第22話 B子さんの就労支援・前編

「いやあ、ひどい目に遭った」

「……ま、まあ。たまには浮いた話もいいんじゃない?」


 結局、朝礼の時間いっぱい、みゆきと一緒にみんなに質問攻めされたのだ。女性優位の職場だから、こういう男女のうわさ話は大好物なのはわかってるけど……。


 一日のカロリーを一気に持っていかれた感じだ。疲れたよ。


 訓練室へと向かう廊下で、B子さんとすれ違った。

 開口一番、彼女は僕らを見て言った。


「あれ? 雰囲気変わったね。先生たち……何かあったでしょ?」

「い、いつもと変わらないから。気のせい」

「……へえ。どうして浩さんの手をさっきより強く握ってるの? みゆき先生」


 右口角を少しあげて、にやっとする彼女の視線が僕に注がれる。


「浩さん、みゆきさんとエッチしたんでしょ?」

「こ、こら。からかうんじゃないよ。これからB子さんと相談しようと思ってたのに」

「……相談?」


 小首を傾げて、上目遣いで見つめてくる。

 なんかあざといな……この人。誘惑されてるように感じるのは気のせいだろうか。


 脳がダメージを受けたことで、性衝動が高まる人もいる。

 彼女もそういうタイプなのかもしれない。それにみゆきが隣にいるしな。ヘタな対応をしたら、後で何を言われるかわからないや。


 僕はクールダウンするために、一旦、深呼吸をした。


 そんな僕をみて、不思議そうに目をぱちくりさせているB子さんを面談室へと誘う。


「少しでいいから時間くれないかな?」

「どうしようかなあ。浩さんだけ?」

「いや。遠野先生も一緒だかけど?」

「……残念。浩さんと二人っきりになれると思ったのにぃ」


 僕たちが面談室へと足を向けると、彼女はブツブツ言いながらもちゃんとついてきた。


***


「B子さん。これからの方針を説明したいんですがいいかな?」

「ええ、まあ……。いいですけど」


 B子さんは自分が左下部分がわかりにくいことを自覚していた。僕とみゆきで説明したところ、あっさり認めたのだ。そして自分でも注意している、と話してくれた。


 問題は職種だった。これもすんなりと……はならなかった。販売、それも直接顧客とやりとりするのが好きだと言った。それしかできないの、とも言った。


「販売系の仕事が無理なのはわかりますよね? B子さん」

「……わかってる。でも……」


 整った眉根をよせ下唇をかむ。


 職種の転換、つまりキャリアチェンジはとても難しい。本人自身が生まれ変わるような苦しみを味わうからだ。

 

 その苦しみは僕も知っているよ……。

 

 二年前、障がいのためあきらめなければならかったから……。

 そんなかつての僕自身の姿を、B子さんに重ねていた。


 ふいに横から視線を感じた。

 

 僕が机の下で握られていた手をギュッとすると、そっと握り返してきた。きっとみゆきも同じ事を考えているに違いない。


 僕はB子さんに自分のことを話すことにした。


「……B子さん。僕は本当は脳外科医になりたかったんだ」

「今は相談員さんじゃない? 試験に落ちたの?」

「いや、そうじゃないよ。交通事故でね、右目の視野が狭いんだ。外科医で目が不自由な人はいないだろう? だから僕はこの道を選んだんだよ」


 B子さんは僕の瞳をジッと覗きこみ、麻痺している左腕をドンッと机上に放り投げるように置いた。


 しばらくその腕を見つめてから、おもむろに口を開いた。


「……そっか。みゆきさんがいつも傍にいるのは、浩さんの介助のためなの?」

「そうだよ。あたいも浩がいないと困るしね」


 言い終わるやいなや、みゆきは自らその手を離す。


「ん? みゆきさん何かしたの?」

「もうじき落ちるから……」


 怪訝そうにしているB子さんを尻目に、眼を閉じて船を漕ぎはじめるみゆき。


「あれ? 急に……浩さんと頑張りすぎて寝不足じゃないよね?」

「彼女は睡眠障害を持ってて、昼間でも傍にいないと危ないんだ」

「……」

「だから僕らは二人で一人前さ」


 すっかり机の上に伏せってしまったみゆきの手を握ると、かすかに身じろぎして目を覚ましはじめる。


 そんな僕らをみて、聞き取れないくらい小さな声でぼそりと、


「……けないわ」


と、つぶやいた。


「なんか言いました? B子さん」

「あ、いえ。こっちのこと……。気にしないで、浩さん」


 顔を真っ赤にしてあわてて手を振る。

 きっと独り言を聞かれたと思ったからだろう。

 

