3-3

「もし時間があるならお茶でもどうかな? 冒険者同士、情報交換をしよう」


 そんな風に穏やかに誘われる。掲示板はとりあえず舐めるように見れたので、「ええ、臨むところだわ」と返事をして席についた。

 ニコが視界に入るところに座ってくれるところに彼の優しさを感じる。


「出身は?」


 なんて他愛のない話が始まった。


「タニア・アレスカよ」

「へぇ、じゃあ魔法使いなのも納得だ」

「あなたは?」

「生まれはセネリアテイルだ」

「ああ、セネリアテイルね」

「知ってるの?」


 私が頷けば、彼が僅かに眉を上げる。意外とでも言いたそうだ。

 セネリアテイルと言えば、昔は優秀な魔女や魔法使いが多く輩出された国である。十数年前の魔法に起因する災害で大きな打撃を受けたと聞いているが、今でも時折かの国出身の魔法使いを見かける。


「セネリアテイル出身の友人がいるわ」

「その人も魔法使い?」

「いいえ、あの人は多分……魔女ね」

「そうなんだ」


 故郷の話が懐かしかったのか、彼はなぜかほっとしたような顔をしていた。

 戦士がまたちらりとニコの方を見やる。

 壁際の彼はとうとう進退窮まっているようだった。

 私がその様子を見て肩をすくめれば、彼が穏やかに笑う。


「彼も若いけど、君も随分若いね。弟子をとるには早いんじゃないか?」

「まぁ、成り行きでね。私もまさか、この年で弟子をとるとは思わなかったわ」

「魔法使いや魔女ってどうやって弟子を見つけるの?」

「うーん、どうかしら。人それぞれよ。旅の中で見つける人もいるし、自分の子供を弟子にする人も少なくない。あとは、孤児を引き取る人とかもいるけど……」


 そこでハッとして口をつぐむ。ニコと私の関係性を探られては困る。ここ最近はニコがよく話を聞いてくれるので、しゃべりすぎてしまったと反省した。

 話を変えようと、今度は私が水を向けた。


「あなたの方こそ一人旅なの?」

「仲間とはこの間別れたばかりでね」


 眉根を寄せて笑うその表情がそれ以上聞くなと言っているようにも感じる。

 返事は頷くだけにとどめておいた。触られたくないものは誰にだってある。含みのある言いかただったが、お互いにそこまで踏み込んでいいほどの関係性ではないのだ。

 だが、彼は私と同じように別れを経験しているのだろう。ちょっとだけ自分と重ねてしまって切なくなった。

 今の私にはどういう訳だか、ニコという存在がいる。

 それが大いに自分を悩ませた。

 ニコの首輪を外す方法が見つかった、と先生から連絡を受けたのに、そのことをまだ言えてないでいるのだ。意図的に黙っている。これが、ニコのためにならないのは分かっていた。

 話さない理由は、と尋ねられればまだ先生の所へ行くには金銭的に厳しい、とか。四足竜のことが諦めきれずこの地を離れがたいのだ、とか。そんな言い訳はできる。だが、それが沈黙の理由にはならないということが私自身にもよくわかっていた。

 首輪が外れるということくらい伝えたっていいだろうに。

 私は恐らく、ニコが自分の手元から離れるのを恐れている。寂しさすら感じている。

 だが、自分のエゴでニコの将来を潰すのは本当に最低だ。

 どっちみちニコに不可視魔法を教えることはできないんだから。

 私は魔女ではない。


「言わなきゃいけないことは言えるときに言った方がいい」


 そんな言葉にハッとして顔を上げた。なにか心を見透かされているような感じだった。彼のか茶色の目がすっと細められる。

 思わず気圧されて少しだけ身を引いてしまった。


「どういう意味?」

「そのままの意味だよ」


 戦士が優しく笑う。目尻のしわが深くなった。涙の筋のようにも見えた。


「後悔しないようにね。これは年上としての助言」


 彼がなぜかコツコツ、と机を指で叩いて口元だけで笑む。視線が合わないのを不思議に思いながら、「どうもありがとう」と助言を聞き入れた瞬間に、後ろからグイっと肩を掴まれた。


「エマ!」


 と焦った声が私の名前を呼ぶ。後ろを振り向けば、案の定焦った顔が私の顔を覗き込んでいる。

 目の前の戦士が挑発するようにクスリと笑った。


「邪魔みたいだから、これで失礼するよ、エマ」

「ええ、どうもありがとう。楽しかったわ。えーっと……」


 長い事話し込んでいたのに、名前すら訪ねていなかったことに気が付いて思わず自分に呆れてしまった。


「テウレだよ。テウレ・オーサス」


 立ち上がったテレウが振り返って私に手を差し出す。

 軽く握手を交わして「じゃあね、テウレ。またどこかで」と別れの挨拶を返せば、


「ああ」


 とやさしい頷きが聞こえた。

 テウレが去っていくのを目で追って、ニコが遠慮もなしに私の隣に座った。

 しばらく落ち着きなく上を見上げたり、左右を気にしたりとソワソワしてから、ようやく黒い瞳が私の方を向いた。


「なんの話をしていたの?」


 いうに事欠いてそんなことか、と思いながら「色々。旅の話とか。情報交換よ」と嘘偽りなく報告する。訝し気に近づく彼から嗅ぎなれない甘い香水の匂いを感じて、


「ニコもさっきしてたじゃない」


 なんて意地悪にも揶揄してしまった。きっとあれは彼のせいではないだろうに。放っておいた自分が悪いのだってわかっていた。

 私の言葉にニコは焦ったように、「いや、あれは、違くて……」ともにょもにょと言い訳していたが、私にとって彼の言い訳はそう重要なことじゃない。

 困り果てた顔をする彼を見て、なんで余計なこと言ったんだと思った。だが、口から出た言葉はもう今更取り返せない。

 テウレの言葉が思い出された。


『言わなきゃいけないことは言える時に行った方がいい』


 思うところは大いにあった。

 もう少し前に進むにはまだ勇気が出ない。

 ともかくは立ち上がることからだった。

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