寂れた医院の異邦人(企画用作品)

 「プロジェクト・ストラベル」という企画に参加させていただいた作品です。せっかくなので、カクヨムにもアップさせていただきます。




***




 これは、とある呪われた空間に「主人公」ロバートが訪れる前の物語。

 本当にあったかどうかは定かではないが、信じるか信じないかもあなた次第……。




 気まずい沈黙が場を支配していた。

 カップヌードルを食していた医者は、うっかりフォークを床に落とした。カランカラン、と金属が床を打つ音が、余計にその沈黙を際立たせる。


「……いきなり人前に出ちゃったじゃない。どうするのよ……」

「た、たまにはそんなこともあるよ……」


 囁き合う金髪の少女と、青い鳥。

 輝くエメラルドグリーンの瞳を持つ、焼き立てのスクランブルエッグのような髪色の少女が喋るのは分かる。むしろ当然だ。

 だが、一般的に考えて、鳥は喋らない。

 医者は数回目を瞬かせたあと、ゆっくりとカップヌードルを書類で埋もれたデスクに置いた。


「……寝るか!」


 威勢のいい言葉だった。何ら言葉を交わすことなく、医者は彼らを「疲れ果てた自分の眼がうっかり映し出した幻だ」と判断したのだ。

 清々しいまでの、ディスコミュニケーションだった。


「ま、待って! 現実よ! 私達はこの『秩序の腕輪』の力を使ってここに来たの」


 少女が必死に訴えるが、その言葉でむしろ現実から遠ざかった。

 青いマントに緑のスカートを着た美少女が、白銀のステッキを手に持ち、豊かなたてがみの青い鳥を連れている……

 その時点で、旧ソビエト連邦生まれアメリカ合衆国育ちカナダ在住の医者(29歳)には、幻覚の類にしか見えないのも致し方なかった。


「あー、なるほどね。そういうことね。まあ最近いろいろ起こったし、何があってもおかしくないね」


 よれた白衣の医者はうんうんと頷き、2人に向き直った。

 少女は丸い瞳に形の良い鼻、小さな口、透き通った肌と、おとぎ話に出てくる妖精のように愛らしい出で立ちだ。……ついでに、耳も人より尖っている。

 ……が、体型はまだまだ幼い少女そのものだ。そして、やたらと図体がでかい白髪混じりのこの医者は、根っからの子供嫌いだった。


「コスプレ好きな人も最近は多いもんね。クオリティ高いねー。その鳥くんなんか、まるでほんとに喋ってるみたいだし、いやー、すげぇよ」


 非現実を無理やり現実にねじ曲げ、医者は鉄壁の、いや、濁流のごときスルースキルを発動した。

 またしても、見事なディスコミュニケーションである。


「失礼な! 僕はちゃんと喋っ」

「しーっ、そういうことにしとくわよ。その方が話が早そうだもの。……たぶん」


 野心家という人種は、大抵は願いを叶えるために必要なものを心得ている。柔軟な対応、スムーズに交渉を進めるスキル……などなど。

 意固地になって対話の好機を見逃す手は悪手と言える。


「私は、メルロンド・アァデンフョルム。ロンドって呼んでね」

「……メルちゃんじゃなくて?」

「今はロンドって呼ばれたいわ」

「そ、そう……」


 結局、名に関するこだわりを捨てきれなかったらしい。とはいえ、名は大切なものだ。旅をしているのなら、尚更忘れてはならない矜恃がそこに秘められるもの……なのかもしれない。


