どんな仕事でも、就く前はみんなと同じ一般人
最初から諦めていた人生だった。
一年年上の姉は比較的自由だった。
母と姉と三人で母親の実家に遊びに行ったとき、母と姉はお泊り。
道宇だけは、日帰りで帰ってくるようにと父親からきつく言われた。
遊ぶことも後継ぎということで制限された。
姉は昔から、夏休みはずっと自由に行動できた。
道宇はお盆の手伝いがあるということで、夏休み中は外で自由に遊ぶ機会は少なかった。
振り返ると、この頃はまだましだった。
お盆で檀家の家々を回り、仏壇の前でお盆のお勤めをする手伝いをするようになってからは、当時毎月三千五百円もらっていたお小遣いとは別に、父からお盆の手当を貰った。
「お前、小遣いそれくらいなのかよ」
毎月の小遣いどれくらい貰っているか。
そんな話題で盛り上がったことのある友達に、その小遣いの十倍以上の手当を貰えたうれしさのあまり、つい口を滑らせた。
自分が悪いということになるのだが、その話が良くない評判のあるクラスメイトの耳に届いた。
その時から始まった、カツアゲ。いわゆる恐喝である。
そのうち、他のクラスメイトよりも少ない小遣いからもむしり取られるようになった。
父親にその被害を伝えると、「軽々しくそんなことを他人に口にするもんじゃない」と怒られた。
しばらくすると、恐喝していたクラスメイトから人目に触れない場所に呼び出され殴られ蹴られた。
父親が学校に報告をしてくれたようだった。
しかし学校の対応が悪かった。
自業自得。
確かに自分が悪いかもしれない。
しかし口を滑らせた罰がここまでひどくなるのか、と道宇はぶつける当てのない恨みつらみを募らせていった。
勉強が苦手なのはその影響もある。
みんなが普通に授業を受けている間も、道宇は何かされるのではないかとびくつきながらの時間を過ごす。
自ずと身につく知識量が減る。
しかし誰もが道宇の異変に気付かない。
父親は、僧侶の仕事を教えることには厳しかったが学業には緩かった。そのせいもあったのだろう。
そんな子供の頃からお盆の仕事を手伝う道宇を見る檀家達は、その姿のみを見て道宇を褒め、評価する。
顔にあざや怪我を負わせないように殴られ、蹴られ続けた結果、自分にはこれくらいの苦しみならば耐えられるということを学習した。そしてその苦しみは他の者へは感染しないということも。
さらに、神仏の救いは自分にだけは届かない。
自分が望む毎日は、自分が願う毎日を送ることは、現状にどんなに抵抗してもやってくることはなく、そのうちそんな辛い毎日にも慣れていく。
神様仏様に関する逸話に感動することはあっても、それは自分ではなく自分以外の多くの人のためにあり、自分だけは例外と思うようになるのも時間の問題だった。
息子に取り巻く環境が変わらないことを知らない父親は、中学に上がると後継者としての見通しをさらに強め、経文をより多く覚えさせた。
こうして道宇は理解と感情を区別することになる。
普通ならば、神も仏もあるものか、と反発するところだろう。
しかし道宇は自分に取り巻く現実を受け入れた。その結果、そんな考えを持つようになり、将来の夢さえ見ることもなくなった。
そして、周りに流される方が楽。
そんな知恵も身につけた。
「またいいように使われるんだろうな。ま、しがらみがないことと暴力沙汰がない分マシか?」
できれば二度と呼ばれたくはないが。
この日が終わる布団の中で、道宇はぽつりと呟いた。
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※
「アルノーア様、なぜあのような者に頭を下げなければならなかったのですか!」
「その通りです! 僧侶とは言え、呪文も魔法も使えない、しかも人間ですよ?」
「確かに不可視の魔物を彼のおかげで倒すことはできました。しかし手こずるとは言え、姿を現しても私達の手で屠れる相手です!」
道宇が初めてこの世界で、彼自身自覚のない力を発揮し、問題をすべて解決して彼の世界に戻った後のこと。
主君に抗議するアルノーアの部下達の声が、彼女の執務室の中で充満した。
「この世界、そしてあなた方を創った私の気持ちはおそらく、あなた方には分からないでしょう。ほんの少しだけですが、彼の話を聞きました。こんな私でも至らない部分があることをその話を聞いて知りました。私にはあの方が必要の様です」
彼女らの抗議の声は、アルノーアの答えで静まった。
確かにその者の立場が一番高く、権力もその者だけが強くなり、その者の言動が良識から逸脱した時、それを諫める者、注意する者はいなくなりがちになる。
それは反抗勢力と曲解され、遠ざけられることも多々ある。
そのことを恐れる者は、その人物へ注意することも恐れ、正しい道を示す者もいなくなってしまうことになる。
そのようなことをできる者と言えば、注意する者がその対象の何物をも恐れず、その人物が思いもしない解決法をその者が有し、その人物へそれを示すことができる者。
アルノーアにとって、道宇はそれに当てはまる人物。
彼がこの世界に希望を与えたのは、その行く末ばかりではなかった。
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