小瓶の言葉達
星野 ラベンダー
第1話星の落とし物
ある水曜日の昼下がりのこと。昨日から降り続いていた雨が、先程ようやくやんだ。
天気予報を見た限りだと、どうやらこれから晴れてくるらしい。
昨日干せなかった分と今日の分の洗濯物が、これでやっと干せる訳だが……。
正直に今の気持ちを一言で表すと、億劫。これに尽きた。
特に大きな原因は無いはずなのに、小さくもやもやとした正体の掴めない何かが、私の中に積み重なってしまっている。それが重くのしかかって、悪さを働いているようだ。
体も心も妙に重く、何をするにも面倒だと感じてしまい、やる気というやる気が
わかない。もやもやが、埃みたいに心の中に降り積もってしまっている。
何とかして、それを掃いてしまわなければ。
このまま何もせずに一日を過ごすのは、それは自分自身が許せなかった。
こういうときは、外出に限る。
支度をするのだってもちろん億劫だが、何とかなけなしの気合いを入れる。
山になっている洗濯物は、今は考えない事にした。
徒歩にしておよそ十分ぐらいのところに、ひっそりと、それはある。
独特のしんとした空気を纏って佇む、小さな科学館。
こんな風に、何をするのもやる気がわかない時や、妙に悲しい時。寂しい時。苛立った時。じっくりと考えを巡らせたい時。
そういう時、私はいつもここに訪れる。
この場所はいつも静かで、時間の流れが外よりもゆっくりと流れている気がするのだ。
静かといっても、その静寂は冷たいものではなく、暖かみを帯びているように思える。
ここに来て、ゆったりと歩きながら展示物を眺めていると、心に積もった埃が消えていくように感じるのだ。
雨上がりすぐということもあってか、科学館の中は、ほとんど人影が見られなかった。
その中を、水中を漂うように歩く。歩きながら、展示物を眺める。
説明文の一字一句を、緩やかな視線で追う。
科学などまるで詳しくないし、ここに展示されている類いのものなど、私は何一つ知らないのだが、それでも心地良い。
見知らぬものばかりの中にぽんと放り出されているというのに、どうして落ち着くのか。
もしかしたら、前世の自分と何か繋がりがあるのかなと、考える。
科学館の中で、そんな非科学的な考えを巡らせる。
大方の展示物を見終えたあと、一番上の階まで来た。
この階には、プラネタリウムがある。ちょうど良い時間だったので、見ることにした。
でもちょうど良くない時間でも、多分待っただろう。
この科学館に来ると、私はいつも最後に必ず、プラネタリウムを見てから帰ることにしている。
観客は私以外に誰もおらず、貸し切り状態だった。
どこか優越感を覚えながら、一人紺色のソファに腰掛け、プラネタリウムを見た。
いつも見る度に、このような星空を実際に見たら、どうなるんだろうと考える。
もし、本当にこんな夜空を見たら。
目を上に向けたその時、こんな満天の星空が広がっていたら。
私は、何を感じ、どう思うんだろうか。
考えたことは何度もある。想像を巡らせたこともある。
けれど、現実味がないせいか、一度も答えは出たことが無い。
でも、答えは多分、実際に見るその日が来たら、自然とわかるだろう。
その日までの、お楽しみということにすればいいのだ。
こういう結論を出すのも、毎度の事だ。
やがて、上映が終わった。
帰ろうと立ち上がりかけた時、足下に何かが落ちているのを見つけた。
私が座ったときには、確か無かったはずだ。
でも座るときにいちいち足下をよく確認なんてしないから、ただ気づかなかっただけかもしれない。
屈んで拾い上げてみると、それは写真のフィルムだった。
確か、科学館の展示物の説明にあったはずだ……。
記憶が正しければ、これは恐らく、スライドフィルムという名前の代物だ。
私は、両手でそれを持ち直し、じっとフィルムの向こう側に写っている景色に見入った。
それは、星空の写真だった。
プラネタリウムと同じくらいの、もしかしたらそれ以上の、満天の星。
それが、ずっとずっと、遙かな向こうまで広がっているのだ。
その星空には、終わりが無かった。
私が今までに見たことの無い星空を、この写真を撮った人は見ていて、知っているのだ。しかもその人は、私が座った席と同じ場所に座って、私と同じように、プラネタリウムを見たのだ。
その人は、何を思ってこの科学館に来たのだろうか。何を思ってプラネタリウムを
見たのだろうか。そして、見た時にどう感じたのだろうか。
もしかするとその人も私と同じように、何をするにも億劫に感じる心を奮い立たせたくて、ここに来たのかもしれない。
もちろん、違うかもしれない。でも、もしそうだったとしたら。
私は笑った。心が温かい布で包まれているのを感じた。
フィルムを大切に鞄の中へしまった。ちゃんと落とし物として届けようと思った。
これはこの人にとって、とても大切なものかもしれないから。
私は立ち上がり、プラネタリウムを後にした。
心の中に積もっていた埃は星となり、空へと昇っていっていた。
私は、早いとこ洗濯物を干してしまおうと考えていた。
「さみしいなにかをかく」
shindanmaker.com/595943
「お題:洗濯物を干すことすら億劫になった水曜日、プラネタリウムのある科学館でスライドのフィルムを拾った話」
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