メイドと令嬢の舞踏会

御船アイ

メイドと令嬢の舞踏会

「ここがあなたの新しい働き場になるのですよ、キリナ」


 私、キリナ・マーリンがレイモンド侯爵家に連れて行かれたのは、十二のときだった。

 私は平民でも下層の階級の生まれで、学校にも行けずに幼い頃からいろんな場所で働いて生活してきた。

 そんな私に、突如侯爵家で働く機会が訪れたのだ。

 それは町に張り出されていたメイド募集の張り紙だった。その侯爵家に生まれた、まだ幼い令嬢の子と歳が近く、かつ働けるメイドを探しているとのことだった。

 私はその応募に、労働環境の条件と高い給金、そして何より憧れのある上流階級で働けるという魅力に惹かれ応募した。しかし、受かるとも思っていなかった。

 きっとどこかの家柄の良いところの令嬢が、奉公として受けるものであり、町に張り出された公募は世間体のためのとりあえずものだと、心のどこかで思っていた。

 しかし、そのとりあえずのはずの審査で、私はなんと合格し、このレイモンド侯爵家で働くことになったのだ。

 私はレイモンド家のメイド長に連れられ、レイモンド家を案内されている。

 初めて入る侯爵家に、私はすっかり萎縮してしまっていた。

 そんなときだった。


「まあメイド長! その子、新しく入ってきた子のキリナでしょう!」


 とびっきり明るい声が、目の前から私達のほうに聞こえてきた。

 目の前には、綺麗なピンクのドレスを着た、長い金髪を揺らめかせた、青い瞳の可愛らしい女の子が立っていた。

 審査のとき見たことがある。その子こそが、この侯爵家の令嬢である、私の三つ下の九つの少女、クレア・レイモンド様だ。

 私は慌てて頭を下げた。


「ああ、キリナ! 会いたかったわ! ぜひ、頭を上げてちょうだい」


 私はそう言われて頭を上げる。

 すると、私よりも小さなクレア様は、私の目の前にやってきて、輝かしい目で私を見ていた。


「えっと……よろしくお願いします、クレアお嬢様」


 私は緊張しながらも挨拶をする。

 すると、クレア様はふふっと笑い、背伸びしながら私の頬を小さな両手で包んだ。


「ふふ、私のことはクレアでいいのよ? 改めて、よろしくね、キリナ!」


 それが、私とクレア様の出会いだった。


 それから六年の時が流れ――


「……クレア様、クレア様、朝ですよ。起きてください」


 空に雲一つない清々しい朝。

 私は早朝の仕事を終えた後、いつもの日課としてまだ寝室で夢の中にいるクレア様を起こすために体を揺さぶっていた。


「……うーん、もうちょっとー」

「もうちょっとではありません。もうご起床の時間ですよ。他の方々は皆様すでにご起床なされています。起きていないのは、もうクレア様だけです」

「……うーん、分かったー」


 クレア様は観念したようにゆっくりと体を起こし、ぐぐっと背伸びをした。

 寝起きのせいで少しボサボサとしてしまっている美しい金髪を揺らしながら、大きくあくびをする。

 そして、ゆっくりとベッドから下りてくるクレア様のネグリジェを私はテキパキと脱がし、体を拭いてドレスを着せ、鏡の前に座ってもらい髪を梳かす。

 そうしている間にクレア様もだんだんと目が覚めてきたのか、鏡越しに髪を梳かす私を見る。


「ん……おはよう、キリナ」

「はい。おはようございます、クレア様」


 そうして私はクレア様の朝の身支度を整えると、そのままクレア様と部屋を出て食堂へと向かった。


「うん、今日もいい朝ね、キリナ」


 クレア様が窓の外を眺めながら言う。


「そうですねクレア様。そのいい朝に朝寝坊をしようとしていたのはクレア様ですが」

「むぅー、キリナはすぐ意地悪なことを言う」

「言われたくなければもう少ししっかりしてください。レイモンド家の令嬢たるもの、完璧な淑女でなければいけないのですよ」

