは、彼の好いた女である。彼は小一時間前、彼女に振られたのだ。


「俺の身長さえ高ければ・・・!」


 彼は強く強く奥歯を噛みしめた。

 

 彼が振られた原因は、その歪んだ性格に負うところが大きかったのだが。


 そのとき、彼の横にぬっと顔を覗かせる者がいた。


「良い商品がありますよ、総帥」


「うおっ!?」


 現れた冴えない男は彼の付き人だった。レッド総帥は身長こそ低かったが、社会的な地位はあった。東証第2部上場企業のトップであり、自らを総帥と称していた。彼はコンプレックスを払拭するために努力を重ねてきた。しかし、いかに社会的地位を向上させようと彼の身長が伸びることはなかった。


「商品、だと…?」


 懐疑的な視線を向けた総帥に、グレイが不敵な笑みを浮かべる。


「これです」


 でんっ

 

 いつのまにか、グレイの隣にスライド式の衣類ハンガーが現れた。


「なんだそれは?」


「身長が伸びる衣服です」


「なに…?」


 衣類ハンガーには、頭も含めて全身を覆い尽くす形状の仰々しい銀色の衣服が数着並んでいた。それらは果たして衣服と呼んで良いのだろうか。見た目はほとんど宇宙服だった。


「なんだこれは…?」


「身長が伸びる衣服です」


 グレイは同じ答えを重ねた。


「それはさっき聞いたことだ。俺にはただの宇宙服にしか見えん」


「ところがどっこい、この宇宙服には秘密がありまして」


 グレイは答えを溜めた。


 「ほう」と、レッドは続く答えを待った。



「身長が伸びるんです」



「だからそれはさっき聞いたわ!」


「いいから着てみてください」


「…?」


 レッドは懐疑的な視線を向けながらその宇宙服に袖を通した。


「なにも変わらんではないか」


「そうでしょうか?」


「むっ!?」


  レッドは数秒して唸った。


「お前、小さくなったか?」


「お気づきになられましたか」


 グレイはレッドを慧眼だとばかりに褒めた。


「ああ、この宇宙服の中は、重力がない。俺は浮いているということか?」


「いいえ、違います」


 グレイは断言した。


「総帥、宇宙服は、着用者の身長よりも大きく作られているという事実をご存知でしたか?」


「…無論だ」


 総帥は答えた。知らなかったけれども、無知を知られたくないという見栄っ張り特有の間があった。


「さすがです、総帥。では、ご説明は不要かと思います。答えは総帥ご存知のとおりです」


 グレイは引き下がろうとした。


「ええい、待て待て。お前も俺が知らなかった時のために準備をしていただろう。せっかくだから説明させてやる。」


「ありがとうございます」


 グレイは不敵な笑みを浮かべてお辞儀した。彼は総帥の性格を熟知していた。


「人間の身長は宇宙空間へ行くと伸びるのです。人の脊椎には骨と骨の継ぎ目に軟組織があり、重力その他もろもろの力で普段は押しつぶされているからです。無重力状態においては―――」


「それが押しつぶされなくなると?」


「さすがです、総帥」


「なるほどな、この密閉された衣服で身体を覆えば、常に身体を無重力状態における。そして、身長が伸びる。そういうわけか」


「Yes, sir」


 グレイはやたらと良い発音でそう答えた。


「く、くはは、良い、良いではないか」


 総帥は込み上げてくる笑いを抑えることができなかった。


「これを使えば俺の身長は約5cm伸びる。視線の高さからそのはずだ。いままで俺を見下しやがっていたやつらを見下すことができる!すばらしい!すばらしいぞグレイ!」


 5cm伸びたところで、人の身長は大して変わらない。高揚感というものは、ときに現実を忘れさせるのだ。


  総帥はポケットからカードを取り出した。


「買おう」


「ありがとうございます」


 グレイはカードを切った。


「では、さっそく世間の俗物どもを見下しに行くか」


「御意」


 く、くっくっく、あーはっはっはっ


 まるで世界を手中に収めたかのような豪快な高笑いが、その場に響き渡った。




     ○




 ざわざわ、ざわざわ。


 雑踏の中、宇宙服に身を包んだ異様な男と痩身かつ顔色の悪い男が並んで歩いている。彼らは雑踏の注目のマトだった。もちろん、その二人とはレッド総帥と付き人グレイである。


「ふっ、社会的地位と潤沢な預貯金に加えて高身長まで手に入れてしまったこの俺をみんな見ているな。当然だ、無視できるはずがない。俺は生まれ変わったのだ。男は総じて俺を羨み、女は総じて俺に惹かれる。俺は全人類の憧れの的となった」


「すばらしいです、総帥。地球征服も夢ではありませんな」


「まったくだ。あーはっはっはっ!」


二人は威風堂々と雑踏の中進んでいく。そこには、まるで時の皇帝がその場を歩いているようにポッカリと道が開き、人々は、そこを通る二人を見送るように足を止めた。雑踏の献身的な態度に二人は深く満足した。




     ○




雑踏の中のささやき声。


「おい、なんだあれ?」


「コスプレ?」


「やだ、こっちに来る・・・」


「ねえ、ママ、宇宙服ー!」


「しっ、見ちゃダメ・・・!」


二人の姿は、不審者以外の何物でもなかった。雑踏の人々は、不審者から離れるように距離を取る。そして好奇心から足を止めてその後ろ姿に目を移す。舞い上がった二人がそれに気づくことはなかった。

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