「こっちはシェルフィ」

「シェルって呼んでよ」


 医者はとりあえず、白紙のカルテを取り出した。……そろそろ、情報が覚えられなくなってきたようだ。


「ええと……メルロンド……アーデン……なんて?」

「アァデンフョルム、よ」


 カルテに「メルロンド・アーデンフョルム。メルでなくロンドと呼ぶ」……と、書き留めながら、医者は再び尋ねる。


「年齢は?」

「1,023歳」

「……嘘ぉ!?」

「あ、僕は102,300,000歳だよ」

「長生きし過ぎじゃねぇかな!?」

「当然よ、世界の創造を目指してるんだもの」

「あー、それなら仕方ないね。むしろ長生き必須だよね。いや知らねぇけど」


 医者は、おそらく既に考えることを諦めていた。

 カルテに「1023歳(※ペットは桁が5つくらい違う)」と記される。

 1000歳を超えているのなら、医者の嫌いな「子供」には当てはまらないだろう。むしろ、老け顔なうえにフランケン顔だが29歳の医者よりも軽く30倍は歳上だ。


「ペット……?」


 シェルフィは不服そうに首を捻る。


「シェル、気にしないの。きっと今がチャンスよ」

「う、うーん? まあいいや……。僕達は探し物をしてるんだ『破壊の剣』とか、『創造の鏡』とか、この腕輪についていたはずの宝石とか……見覚えはない?」

「ないかな」


 鮮やかな即答だった。

 今度はメルロンドの方が、シェルフィに代わって尋ねた。


「じ、じゃあ、神人は? その道具を作った人なんだけど……」

「あ、それはめっちゃ心当たりある。やべぇヤツらなら結構知ってる」


 ようやく得られた手掛かりに、メルロンドとシェルフィはひとまず安堵の表情を浮かべる。

 だが、彼らが既に、明らかに、完全に浮いているこの世界に、果たして目的の事物が存在しているだろうか……。


「グリゴリー、外出てきてー」


 と、窓の外から声がかかる。グリゴリーと呼ばれた医者は「お、丁度いいとこに来た」と呟き、窓を開けた。


「カミーユ。首の調子よかったら入って来てくんない? お前にお客さん」

「え? 僕に?」


 亜麻色の髪の青年は、不思議そうに蒼い目を見開いた。




 そんなこんなで、診察室に人影がひとつ増える。


「なんか事情があって、神様っぽい人探してるんだって」

「どんな事情があったらそうなるの? どんな救いを求めたら神様そのものが必要になるの?」


 カミーユ=クリスチャン・バルビエと名乗った青年は事態を何も飲み込めないまま、メルロンドとシェルフィをまじまじと眺める。スケッチブックを取り出すが、何事か思案して渋々と鞄の中に戻した。