「完璧さなんてお兄様方やお姉様に任せておけばいいのよ。私は一番下の子だから、わりと自由にやっていていいの」


 クレア様はレイモンド家で四番目の娘だ。上には二人の兄と、一人の姉がいる。

 そのためか、クレア様はレイモンド家の世話は私に任されているような部分が多い。


「またそんなことを……これは、家庭教師の先生に報告すべきですかね」

「えっ!? そ、それはやめて! もっとしっかりするから! ね!?」


 クレア様が慌てて言う。私はそんなクレア様を見てなんとか笑いをこらえる。クレア様のこういう可愛らしいところは、いくつになっても変わらない。

 そうこうしているうちに、私達は食堂までついた。


「うん、ありがとねキリナ。それじゃ、また食後に」

「はい、ゆっくりと召し上がりくださいませ」


 私はクレア様に礼をする。

 食事の場は、基本的に家族だけの空間で、食事係以外のメイドや料理人以外は入らないことになっている。

 私達お付きのメイドは、食堂の外で食事が終わるまで待つのだ。

 そうして私が食堂の外の廊下で待っていると、やがて食堂の扉が開かれた。食事を終えた他の方々が外に出てきたのだ。

 その一番後ろに、クレア様はいた。

 クレア様は私を見つけると、満面の笑みで私に近寄ってきた。


「キリナ! 行きましょう!」

「ええ、かしこまりました」


 そうして私はクレア様についていった。

 クレア様は貴族でありながもなかなか活発的な方であり、様々なことに取り組まれている。

 日々の勉強や礼儀作法などの稽古の他にも、自分の花壇を持っておりそれを育てたり、市井で人気な恋愛小説を読みふけったりなど、色々なことをなされている。

 その趣味にいつも私は一緒に付き合っている。大変だが、楽しい日々だ。

 私はこのレイモンド家に来て、クレア様に出会って、本当に充実した日々を過ごしていた。

 私は我ながらなかなかに幸せな生活を送っていると思っていた。

 そんなある日だった。


「キリナ! 一緒に舞踏会に行くわよ!」


 クレア様が、突然そんなことを言い出した。



「舞踏会……ですか?」

「ええ! 今度ペンバー公爵家で行われる舞踏会があるのだけれど、そこにあなたを連れていきたいの」


 私は驚いた。舞踏会は本来お呼ばれした貴族の人間しか行けない高貴な方々の集まりだ。

 間違っても一メイドである私のような人間がいけるような場所ではない。


「そんなクレア様……私はメイドですよ? とても行けるわけがありません」

「大丈夫よ、今回の舞踏会はパートナーを連れてきていいってペンバー様が言っておられたから!」

「いえ、だからそのパートナーとは本来婚約者やご友人のことを言うのであって、私のようなメイドのことではなく……」

「だって私婚約者いないし。それにキリナは大切な人よ? そんじょそこらの子とは格が違うわ!」


 そう、クレア様は珍しいことに未だに婚約者が決まっていなかった。

 なんでも来る話をすべて断っているらしい。しかし、一番下なのかあまり問題視もされていないらしい。


「そのお言葉は嬉しいですが……私のような人間が行っても、笑い者になるだけでは……」


 そうだ。私のような人間が行っても、クレア様の足を引っ張るだけだ。

 確かに舞踏会の場には憧れがある。私がこのレイモンド家で働こうと思ったのも、そういった場に憧れがあったのも一つの要因だ。

 だが、それとこれとは別だ。私がいくら憧れたところで、私は所詮下層階級の人間。上層の階級の人間が集まる場所に行って、浮かないわけがない。

 だから私はクレア様の思いには答えられない。そう思った。


「そんなことないわ! キリナを笑う奴なんていたら、私が許さない!」

「お嬢様……」

「それに、キリナが行かないなら私も行かない!」

「え、ええ!?」


 私は更に困ってしまった。

