遺言
椎名千尋
第1話
会社に辞表を出した。
十年勤めた整備工場を辞めたのだ。
理由はこれと言ってないが、十年一区切りのつもりと、親友の緋村孝雄の死も関係あるのかもしれない。
緋村は探偵で、ある事件を調査中に背後から拳銃で撃たれ、妻の沙知代と一人息子の孝文を残して逝ってしまった。
俺の心にもぽっかりと穴が空いてしまった気分だ、出来るなら復讐してやりたい、そんな気持ちもあった。
俺は特に事情聴取もされなかった。
マンションに戻ると、仕事で使っていた参考本や書類を捨てたが工具箱だけは捨てきれずにいた。
貯金は多いのか少ないのかわからないが、あまり派手な遊びはしなかったので退職金を合わせて一千二百万円あった、暫く働かなくとも食って行けるだろう。
緋村から探偵のいろはは教わっていたが、俺には向いていない気がして整備士を続けていたのだ。
緋村の口癖だったのは。
「頭脳派の俺と肉体派のお前が組めば最強じゃないか」
だった。
俺は学生時代いろいろな格闘技を習っていた、どれも広く浅くだったが強さには自信があった。緋村は興味なさ気に帰宅部だった。
残された沙知代と孝文は保険金で何とかやっていけるだろう。
翌日、緋村の家に行き線香をあげた。
「俊輔さん、ありがとう」
沙知代はやつれていた、孝文もお父さんはもういないって事を理解しているようだ。
「そうそう、俊輔さん主人から俺が死んだら荒木に渡してくれって、預かり物がありますの」
カバンが一つ渡された、その場で開け中身を確認したが、緋村の調査中の書類のようだった。
「警察には渡さなかったんですか?」
「ええ、隠しておくようにと言われておりましたから」
とりあえず中身を戻し家に持ち帰った。
家で中身を細かく見る、難しい書類ばかりでさっぱり分からなかったが、俺宛に手紙が一通入っていた。
「荒木、これをお前が読んでいるって事は俺は死んだんだな、俺に変わって事件を解決して欲しい、依頼主は姫野徹って男だ、盗まれた物を回収して欲しい、簡単な事件のようだがヤクザが絡んでいる、頼んだ」
これだけじゃ全然内容がわからないし、ヤクザが絡んでいるなら御免被りたい。
しかし、死んだ緋村の遺言だ、何とかしてやりたい気分もある。
姫野徹の会社や住所や電話番号の書いたメモもあった。不動産を経営しているようだ。
三日ほど考えた、三日目の夜のニュースで姫野徹が殺害された事を知った。
どんな男だったのか見るため葬儀に行ったが、大豪邸で結構人は多かった。受け付けで名前を書き葬儀の列に入る。頑固そうな五十代程の男の写真が飾られている。
帰ろうとしたら女性から声を掛けられた。
「もしかして荒木さんかしら」
「ああ、俺が荒木だがあんたは?」
「申し遅れました、姫野由香里といいます」
かなり疲れた表情をしている。
「何で俺を知っている?」
「私は緋村の従兄弟です、写真を見た事があったのですぐにわかりました」
「で、用事は何かな」
「はい、緋村が今回の依頼で俺が失敗したら荒木が何とかしてくれると言ってました」
「俺は探偵じゃないし、警察に頼んだ方がいいんじゃないか?」
「警察にも言いましたが、父の殺害の捜査で忙しいみたいで話も聞いてくれません」
父と言うことは娘か、整った顔立ちをしている。
「俺が緋村の依頼を受け継ぐとでも思っているんだったら、申し訳ないが断るよ」
手を挙げ家に帰った、断ったものの緋村を殺した奴は許せなかった、例え相手がヤクザであってもだ。
翌日の朝、由香里がマンションまで来た。
仕方ないので家に入れてやりコーヒーを出す。
改めて名刺を出された。副社長と書いてある。
「あんた母親はいないのか?」
「はい、肝臓病で数年前に亡くなりました」
「って事は今度はあんたが社長か?」
「そういう事になります、改めて昨日の続きを話したくて来ました」
「俺は探偵じゃないぞ、元整備士だ」
「元、って事は今はお辞めになったと言う事でしょうか?」
「そうだ、仕事に飽きたんでな」
「では、是非昨日の件引き受けてくれませんか? 報酬は出します」
「受ける受けないに関係なく、俺は緋村の仇を打ちたい」
「それは引き受けてくれるって言ってる事と同じですわ」
「俺は俺なりにやるだけだ、それでもいいなら引き受けよう」
初めて由香里が笑顔を見せた、笑顔の似合う美人だ。
「緋村のカバンは預かっているが訳がわからない、一体どういう事件なのか教えてくれ」
「では、今夜お食事でもご一緒しません?」
「それは構わないが、事件の事を教えて貰えるんだろうな」
「ええ、私の知っている事は全部お話致します」
「わかった、ところであんた独り身か? 旦那や彼氏は?」
「独り身です、旦那も恋人もいませんわ、だからお誘いしたのですが、荒木さんは? もしいらっしゃるようならご迷惑かしら?」
「俺もいない、お互い独り身なら喜んで食事でも何でも大丈夫だな、店は任せる俺は食えれば何でもいい」
「わかりました、今からお仕事なので終わったら車で迎えに来ます」