「私が神様になりたいからよ。新しい世界を作りたいの」

「あー……なんかわかる……。それはわかる……。新たなる世界への扉って常に開きたくなるよね。ドーパミンとアドレナリンがひたすら欲しくなる感じだよね……」


 メルロンドのセリフに対し、カミーユはうんうんと大きく頷いた。

 グリゴリーはカルテを見返し、メルロンドに問いかける。


「で、探してる神人? ってどんな人?」

「……シェル、確か神人って……」

「歌が上手かったはずだよ。だから、ここで歌ってもらおうよ」


 シェルフィが楽しげに発した提案に、カミーユの表情が強ばった。

 グリゴリーは、その変化で察したようだ。


 ……こいつ、音痴か。


「……オー・カナダでいい?」


 もっとも聞き慣れ、歌いやすいはずの歌を選んだのは、なけなしのプライドか否か。

 ……歌い始めて十秒後、シェルフィは「あ、もういいよ」と制止した。答えは、悲しいほどに明白だった。


「……。そんなに下手でもなかったじゃん。上手くもなかったけど」


 グリゴリーが、慰めにもならないフォローを入れる。


「恥にもならないくらいの微妙さがむしろつらいって、なんで分かんないの????」


 ガタッと立ち上がった途端、カミーユの首がぐらつく。慌てて自分の手で支え、カミーユは大きく息をついた。中性的な美貌がアンニュイな雰囲気を漂わせる。


「あ、そろそろ首落ちそう」


 端正な唇がそう告げる。まるで、ゲームで夜更かしをしたそこら辺の中年男性が「そろそろ寝落ちしそう」とでも言うかのように。


「おう、帰れ。呼びつけて悪かったな」

「ほんとだよ。こんな可愛い女の子の前でうっかりポロリしたらどうするのさ」

「……あの、何だかごめんなさいね。大変そうな時に……」


 申し訳なさそうに俯くメルロンドに、カミーユはにこやかに返した。


「大丈夫。君みたいな可愛い子にかけられる迷惑なら、たとえ死に瀕することでもアリだよ。……っていうかむしろ死に瀕することの方が興奮するかも」

「性癖の扉開く前にとっとと帰れ変態」

「そうだね、そうする!!」


 軽く息を乱した青年がそそくさと去り、再び、診察室は2人と1匹に戻った。


「さっきの人、大丈夫なの? 首が落ちそうって、大変じゃないかしら」

「いやー……アイツはそういうヤツだから……」

「そ、そう……?」


 グリゴリーはカルテに「探し人は歌が上手」と書き留め、首を捻る。人間離れした知り合いはいるが、歌が上手いとなると……。


「あー……あっちの方にちゃんと入ったらゴロゴロいると思うけど……」

「そうなんだ。じゃあ行こうよメル」

「今はロンドの気分よ」

「うーん……行かねぇ方がいいと思うなぁ……」


 グリゴリーは微妙な反応を示しつつ、ボールペンを入口の方向とは逆に向けた。


「あっち、死人がゴロゴロいるんだよ。身体乗っ取られたら大変だし、行かねぇ方がいいって」


 どうやら、メルロンドやシェルフィが思う「異世界」とはまた違った場所らしい。……それも、少し不味い空間のようだ。


「つっても、ここも半分繋がっちゃってんだけどね。さっきのアイツも首落ちそうっつってたろ」

「……ルフィ、そういう場所に神人がいる可能性は……?」

「今日はシェルの気分だよ。……うーん……いたとしても、ロンドの首が落ちるのは困るしなぁ……」


 シェルフィは勘違いしているようだが、カミーユの首が落ちるのはカミーユの肉体が損壊しているからであって、「その街」に行くと首が落ちる、というわけではない。

 もっとも、幽霊に憑依されたり自我が混濁したり、お世辞にも安全な場所とは言い難いのだが。


 ……と、コンコン、と窓を叩く音が響く。


「おい、グリゴリー・べレゾフスキー。カミーユさんに頼まれて来たのだが……。何か用か」


 次に現れたのは、赤い髪に緑の瞳の青年だった。



 グリゴリーは、2人目ともなると対応に慣れたらしい。


「よし、そこで歌ってみてくんない?」


 少なくとも、自ら突飛とも思える提案をするくらいには。


「突然どうした」

「シェル、判定頼んだわよ」

「何でもいいから、歌ってみてよ」


 今度は窓から身を乗り出す。メルロンドも、狼狽える赤髪の青年に顔を近づけた。シェルフィもパタパタと飛び、メルロンドの肩に乗る。


「……鳥が喋った気がするのだが……気のせいか? あとそこの少女、ファッションセンスは個人の自由とはいえだな……その、あー……少々、スカートの丈が短くはないか……?」


 ……そして、青年はひたすらに真面目だった。


「たぶん違うんじゃないかな。神人は細かいこと気にしないと思うし……」

「おい、細かいこととはなんだ鳥。……いや、そもそも鳥の声帯はこうも滑らかに言葉を紡げるものだったか……? 紡げたとして、肺活量を考えればこんなに長くは……」

「大丈夫よ。シェルは102,300,000歳だから」


 メルロンドの補足で、さらに彼の頭上に疑問符が踊った。


「……い、1億……!? い、いや、この土地では何があってもおかしくはない。鳥に人間の霊魂が取り憑いたと考えればさほど不思議とも言えんだろう」


 青年は一通り混乱した後、どうにか自分なりに納得できる解答を導き出した。


「僕、そんなに怖く見える……?」


 シェルフィは、霊魂扱いされたことにさすがに項垂れる。


「……例えばの話だ。だがな、生憎と俺は外見で他者を判断する性質ではない。どのように愛くるしく見えようが、……優しそうに見えようが……おぞましい闇を抱えていないとは言いきれんからな」


