勇者の役目
ふわ、とケット・シーがあくびをする。
食事をしたから眠くなった、といったところか。
呑気なものだが、問題はなんだかこちらまでお腹が空いてきたような気がすることだ。
もちろん実際にお腹が空いているのだろう、とラーニエは思った。
太陽の位置が高い。もうすぐお昼時なのだ。
やれやれ、と肩をすくめる。
「どうしたにゃ?」
「私も昼食にしようかなって」
そういうと、ケット・シーはつまらなさそうにまたあくびをした。
「オレはもういらないにゃ」
「いや、あんたのじゃないよ」
ふうん、と答えたケット・シーは「じゃ、オレは寝るから」と言ってそのまま眠ってしまった。
「はいはい、おやすみ」
まったく、自己中野郎にもほどがある。
内心そう呆れてから、ふと思った。
「え、いや、ここで寝ないでよ」
慌てて起こそうとしたが、触っても揺すっても全く起きる気配がしない。
「……仕方ないか」
抱きかかえて連れて行くことにした。
ケット・シーの体は柔らかく、生き物独特の温かさがある。
普通、野生のケット・シーは寝ている間に体を触られるのを非常に嫌がる、という。
一応、信頼されているのか、それとも単に人馴れしているだけなのか。
前者だったらいいな、とぼんやり思った。
随分遠くまで来たんだな、と歩きながら思った。
時々絡まれるスライムから逃げながら、なんとか街までたどり着く。
広大な街の割に、出入り口は少ない。外敵から聖都を守るためだ。
その少ない出入り口には見張り兵士が二人立っている。
自信ありげな老兵士と、その傍で目立たなくしている若い兵士。
「よお、勇者。火吹き大蛇のこと何かわかったか?」
胸の刺繍に気がついた老兵士がラーニエの顔を覗き込んだ。
微妙に酒臭い、ような気がする。
「……い、いえ、何も」
正直にそう答えると、彼は肩をすくめた。
「しっかりしてくれよ。今年の奴らはみんな揃って無能か?」
オレの時はな、と急に説教を始めた彼に「急いでいるので!」と言って逃げだす。
やれ誰々はドラゴンを仕留めただの、誰々は国王から賞をもらっただの。
当のお前は何かしたのか、と言いたいところだがそんなことを言えば余計ややこしいことになるのは間違いない。
なるべく早足で立ち去る。
すると今度はすれ違ったおばさんが足を止める。
「あら、勇者ちゃん? 火吹き大蛇はいつ討伐してくれるの?」
ニコニコ笑顔が逆に怖い。
「が、頑張ります……」
思わず顎を引くと、おばさんは肩を落とした。重そうな腹が揺れる。
「もう、しっかりしてよね」
「はい……すみません」
頭を下げて、逃げるように立ち去る。
なんだかみんながこちらを見つめているような気がしてくる。
「随分嫌われてるにゃ?」
いきなり腕の中から声がして飛び上がる。
「お、起きてたの?」
「起きてちゃ悪いにゃ?」
眠そうな目でこちらを睨みながら、大きなあくびをしている。
どうやら自分の足で歩くつもりはないらしい。
「いや、いいけど……」
ケット・シーの柔らかさと温かさを、もう少し堪能するのも悪くはない。
そんなことを思ってから、毒されてきたなぁ、と苦笑した。
「で、なんでそんなに嫌われてるにゃ?」
「そりゃ、そうだよ。私はルージャルグ神学校の卒業予備生だもん」
少しは見直した? そうたずねたがケット・シーは胡散臭そうな顔をしていた。
そんなに頼りなさそうに見えるのだろうか。
事実、そう見えるのだろう。そう思ったが真相は違った。
「そつぎょーよびせー?」
「ああ、そっか、知らないんだ」
そういえば、遠くから来たらしいんだったな。
なにせ聖都ルージャルグの名前すら知らないのだ。
「この街は伝説の勇者が生まれた場所なんだ。だから、ここの神学校で学んだ人は、卒業するときに勇者として旅に出ることになってるの」
「ふーん」
「私ね、その勇者になりたくて、ルージャルグ神学校に入ったんだ!」
伝説の勇者。
遥か昔、神託を受けて魔王から世界を救ったという男。
熱い正義を胸に、様々な闇を打ち破った、強くて優しい——。
「なんかめんどくさそうだにゃ」
「……」
この野郎。
「で、火吹き大蛇って何にゃ?」
こいつ人の話ちゃんと聞いているのだろうか。
伝説の勇者は本当にすごい人なのだ。あとで説教してやらなければならない。
「……最近、街で暴れてる巨大な蛇だよ。今年の卒業予備生は、卒業試験として火吹き大蛇を討伐しなきゃいけないの」
「人間はこんなにたくさんいるのに、蛇の一匹も倒せないにゃ?」
つまらなさそうにケット・シーが辺りを見回した。
多分、その『たくさん』の中には兵士や旅人や勇者以外の人も入っているのだろう。
「普通の人は戦えないから……」
パン屋でパンを選別する老婦人や、男を捕まえ、言葉巧みに店に連れ込む少女を見ながら苦笑する。
「ま、ここの奴らはみんな揃ってアホ面だからにゃ」
ケット・シーの暴言にもだんだん慣れてきた。
……いや、待て。
ここの奴ら“は”?
「あんたが元いた場所はそうじゃなかったの?」
人間、だいたいみんなそんなものだと思っていた。
服屋は服を売り、肉屋は肉を売る。
戦うのは戦う術を学んだ者だけ。
だが、そうでないところもあるのかもしれない。
おおよそ想像もつかないが、例えば今すれ違った記者が剣を持ち、魔物と日々戦っている街もあるのかもしれない。
なにせ、超上級魔法を操るケット・シーがいるくらいなのだ。世の中何があってもおかしくない。
などと思っていたら、当のケット・シーがにゃ、と首を振った。
「アイツらもみんな脳みそが空っぽのマヌケだったにゃ」
足から力が抜けかけた。
その際につまづいて本当に転びかける。
深く考えた自分がバカみたいじゃないか。
いや、このケット・シーの言葉を間に受けた時点でバカだったのかもしれない。
「ま、アイツらは悪知恵はあったかにゃ」
「そ、そう……」
わからない。このケット・シーはいったいどこからやってきたのだろう。
どういう育ち方をすればここまで人間を下に見ることができるのだろう。
「人間なんて、どいつもこいつも似たようなもんにゃ」
そう言って笑うケット・シーを見ながら、まあ、いいか、とため息をついた。
その時、遠くから誰かの悲鳴が聞こえた。
「……え?」
そう呟くと同時に、炎が上がった。
街に、炎が燃え上がる。
原因は一つしかない。
「火吹き大蛇だ!」
誰かが叫んだ。
「それって確か、倒さなきゃいけないっていう蛇にゃ?」
その通り。
ほんの少し、ためらってしまう。
だが、今行かなければ、何もかもが無駄になる。
神学校に通うと決めた意思も、そこで勉強したことも。
ラーニエは走った。
不安そうに立ち止まる人々の間を縫って、恐怖に顔を歪め走ってくる人をかわしながら。
通りを二回曲がり、突き当たりを更に左へと曲がる。
そこに、それはいた。
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