あまい

大滝のぐれ

第1話 立てつかずケーキ

 皿の上に載ったケーキを見つめる。こちらがフォークを構え、今にも体を貫かんとしているのに、そいつは微動だにしない。逆に私へ反撃してこようとすることもない。私は捕食者で、ケーキは被捕食者。この関係が、揺らぐことはない。

「なにじーっとケーキ見つめてるの。早く食べればいいのに」

 私の向かい側に座っている親友のカナコが声をかけてきた。手に握られたフォークの上には、ミルクレープの切れはしが載っている。私はそうだね、と呟いて考え事を打ち切ると、フォークをケーキに突き立てた。


 放課後、学校から自転車を二十分ほど走らせたところにある少しお高めのカフェで、私たちはお茶をしていた。今日の三時限目で中間テストの日程が全て終了したことによって湧きあがってきた開放感に酔った私たちは、財布の紐を際限なく緩めてしまった。今食べているケーキ類だけでなく、二人で割り勘をして頼んだパンケーキが、このあとやってくることになっている。

「そういや最近どうなのよモコ、高山先輩とは」

「え、なにもないよ。ミステリー研の部室で顔合わせるだけ。ていうか高山先輩には彼女いるし。カナコだって知ってるでしょ。あの人には多分勝てないよ。肌綺麗だし可愛いし」

「チミは相手に彼女がいるだけで諦めるのかね、えぇ?」

「もう、カナコには関係ないでしょ。じゃあ逆にカナコはどうなの」

「え、私はほら、別にそういうの興味な」

 カナコの台詞を遮り、彼女の腕についている赤と白のペロペロキャンディのような色をしたシュシュが、突然光り出した。カナコの楽しげな微笑みが、瞬時に奥へと引っ込んだ。手首に耳を近づけ、はい、はい、と返事をしながらうなずき、それが四回ほど繰り返されるとシュシュの発光は止まった。あーあ、という残念そうな声と共にカナコは伸びをする。そして、体を戻すとフォークを握り直し、一気にミルクレープを崩しにかかる。

「どうしたの、また仕事」

「そう。もう最悪だよね。テストが終わったの見計らって連絡してきやがった。近くの一軒家に『あいつら』が現れたから早急にこれを討伐されたし、だってさ」

 そう言い終わると同時に、ウェイトレスがパンケーキを持ってきた。すみませんお持ち帰りに変更できますか、と告げると私とカナコは荷物をそそくさとまとめ始めた。レジにて会計を済ませ、テイクアウト用に包装してもらったパンケーキを受け取る。わずかに漂う甘い香りを感じながら、私は横に立って手首を柔軟運動の要領で回しているカナコに問いかけた。

「一応聞くけど、ついていってもいいすか」

「モチロンいいっすよ」

 そう答え、カナコは軽い笑みを浮かべる。

 これから命のやりとりをしにいくというのには、それはどう考えても似つかわしくない表情だった。



 この世界には『隣人』という正体不明の存在がいる。そいつらはどこからともなく現れ、人間の魂をストローでジュースを吸うかのごとく奪っていく。それを防いでいるのが、生まれつき選ばれた人間で構成された、カナコたち隣人ハンターである。彼らは人知れず活動を続け、人類を隣人の魔の手から守っている。


 カナコに言わせるとこういうことらしいのだが、正直に言うと私はあまりその説明に理解と実感を持てていなかった。そもそも、ただの高校生が人々の命運を握っているというのは少しできすぎのような気がしないでもなかったし、肝心の隣人たちとの戦闘も、カナコが銃をバンと打って一撃で終わらせてしまうので緊張感すら感じることがない。まるでテレビの中のできごとのように思えてしまうのだ。

「逆にハンターの方が命をとられることもあるんだよ。まあ私は最強だからそうそう死なないけど。あ、嘘だろうとか思ってるでしょ。だいたいね、狩りの場に一般人を連れていくのもほんとうは禁止なんだからね」

 カナコは常日頃からそう口にしているのだが、その隣人たちに彼女が殺される姿が、どうしても私の頭の中で明確な像を結ばずにいた。


 カフェから自転車を走らせること十分。大通りから外れた脇道をしばらく入ったところに、その一軒家はあった。

「なにこれ、大きいソフトクリームじゃん」

 自転車を止めながら私は思わずそう口走っていた。民家の茶色い壁や屋根は、カラースプレーやチョコレートでトッピングされたソフトクリームに埋もれていた。だいぶ前にニュースでやっていた、家に雪が積もりすぎて家自体が潰れてしまいました、という事件を思い出す。

 家屋を取り囲む塀にまで到達している白色を指ですくって舐めてみると、牛乳と砂糖の風味がしっかりと口に広がった。小さい子が通りがかったのならただただ無邪気に喜びそうな造型をしているが、わずかにのぞいている家の扉からは、黒い粒子を帯びた風のような、不穏な空気が漏れ出している。


 背後で一度に鈴を何十個も鳴らしたような音がしたので振り返ると、私の背後でカナコが仕事着に着替えていた。水色を基調にした、レースやラメで過剰に装飾されたスカート。キラキラツヤツヤしたへそ出しのブラウス。魔法少女アニメに出てくるような恰好に衣装替えした彼女の手には、それに不釣合いなごつい狙撃銃が握られている。これはただのモデルガンらしいのだが、ハンターが力を込めることで隣人に対抗できる武器になるのだという。だいぶ前に護身用として同じ方法で作られたトンカチやダンベルをもらっていたが、隣人との戦闘にあまりにも危機感を感じなかったので、最初に同行した狩りに持っていったきり、家の引き出しにしまったままになっている。

 カナコはその銃を無造作に地面に置くと、どこからともなく色とりどりの宝石で飾られたてのひらサイズの壺を取り出す。

「お、魔法少女っぽいアイテム。なに入ってんの? 魔力を帯びた石とか?」

「塩」

 カナコはそっけなく答えると、手を顔の前で組み合わせ祈るようなポーズをとった。その状態でなにやらぼそぼそと唱えると、いきなり「きええい」と奇声をあげ一心不乱に塩を辺りに撒き始めた。何度かカナコの狩りに同行しているが、こんなことをしているのを見るのは初めてだ。かわいそうな人を見るような目を向けていたのに気づいたのか、カナコは塩をまきながら説明を始める。その顔は恥ずかしさを濃縮した色に染まっていた。

「家がソフトクリームみたいになってるでしょ。あれは今回の隣人が結界をつくって引きこもってるからなのね。死の香りが膨らみこのような形をとるんだけど、この状態に入ったあいつらは気が立っているから結界の近くを通った人を引き込んで餌食にしようとするの。だからその上に、私が人祓いをかけて二次被害を防ぐのよ。大事なことなんだからね。私だって恥ずかしいから早く終わらせたいの。だからそんな目しないで」

 塩をまき終えた彼女はたしかめるように壺を逆さにすると、それを地面に叩きつけて粉々にした。瞬間、体のだるさが全身をかけめぐった。猛烈に家のリビングにあるせんべい布団が恋しくなる。

「なんか急に帰りたくなったんだけども」

「そうでしょうそうでしょう。人祓いが効いている証拠ね。まあ、帰りたかったら帰ってもいいんだけどねー。一般人のチミは、ここにいたら危険だよお」

「やだ、帰らない。てか帰るわけないじゃろうが」

 私は反論する。そう、なにがなんでも帰るわけにはいかない。だって、この先には。


「はいはい、わかってるって。それにしても、また食べるつもりなの? 隣人の死体を」

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