 翡翠の瞳が、わずかに憎悪に燃える。……が、メルロンドの澄んだ視線に気付き、青年はハッと襟を正した。


「……なんだか、警戒されちゃっているのかしら」

「ごめんね、鳥が普通に喋るシチュエーションに対応できるメンバーが少なくて……」


 既に順応しつつあるグリゴリーは、カルテに「たぶんレヴィほどは頭固くない」と付け足し、窓から青年……レヴィに問うた。


「……なんか……神様っぽいやつ知ってる……?」

「……どの宗教の神だ」

「世界作れちゃう系統の……。……ローランドくんあたりの方が会ってそうかな? レヴィは交友関係に難がありそうだし……」

「貴様、どういう意味だ……?」


 しばし険悪に会話を続け、レヴィはこほん、と咳払いをした。


「用がないのならば俺は帰る。……と、そこの少女。せめて足は隠せ。風邪を引くぞ」

「あら、ありがとう」

「大丈夫だよ。エルフは頑丈だから」

「……なるほど、エルフならば…………エルフ……?」


 懸念を抱えつつ、レヴィは未練を振り切って立ち去っていく。去り際まで、ただただ真面目だった。

 また、2人と1匹が診察室に残される。


 ……と、空間が波打った。一同が振り返った先に、軍服の青年が裂け目から姿を現す。茶色の柔らかそうな短髪が、空調の風に揺れた。


「呼ばれた気がしたんだけど……」


 間髪入れず、グリゴリーが問う。


「ローランドくん、神様っぽい人知ってる? えーと、ロンドちゃん、シェルくん、特徴よろしく」

「歌がとても上手なの」

「あ、それでね、強力な魔力を秘めているんだよ」


「空間転移魔法かしら……?」とローランドを見るメルロンドに、パタパタと羽ばたきながら答えるシェルフィ。


「……うーん……? 魔法……? そういうのって、本の中だけの話じゃないかな」


 ローランドは首を捻りつつ、苦笑した。カルテに「魔力」と書きながら、グリゴリーも「あ」と声を上げる。


「……そういや、見るからにファンタジーじゃんこの子達……」


 少なくとも、メルロンドやシェルフィの求めているものはこの世界の理からは外れているもののようだ。

 ……もっとも、ローランドが既に世の理から外れた存在なのだが、本人はそれに気付いていない。


「……本当ね。魔法じゃないわ、これ。正真正銘「歪み」よ。確かに、迂闊には触れない方が良さそう……」


 メルロンドはローランド本人や周りの空間に目をやりながら思案する。やがて、静かに息をつき、ローランドの冷たい手に触れた。


「……ごめんなさい。私たちにはやるべきことがあるから、貴方達の手助けはできないけど……少しでも、良い方向に向かうように願っているわ」

「……? そっか、ありがとう」


 にこりと笑って、ローランドは礼を言う。エメラルドグリーンの瞳が、穏やかに澄んだターコイズブルーを見上げる。……そこでメルロンドは、ビクリと肩を跳ねさせ、手を離した。


「やだ……、酷い怪我!」

「え、どうしたの? 何が見えたの、ロンド」


 シェルフィが再び首を捻る。グリゴリーも目を擦り、首を傾げる。……ローランドの姿は、先程と何も変わらずそこにある。


「気を付けて帰りなよ。……ロンドちゃん、かぁ……。素敵な名前だね」


 ローランドは、「怪我」への指摘には一言も触れず、にっこりと優しい笑みを浮かべた。

 ターコイズブルーの瞳に影が差す。血色の悪い口の端から、赤黒い血が溢れ出した。


「……? どうしたの? 俺の顔に、何かついてる?」


 ぼたりぼたりと床に血が垂れる。……ローランドは、何事も無いかのように笑っている。

 その瞬間だった。

 黒い影が空間の隙をこじ開け、その姿を攫って行った。


「……あー……まあ、ああいう感じのがよくあるとこだから……」


 何事も無かったように、診察室は静まり返っていた。床の血の染みさえも、幻のように消え去っている。


「……ここには、お目当てのものはないみたいだね、ロンド」

「……そうね……」


 メルロンドは青ざめたまま、シェルフィを撫でる。……魔法を使えば冒険は可能かもしれないが、今は、とても「あちら」に向かう気にはなれないらしい。


「じゃあ……移動するわ。短い時間だったけど、ありがとう。……グリゴリー……だったかしら」


 なんだかんだ世話を焼いてくれた相手に、メルロンドは礼を告げる。グリゴリーはポリポリと頬を掻きつつ、メモ帳代わりにしていたカルテをファイルに挟んだ。


「まあ……今日は俺も暇だったし……。また来ることあったら寄れよ。コーヒーぐらい出すから」

「ありがとう。良かったね、ロンド」

「ええ。……こっちの世界の人は色々と大変そうだったけど……少しでも、幸運が訪れますように」


 あくまで自然体のグリゴリーに安堵したのか、ふっと微笑んで、金髪の少女と青い鳥は姿を消した。


「……へぇ、なかなか面白いモンを見れたな」


 最後まで、2人が「俺」幽霊の姿を見ることはなかった。




 ……なーんて、話はどうだい?

 よぉ、久しぶりだな、元気にしてたかロデリック。レニーだよ、覚えてるか?

 いやな、お前らに倣って俺も話を書いてみようと思ったって寸法さ。……なぁに、作り話かどうかなんてどうでもいい。面白けりゃそれでいいんだよ。

 見よう見まねだったが、お前さんが楽しめたんなら何よりだぜ。んじゃ、Ciまた vediamo会おうぜ

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