 相手は公爵家だ。その招待を『侍従の人間がこないから行きません』などといった理由で断れるわけがない。

 それなのに、クレア様は断ると言う。それは色々な人に迷惑をかけてしまうこととなる。


「クレア様、どうかそれだけは……」

「なら、来てくれる?」

「そ、それは……」


 私は言葉に詰まる。私のような人間が行っていいとは思えない。しかし、それだとクレア様が舞踏会に行くのをやめてしまう。一体どうすれば……。


「行ってあげなさい、キリナ」


 そのとき、私達の横から別の声がした。

 声がした方向を二人で向くとそこにいたのはなんと旦那様だった。


「だ、旦那様!?」

「お父様!」

「この子は一度言い出したら聞かない子だ。それに、キリナはよくクレアのダンスなどの稽古に付き合ってくれているだろう? それなら、作法は問題ないはずだ」


 旦那様からのまさかのお許しを得て、私は困惑している。

 クレア様と旦那様それぞれの顔を見ると、クレア様はとても嬉しそうな顔を、旦那様は半ば諦めたような顔をしている。

 どうやら、クレア様のワガママに音を上げたらしかった。


「……はぁ」


 旦那様がそう言うのであれば仕方ない。

 私は軽くため息を付くと、クレア様に向かい合って言った。


「……分かりました。私もお供させていただきましょう」

「本当!? やったぁ!」

「クレア様、はしたないです」


 そのときの私には両手を上げて喜ぶクレア様を諌めることしかできなかった。



   ◇◆◇◆◇



 そうしてあっという間にやってきた舞踏会当日。


「……はぁー……」


 私はガチガチに緊張しながら会場の扉を前にクレア様の隣に立っていた。まだ舞踏会場の扉を開いていないというのに、すでに緊張でどうにかなりそうだ。


「そこまで緊張することないわキリナ。舞踏会と言っても、ただ立食してお喋りしてダンスを踊るだけなんだから。簡単よ」

「その簡単なことが私には難しいんですが……」


 私にとってはどれもが未体験だ。

 そのすべてを今までずっとこなしてきたクレア様には、今尊敬の念すら感じている。


「さあ、入るわよ」

「ああ、ちょっと待って下さいまだ心の準備が……!」


 クレア様はそんな私の制止も聞かずに、舞踏会場の扉を開けた。

 扉の向こうには、私にとっての異世界が広がっていた。

 豪華絢爛な装飾の施された半球状の天井の下に、何十人という貴族の方々が立食や歓談を楽しんでいる。

 その誰もがきらびやかなドレスやスーツをまとい、並々ならぬ雰囲気を漂わせている。

 その方々にクレア様も負けてはいない。純白のドレスを着たクレア様は、まさにこの世の天使とも言うべき美しさを持っていた。

 一方の私は、この日のために仕立ててもらった黒いドレスをまとっているが、正直他の方々に比べるとドレスに着られていると言ったほうが正しいだろう。

 正直少し気後れしてしまうのだが、それ以上に私はその会場の圧巻な雰囲気に魅せられていた。

 これが、貴族の集まりの場。これが、舞踏会……!

 その光景に私は言葉も出ず、ただ見るものすべてが美しく見えた。

 その場にいるだけで、私は天上の世界に迷い込んだのではないかと錯覚するほどだった。


「さ、行きましょうキリナ」

「あ、はい。クレア様……」


 私はクレア様に声をかけられたことによって浮ついてきた意識を元に戻し、クレア様と一緒に会場を歩いた。

 私はクレア様と一緒にぐるりと会場を回った。

 クレア様が歩くと、多くの人が話しかけてきた。どれもが上流階級の紳士淑女の皆様方だ。

 その方々に、クレア様は上品に返す。とても屋敷のクレア様とは同一人物には思えないおしとやかさだった。そこで、私はクレア様も上流階級の人間なのだなと、少し寂しい気持ちになるも、同時に誇らしい気持ちにもなった。

