3-9
タバコの煙を吐き出せば、祭りの余韻の残る空気を一瞬けぶらせた。
私は今部屋に一人きりだ。扉を一枚隔てた風呂場からパシャパシャと水温が聞こえてくる。
窓枠に体を預ければ、傾いだ体が地面を見下げた。
まだ上機嫌な人たちが徒党を組んで時折歩いていく。まるで現実のように感じられなかった。
また肺に入れた煙を吐き出す。白くかすんだ視界に、自分が無意識に呼吸をしていることを感じさせられる。
一人になると考えるのはいつもあの子たちのことだ。それとも、忘れないことをどこかで贖罪とでも思っているのだろうか。忘れられるわけがないのに。
すっかり短くなってしまった煙草を灰皿に押し付けて窓枠から離れた。
手元には私のカバンが一つだけある。すっかり中身が減って情けない姿になったそれに煙草の箱を戻した。
魔導書や水筒の類は今はニコが管理している。本人が「俺が持つ」と言ってきかないので好きなようにさせていた。
今まで女々しく保管していた魔物用の首輪もとうとう売り払って、私は名実ともに魔物使いではなくなったというわけだ。
良いタイミングだった。などとは思うつもりもないが、何時かやめなければいけない時が来るのもわかっていたのだ。魔力の少ない私では不可視魔法を使い続けるのには限界がある。いつか魔力が底をついた時、待っているのはきっと同じ運命だった。
仲間を、家族を失う瞬間。彼らは裏切られたと思っただろうか。自分の身も守れないようなものに服従させられていたのだと、そう思っただろうか。目を瞑ると、今でも脳裏に彼らの絶命の瞬間を見る。夢で、無残な姿の彼らが私のことを凝視している。
オークのユークが絶命する直前、私を振り返ったのが忘れられない。
ありもしない視線を振り払うように頭を振って小さく息をついた。
その時、キャビネットの上に置き去りにされた魔導書が目に入った。風呂に入る前にニコが熱心に読んでいたものだ。新しいものを買ってあげたのに、まだそちらには手を付けていないようだった。
おもむろにそれを手に取ってパラパラとめくる。その拍子に、視界にふわりと白いものが映った。
はっとしてそれを死線で追いかければ、白くやわらかな羽毛がはらはらと落ちていく。
どこかのページに挟まっていたのか、あれはハルピュイアのアルフィスの羽だ。
ふわふわ、と窓から入る風に遊ばれて羽はとうとう動けないでいる私の膝の上にすとんと降りてきた。
柔らかな羽毛を掴むこともできなかった。怖かった。卵の頃から育てたアルフィスを、私は恐ろしいと思っていた。羽毛に埋もれて寝た日もあった。全身羽毛に包まれた、手のひらに乗るくらい小さなころから育ててきているのに、その温かさも、柔らかさも覚えているのに。
視界がぼやけてボロリと頬を伝っていった。ポタ、ポタ、と落ちていったものが、洋服に丸いシミをつけたのを見て、ようやくそれが涙だと気が付く。
情けなくしゃくりあげて、出てきた涙に少し安どしている自分がいた。
泣けた。ようやく泣けたのだ。あの子たちのために。泣けば少しは悲しんでいるように見えるだろうか。誰のために悲しんでいるのか、もうわからない。私は私のために泣いているのか。別れを悲しまなければならない。悲しんでいるように見えなければいけならない。
泣いている意味も自分の心もわからなくなって、嗚咽にまた苦しくなった。
そもそも、あの子たちを亡くしてもっと引きずるのではとと思っていたはずなのに、案外ケロッとして、ニコに魔法を教えている自分がいたことに驚いていたのだ。
ニコのため、ニコが、ニコに――彼に全部あてこすって、現実を見ないようにしていたのではないだろうか。
落ち込みはしたが、ちっとも悲しんでいなかった自分にようやく気が付いて愕然とした。なんて酷いことをしたんだろう。
結局は自分のことでいっぱいいっぱいなのだ。
自分だって、大嫌いな自分勝手な人間なのだと思うとさらに悲しくなった。
とめどない涙は、今は悔しさだ。
初めはアルフィスやあの子たちのことで泣いていたのに、今は自分のことで泣いている。
