あまおとのうた

絡刻

ひとつ

 小学校の卒業祝いとして親から貰った折り畳み傘は、幅を取るくせに雨を防ぐ半径が小さい、そんななんとも言えない物だった。

 押し入れの中で五年も眠っていたのだ。僕の身体が大きくなりすぎたのか、それとも傘が超常現象に巻き込まれて小さくなったのか。どちらにせよ仕方ないのかもしれない。あまりにも日陰干ししすぎている。

 親に文句が言いたいわけでもない。悪いのは放置していた僕自身だ。それでも意味の無い言い訳が欲しくなって、傘のせいにしてみる。なんだか雨の音が強くなった気がした。

 時刻は二十一時半。予備校だか塾だかから帰ろうと建物から出たら、突然雨が僕を襲った。今日の天気は晴れですというお姉さんの言葉を、今朝の僕は画面越しにしっかりと聞いていたというのに。

 そのまま傘を差さずに走って帰るのも手ではあったのだが、容易く濡れてたまるかと反抗心を示したらこの傘である。ついでと言わんばかりに、僕の心意気を打ち砕くかのように靴の中まで濡らしていった。


 黒く塗りつぶされていく灰色のジャンバーを見ていたら、考える事すら阿呆らしくなってしまった。


 僕は傘とは別に持っていた白杖を脇に挟み、曲を流そうとスマートフォンを取り出す。イヤホンは持っていないが、幸いなことに家へと続く道は人通りが少ない。

 ミュージックのアプリケーションを開き、ランダム再生を押す。そうして流れてきたのはカルメンより、ノクターン。別名、ミカエラのアリア。

 ランダムとはいえ、思わず笑ってしまう。考える事から逃避する為に曲を流したのに、夜想曲とは。夜も想っていないし、そもそも明け方ですら無かった。

 聴いてるうちに楽しくなって、歩きながら身体でリズムを取り始める。でも足はしっかりと大地を踏みしめていく。手荷物もバッグも全て投げ捨てて踊りたい気持ちになる。

 雨は、特に気にならなくなっていた。


 家に着くと同時に、曲は終わりを迎えた。なんとか持っていた白杖と傘を玄関の隅に置くと、親のおかえりと言う声がリビングへと続くドア越しに聞こえてきた。なんだか良く分からないけど嬉しくなって、ただいまと返した。

 キッチンへ移動して中身の無い弁当をバッグから取り出す。笑顔の僕が気になったらしい、親が何かあったのかと尋ねてくる。特に何も無かった。本当に特に何も無かった。そう答えると、ふーんと興味も無さげに、僕の為に料理の準備をするのだった。


 ふと、テレビのニュースが視界に入る。どうやら、明日の夜も雨らしい。それは、僕にとっては待ち遠しかったのだ。

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あまおとのうた 絡刻 @karagara_kiro

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