 なぜなら、私はずっと連れ添い、一緒に暮らしてきたクレア様がこうして多くの人を前に堂々としている。それがとても嬉しいのだ。

 そして私はそんなクレア様と一緒に舞踏会を楽しんだ。

 私は主に横でクレア様の話を聞いているだけだったが、時折、「そちらの女性が誰ですかな?」と尋ねられた。

 その反応に困る私をクレア様は「この子は私の親友なんですの」とはぐらかしながら答えてくれた。

 身分を隠すためとはいえ、『親友』という言葉を選んでくれたクレア様に、私はなんだか胸が暖かくなった。

 この気持ちをどう答えていいのか、私にはよく分からなかった。

 ただ、とても誇らしく、そして嬉しくなった私はクレア様と一緒に舞踏会を楽しんだ。

 二人で並べられた豪華な食事に舌鼓を打ったり、他の貴族の方々の楽しげな話を聞いたり、流れてくる楽団の巧みな演奏に癒やされたりした。


「どうキリナ、舞踏会は楽しい?」


 そうしているとき、クレア様が聞いてきた。


「はい。最初はどうなることかと思いましたが、クレア様のエスコートのおかげで楽しめています」


 私は笑顔で答えた。すると、クレア様も笑顔になる。


「そう、よかった。キリナって昔からこういう場に憧れがあった見たいだから、楽しめてよかったわ」


 私はそのクレア様の言葉に驚く。


「えっ!? ど、どうしてそのことを……!?」


 そう、私は昔から上流階級の世界というものに憧れを持っていた。しかし、それを誰かに話したことなどなかったはずだ。

 私が驚いていると、クレア様はくすくすと笑った。


「だってキリナ、昔一人になるとこっそりダンスの真似事とかお茶会の真似事とかして遊んでたでしょ? 知ってるんだから」

「あっ……み、見られていたのですね……」


 確かに私はこっそりとそういう遊びをしていた時期があった。

 まだ屋敷に来て間もない頃だったと思う。

 特にダンスの練習は、今でも一人になるとたまにやってしまうことがある。

 誰も居ないことを確認していたはずなのに、まさかよりにもよってクレア様に見られていたとは……。


「お恥ずかしい限りです……」

「恥ずかしがることなんてないのに。私は、キリナが楽しんでくれたならそれでいいのよ」


 そう言ってクレア様ははにかんだ。

 ああ、なんて可愛らしい笑みだろう。この笑みを見ていると、なんだか体の真から暖かくなるような感じを受ける。

 私は顔まで火照りそうになり、咄嗟にぷいっと顔を背けた。


「ん? どうしたのキリナ?」

「い、いえ! なんでもないです!」


 その場はとりあえずごまかした私だった。

 そしてその後も私達は会場を回った。殆どはクレア様の挨拶回りだったが、私は楽しかった。

 そうしている途中で、私達は度々ダンスの申し込みを受けた。

 最初はクレア様だけだったと思ったのだが、なんと私もダンスの申し込みをされた。


「可憐なお嬢さん、どうか私と踊ってください」


 貴族の方と踊るなんてとても恐れ多い。

 そう思っても、身分を隠している身でどう隠そうか、どう断ろうかを考えた。

 そんなときに助け舟を出してくれたのはクレア様だった。


「いいえ、残念ながら私とキリナには先約がありますの。申し訳ありませんわ」


 先約と言うものをした覚えがない。

 クレア様が言っているのはきっといつも婚約を断っているときのような嘘だろう。

 私はそう思った。

 そして、私達がそうしているうちに、周囲の貴族の方々が踊り始めた。どうやらダンスの時間になったらしい。


「……ダンスが始まりましたね」

「ええ、そうね」

「……踊らなくてよろしいので?」

「うん?」


 クレア様は何故? と言った様子の顔を見せてくる。

 それだけで、クレア様が他の殿方と踊る気がないのが伝わってくる。


「……そうですか、クレア様が踊らないのなら、私はそれでいいです」

「キリナはいいの?」


 今度はクレア様が聞いてきた。だから私はクレア様にこう返す。


「どうも殿方というのは苦手で……それに、私のダンスなんて上流階級の方々と一緒に踊れるほど立派なものではありませんので」


 それは半分嘘で半分本当だった。

 別に男性がそれほど苦手というわけではない。しかし、自分のダンスに自信がないのは本当だったし、やはり上流階級の人と踊るのは怖い。

 それに何より、クレア様を差し置いて自分だけ楽しむということはできなかった。

 だから私は踊らない。憧れはあるけど、別にいい。

 そう思っていると、クレア様が私の手を引いて踊っている方々のところへ引っ張り始めた。


「ク、クレア様!?」

「だったらキリナ! 一緒に踊ろう!」

「そ、そんな! 私のダンスなんて……」

「大丈夫! キリナのダンスならきっとどんなダンスでも楽しく踊れるよ! だから、一緒に踊ろう!」


 クレア様は眩い笑顔でそう言ってくれた。その言葉を、どうして断れようか。


「……はい!」


 私はクレア様に笑顔で返した。

 そうして私達は踊った。クレア様がリードする形で、二人で踊った。

 私は時折失敗しそうになるけど、その度にクレア様がリードしてくれる。

 美しい音色に、私達は身を任せる。曲調が穏やかなときは穏やかに、激しくなるときは激しく。

 私達の他の踊っている人のことも目に入らず、二人でただ踊った。