自分勝手なその考えがますます嫌になった。塞ぐ気持ちにまた現実を見ないつもりかと半ばあきれる。
だが、涙は止まらなかった。
とめどなく流れる涙に、シャツの袖口がびしょびしょに濡れた。しゃくりあげる呼吸を押さえるように、ベッドの上に蹲る。
自分勝手な自分を知られるのが嫌で声を殺して泣いた。
いつの間にか、背中をさすってくれる温かい手に気が付く。
どれくらい泣いていたのか、ニコが隣に寄り添って私の背中を呼吸に合わせるようにして撫でてくれる。何度もしゃくりあげて酷く乱れた呼吸を落ち着かせるように、温かい大きな手が私の背をさすった。
悲しいことがあると先生が時々そうしてくれたのをどうしてか思い出して、もう我慢なんてなんてできず、今度は声を上げて泣く。ニコに体を寄せれば、彼は力強く抱きとめてくれた。
「ごめんね、ごめんね。謝るしかできないの、ごめんね」
嗚咽交じりの懺悔を、彼は黙って聞いていた。
「私、何もしてあげられなくって。殺しちゃった。私のせいなの。私が全部悪いの」
責める声を咎めるかのように、ニコの腕に力が入る。声尾を詰まらせた私を、ニコはどんな目で見ているのか。
「みんなを殺したのは私なの。あの奇形の四足竜を追ったところで、何にもならない。恨んでくれたらいいのに。憎んでくれてたらよかったのに……」
「そんなこと、誰もしないよ」
「そんなわけない」
私が首を振れば、彼の腕にさらに力が入った。
「私、恨まれて当然なのよ。自分勝手で……どうして……っ」
しばらく、胸のつかえを語り続けた。要領も得ず、とりとめもない断片的な話を、ニコはそれでもじっと黙って聞いていてくれた。
そのやさしさが、痛かった。
嗚咽がようやく止んだ頃、ニコはゆっくりと私の体を放す。
黒い瞳が痛々し気に細められていた。
「エマが満足するまでしてみればいいじゃないか」
彼のそんな言葉が心に刺さる。
満足なんてどこにもない。私は自分がしたいこともわからないのに。それに、道半ばで亡くしてしまったあの子たちの気持ちはどうなる。
収まるところを見失うのではないだろうか。
「それじゃダメなのよ。あの子たちの気持ちが収まらないじゃない。きっと」
「人の気持ちなんて誰にも分らないよ」
ニコの言葉で気持ちがこみあげる。
「わからないの。分からない。わたし、どうすればいい?」
見上げれば、彼も泣きそうな顔で私を見ている。
「大丈夫だよ。エマ。俺に魔法を教えてくれるって言っただろ?」
その言葉ようやく今まで自分がしてきたことに気が付いた。今まで弟子を取ることだってあんなに拒んでいたのに、ニコにこんなに熱心に構うのは、早く忘れたいと思っているからだ。
他のことにかまけて忘れられるような懺悔なら、もうとっくに忘れられるものなのに。
私のせいでみんなを殺した。
その事実をまざまざと突き付けられる。胸がぎゅっと締まった。
絞りだすように、涙がまたボロボロ溢れてくる。
「私のせいでみんな死んだ。私は魔物使い失格だ」
「みんなって?」
「私には仲間がいた。ニコと出会った日の事よ。あの四足竜に全員殺されて……」
「じゃあ、エマは……」
「私一人が生き残ったの」
他のすべてを犠牲にして、自分だけが生き残った。
その懺悔を、償いを私は何もしていない。してあげることも、するべきことも見つからず、ただ右往左往しているだけだ。
「誰も生き残ることが悪いことだなんていわないよ。でも、死ぬことが悪いとも俺は思わない」
「じゃあ、誰が悪い? 私が悪かったの?」
「誰も悪くない。誰かが生きて死ぬことに、正も悪もあるものか。どんな聖人だって悪人だって、死ぬときは死ぬ。生まれてくるときは生まれてくる」
ニコがまた私の体をぎゅっと抱いた。
「君のこと恨むような人がいるなら俺が許さない」
痛い位に抱かれるそれが、罰のようにも感じられた。
ニコはきっとそんなつもりではない。
やはり私は自分勝手だ。
自分勝手な自分がますます嫌いになった。
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