 その次の瞬間には、B子さんは真剣な面持ちで口を開いた。


「わかったわ。どうなのかわからないけどやってみる」

「ありがとう。B子さん……」


 うれしくって、つい、僕は机上にあった彼女の手を握ってしまった。

 

「……い、いや。お、お礼を言うのはこっちだよぉ」


 今度は耳先まで真っ赤にしながら、首をブンブンと横に振った。

 

 すっかり目覚めた隣の女医さんから脇腹を思いっきりつねられた。



 つねられた脇腹をさすりながら、さっそく職種転換のための訓練内容を相談してみる。


「まずパソコンで書類を作ったり、データを入力できるようにしましょう。前回、お話したとおり、職歴を活かすためです」

「あたしがお店を任されていて、数字をいじれるからだよね?」

「そうですよ」


 しかし、パソコンと聞いてB子さんは、眉根を少しよせた。

 

「でもパソコン苦手だよ? 浩さんが教えてくれないかなあ」

「なんで浩が教える? 担当は戸川さんですよ」


 すかさずみゆきがツッコミをいれてくる。

 どうも気に入らなそうで、口を尖らせていた。


「……いやあ、浩さんのほうが教え方上手いから……。Aさんに教えていたのを、あたし、見てたんだよ。ちゃんと人に合わせて教えてくれるもの」


 教え方が上手いと言われて悪い気はしないが、ちょっとみゆきの機嫌を……もとい、相談してみてもいいか。


「みゆき……。B子さんの入力時のフォロー方法って、試行錯誤してみようってことだったよね?」

「そ、そうだったわね……」


 一瞬、目を泳がせるみゆき。


「僕が直接、B子さんのそばにいないと確認できないと思うけど?」

「……くっ! い、いいわよ。ただし! あたいが診察してるときだけにしてね」


 僕がみゆきの手を離すのは、トイレと風呂と診察業務の時だけだ。


 診察中は看護師さんがいるので、いざというときでも僕を呼び出せるからな。


「……わかったよ。じゃあ、お前が診察中に、B子さんのパソコン見るよ。あとで戸川さんに頼んで、スケジュールを組み見直してもらうよ」

「しかたないなあ……」


 ブツブツ言いながらもみゆきは承諾してくれた。あとでショートケーキでも買っといてやろう。


「ところでお二人さん……。浩さんがパソコン教えてくれるってことでいいのかな?」

「いいですよ。ちょっとスケジュール調整してからになりますけれど」

「やったね!」


 微妙に眉根をよせて口を尖らせるみゆきと、満面の笑みのB子さん。

 

 そんな二人を見ながら、僕はB子さんに他の支援について話を続けた。


「B子さん。パソコンの訓練だけではなく、他にもハローワークに登録したり、就業・生活支援センターに登録したりしたいと考えています。よろしいですか?」

「え? どうしてハロワに? だって障がい者だよ」

「ええっと、ハローワークには障がい者雇用を専門とする係があるんですよ」

「へええ〜」

「彼らは障がい者雇用の専門家ですから、B子さんの状況に合わせた紹介をしてくれると思いますよ」

「わかったわ。で、もう一つの何とかセンターって何?」

「普通、就職しても生活が上手く廻らないとダメじゃないですか。就業・生活支援センターって、障がい者の就職と生活をフォローするところなんですよ」

「……なるほど。わかったわ。両方とも登録するわ」

「B子さんの個人情報を先方に提供することになりますけど、よろしいですよね?」

「はい、お願いします」


 ひとまず、B子さんと面談を終え、今後の方針が決まった。


***


 彼女が面談室を出た後、手が痛くなるほどみゆきに握られた。

 そして真っ正面から、僕を見すえるとみゆきは言った。


「あのね……。B子さん、浩に好意をもってるよ」

「そんなに彼女と接点はなかったぞ? 好意をもってるわけ……」

「はぁぁ〜。ほんとJKYね。浩が接点ないって思ってても、向こうはずっと見てたんじゃない? だって、Aさんの支援も見てたじゃない。関係ないのにさ。気をつけてよっ!」


 僕の反論はみゆきのマシンガントークに上書きされてしまった。


 そして、青筋をたててプンプンしているみゆきにひっぱられるように、僕は面談室を出た。

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