 それは、とても楽しい時間だった。


「楽しいわね、キリナ」


 クレア様が私に囁く。


「はい、クレア様」


 私はクレア様に笑顔で返す。

 そうしているうちに、会場に十二時を知らせる鐘が鳴り響いた。

 もうこんな時間かと私は思う。クレア様と踊るのが楽しすぎて、時を忘れてしまっていた。


「キリナ、こっちへ来て」


 すると、クレア様が踊りながら私に言った。

 私は何かと思いつつも頷くと、クレア様が私の手を引いて歩き始める。

 そして、どこへ連れて行かれたかと思うと、私はクレア様に外を一望できるバルコニーへと連れられた。


「わぁ……!」


 私はそこで感嘆の声を上げる。

 バルコニーからは、空一面に広がる星空と、山の上にある屋敷の眼下に広がる町の明かりが、地上の星々のように輝いて、美しい景色を作り出していたからだ。

 私はその光景を、バルコニーの手すりに身を寄せながら見る。

 私がそうしていると、クレア様が一歩引いて、私を見据えた。


「クレア様?」


 どうしたのかと私は尋ねる。


「キリナ……」


 クレア様は今までにない真剣な面持ちで、私を見つめる。

 何か言いたいことでもあるのだろうか、しかし自分の意見は率直に言うクレア様がこんなにためらっているのは始めて見る。


「すぅ……はぁ……」


 するとクレア様は私の目の前で深呼吸をした。

 そして、確固たる意志を持った目で私を見て、言った。


「キリナ、聞いて。私、キリナのことが好き。友人としてでも親友としてでもなく、一人の女性として、好きなの」

「……えっ、ええっ!?」


 私は驚いた。

 それはつまり、恋の告白だったからだ。


「私、初めてあなたを見たあの審査のときから、あなたに惚れていたの。だから、お父様達に無理を言ってあなたをメイドにしてもらった。最初は側にいられればいいと思った。でも、六年間ずっと一緒にいて、もう思いを胸の内に留めていることはできなくなった。だから、今日、私はあなたに告白するわ。キリナ・マーリン。どうか、このクレア・レイモンドの恋人になってください」


 その言葉は、今までにないクレア様の真剣な言葉だった。

 私は動揺する。

 クレア様の気持ちは、とても嬉しい。しかし、私のような人間が、私のような下層の生まれの女性が、その言葉を受けていいものなのだろうか。


「クレア様……私は、下層の生まれの人間なのですよ? とても、クレア様と釣り合うような身では……」

「釣り合うか釣り合わないなんて関係無い。私があなたを愛している。それが重要なの。そしてキリナ、あなたがどう思っているか」

「私が、どう思っているか……」


 私は自分の胸に手を置いてみる。

 この六年間、クレア様とずっと一緒にいてどう思っていたか。

 私はずっとクレア様と一緒にいた。

 クレア様と運命を共にしてきた。

 その中で、クレア様をどう思っていたか。

 クレア様の笑った顔。クレア様の困った顔。クレア様の泣いた顔。クレア様が私に向けてきたいろんな表情が、私の頭によぎる。クレア様とのかけがえのない日々が、とても輝いていた日々が、蘇る。

 そして、それを思い返す過程で思った。私も、この人とずっと一緒にいたいと。この人と、より深い仲になりたいと。

 ああ、なんだ。答えなんて最初から決まっていたじゃないか。

 だから、私は答えた。


「……はい。クレア様。私も、昔からクレア様をお慕い申しておりました」

「……じゃあ!」

「ええ。クレア様の告白、このキリナ・マーリン。謹んでお受けさせて頂きます」

「……キリナぁ!」


 クレア様は私に感極まって抱きつきてきた。

 私はそのクレア様を優しく抱き返す。


「……クレア様」

「……今は、クレアって呼んで」

「……ええ、クレア」


 そうして、私とクレアは、満天の星空の下、優しく口付けを交わした。



   ◇◆◇◆◇



「……クレア様、クレア様、起きてください。クレア様」

「うぉーん、あとちょっとぉー……」


 その日もクレアはねぼすけだ。

 ベッドの上から動こうとしない。

 あの日以降、私とクレアの関係が劇的に変わったというわけではない。屋敷ではいつも通りの、メイドと侯爵令嬢という関係だ。

 ただ一つ、変わったのは……。


「もう……だったら……」


 私は未だに起きようとしないクレアの口に、そっと口づけをした。


「っ!?」

「起きて、クレア」

「うんっ、起きる!」


 クレアはばっとベッドから飛び起きた。

 私はその様子を見てくすくすと笑う。


「おはようございます、クレア様」

「うん! おはよう! それでキリナ、今の……」

「はて、なんのことでしょう?」

「もうー! ごまかさないでよぉー!」


 クレアはベッドから飛び起きながらも私に言い、私はそれを笑いながらかわす。


 あの日以降、私とクレアの関係はメイドと侯爵令嬢というだけでなく、恋人同士になった。

 そして、ちょっとワガママな私の恋人は、少し扱いやすくなった、というぐらいである。

 私はキリナ・マーリン。レイモンド家のメイドだ。

 そして、侯爵令嬢クレア・レイモンドの恋人だ。

 どうか、この幸せが末永く続きますように……。

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