と言うと由香里は立ち上がった、ここでの話は終わりということか。
玄関まで見送った。
事件の事は今夜わかるだろう、今は考えるだけ無駄だ、昼寝をして時間を潰した。
携帯の呼び出し音で目が覚めた、おそらく由香里だろう、確認もせず電話を取る。
「寝起きの声ですわね」
由香里は笑っていた。
「起きて悶々と考えていても埒が明かないんでな、緋村のカバンの書類もよくわからんからな」
「そう、緋村のカバンは荒木さんが持ってらしたのね、仕事が終わったので今からお迎えに行かせて戴くわ」
「わかった、準備しておくよ」
電話を切ると、服を着替え表に出てタバコを吸って待っていた数分でポルシェに乗った由香里がやって来た。車に乗り込む。
「どこへ連れて行って貰えるのかな?」
「もう予約入れてるのでそこへ」
「タバコを吸ってもいいかい?」
「いいわよ、父が喫煙者でしたから煙には慣れてます」
父を亡くしたのに陽気な感じだった。数分で豪華なレストランに到着した。
店内は落ち着いた感じで豪華なレストランだった。
「今夜は私の奢りよ、好きな物を好きなだけ頼んで頂戴」
メニュー表を見ながらステーキを注文し、ウイスキーも頼んだ。由香里はスパゲティとサラダを注文した。
「さっきから気になっていましたが、そのカバンは緋村のカバンかしら?」
「そうだ、念のため持って来たんだ、見てもらえるか?」
「拝見します」
と言い、カバンの中を見始めたが。
「この書類ではあまりわからないわね、この荒木さん宛の手紙も見ていいかしら?」
「ああ、構わんよ」
食事が運ばれてくる、分厚くて肉汁が滴った大きなステーキだった。同時に由香里も読み終えたらしくカバンに書類を戻した。何か言おうとしたが手で制し。
「重要な話は食ってからにしよう」
「わかったわ」
「ところであんたの親父さんが殺されて間もないのに、よく平然としているな」
「父とは仲が悪かったの、父はお金の為なら悪どい事も平然とやっていたわ、私はそんな事は反対したんだけど聞いても貰えなかったの。それに私はあんたじゃなく由香里って名前があるのよ」
「悪かった、おれは俊輔だ。三十歳だ」
「私は二十八よ、近いわね」
「由香里は美人の部類に入ると思うが、何で男を作らないんだ?」
「ありがとう。言い寄って来る男は結構いるわ、けどみんなお金か体が目当てだし普通過ぎて興味が湧かないのよ」
「金目当ての男は危ない、しかし普通でいいじゃないか、普通の何がいけないんだ?」
「説明しづらい質問ね、簡単に言うと刺激が足りないのよ」
「難しい女だ」
話してる間に二人共食事を終えた。
「さて食事も済んだ事だし、話を聞こうじゃないか」
タバコに火を付け、由香里の言葉を待つことにした。由香里は少し間を開けて話し始めた。
「駅近くのの大型のショッピングセンンターが閉店したのは知ってるわよね? あそこの土地を安くで買い上げたのが父なの、駅前だから高く売れるって言ってね、でも買い上げたうちの三分の一を地元のヤクザが奪って行ったの、うちには三分の二しか残らないの。それを奪い返す為に緋村を雇ったのよ、元々はうちの土地だし。だけど残り三分の二まで奪おうとヤクザの方も必死みたい、凄い金額で売れるから、奪い返そうとして調査をしてた緋村が殺され父も殺されて、残りは私だけ私が殺されれば残りの権利書もヤクザの手に渡るかもしれないわ」
黙って聞いていたが、話が終わったので灰皿でタバコを揉み消した。
「島村組か、あそこは経済ヤクザで荒っぽい事はしないと聞いていたが」
「よく知っているのね」
「小耳に挟んでただけさ、しかし島村組は荒っぽい事もやるんだな。で緋村と親父さんのなし得なかった事を俺に代わりをやれと、そう言う事だな?」
「ええ、そのカバンの中の緋村も代わりに頼むって書いてあったわ、お願い助けて」
さっきまで陽気だった由香里が初めて涙を見せた。
「緋村の仇を打ちたいと言う気持ちに揺らぎはない、どこまで出来るかやってみようじゃないか、由香里はサポートをしてくれ」
「サポート? うちの顧問弁護士くらいしか味方はいないわ」
「それでいい、俺が失敗したらどうしようもないけどな」
「俊輔さんが失敗したら、私も多分殺されるわ、私の命を捧げるわ」
「わかった、ただし俺は緋村に探偵のいろはは教わっているがプロじゃない、初めての探偵業だそれだけ肝に銘じておいてくれ」
「わかってるわ、何だか少しだけ安心した気分だわ」
由香里はもう泣いてはいなかった。
「一つだけ教えてくれ、島村組はどうやって三分の一の権利書を奪って持っているんだ? そこがわからない」
「あそこの土地は広いでしょ? 土地の権利も三つに分かれていたのよ、で最後の三分の一の契約の時にヤクザがうちの社員に扮して奪って行ったのよ」
「なるほどね、ようやく事件が見えて来た、簡単な様で難しい事件だな。今日はここまでにしておこう」
由香里も落ち着きを取り戻していた。
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