第55話 とある貴族

 暗闇に覆われた視界の中、こちらへ向かって急接近する複数の馬の嘶きと車輪の音。

 目を閉じている所為で余計にそう感じるのだろうが、それらの音がやたらけたたましいのは、石畳の上を走行しているからだろう。

 音からして、多分、馬車だ。気絶したふりをしている都合上、目を開けて確認する訳にはいかないが、非常に気になる。

 でも、薄目を開けるくらいなら……

 そう思った瞬間、不意にガチャッと扉を開ける音が響いて、ハンクの体が宙に舞った。

 

 ――なっ! 放り投げられた?

 

 突然の浮遊感に、気絶したふりをしていたハンクが慌てて開眼する。

 超低空で放物線を描きながら移動していくハンクの視界。それが最初に映した物は、柔らかそうな布で覆われた長方形の物体だった。

(……は? クッション?)

 てっきり、地面があるものだとばかり思っていたハンクの思考が一瞬停止した。パニック状態のハンクにとって、瞬き一つに満たないその時間は、受け身を取ることを放棄させるのに十分な時間であった。

 直後、ハンクの脳がそれを座席だと認識するよりも早く、彼の体はドスッと鈍い音を立てて馬車の座席に横たわったのだった。


「さて、ハンクよ。気絶したふりはお終いだ。エステルも心配そうにしているから、そろそろ起きてくれると嬉しいんだが」


 対面の座席に座ったザカリアの揶揄うような言葉に、ハンクがうつ伏せのまま溜息で応える。すると、歓喜の笑みを浮かべたエステルが、馬車の座席に横たわったハンクに抱き着いた。


「よかった! お兄ちゃん無事だったんだね! お父さん、いつもやり過ぎるから心配してたんだよ! ……でも、なんで気絶したふりなんかしてるの?」


 気が付くと、満面の笑みで抱き着いたはずのエステルが、不満に頬を膨らませてハンクを睨んだ。

 騙す様な態度を取ったハンクに怒りを感じているのだろう。その後ろめたさに、ハンクは微妙な笑顔を浮かべながら、ゆっくりと起き上がった。


「……悪い。ちょっと、いろいろ事情があってな。そいつにエステル達を巻き込みたくなかったんだ。ゴメンな」

「事情……?」


 キョトンとするエステルと目が合って、我ながら卑怯な言い訳だな、とハンクは心の中で独りごちる。

 刹那、ゴトリと音がして馬車が動き出した。


「……オレ達はな、自らを天上神の長フレイだと主張し、リガルド帝国の新たな皇帝となった白き勇者ヴィリーに呼ばれてここまで来たんだ」


 ややあってから、ガタゴトと馬車が石畳の上を移動する音の中で、ザカリアが低く良く通る声で口を開いた。だしぬけに出されたフレイの名前に、ハンクは表情が強ばりそうになるを必死に抑え「王様、だもんな」と、なるべく自然を装う。

 そんなハンクの顔を見ながら、ザカリアがニヤリと口角を上げた。


「この馬車はな、その天上神フレイ様が用意してくれたものだ。第1防壁西門のすぐ外側にある、とある貴族の屋敷まで連れて行ってくれるんだそうだ。フレイベルク滞在中は、そいつがオレ達を世話してくれることになっている」

「……ただの薬屋の俺には、関係のない話だな」


 含み笑いを浮かべるザカリアを直視し続けることが出来ず、ハンクは車窓から水平に移動する街並みを眺めた。

 ……アテが外れたかもしれない。

 あわよくば、このまま城まで連れて行ってもらえるかもしれないと思っていただけに、そんな考えがハンクの脳裏をチラリと掠める。それと同時に、ハンクの身を本気で案じていたエステルの顔が浮かんで、胸の奥がチクリと痛んだ。


「まあ、そう言うなよ。さっきも言ったが、少し付き合ってくれないか? なにせ、相手はあの白き勇者ヴィリーだ。オレのような普通の人間が、生命核を持つ現人神の機嫌を損ねたら一巻のお終いだ」


 おどけた調子で言うザカリアに向かって、ハンクはわざとらしくため息を零す。そのまま、アンタも王様なんだから、礼儀正しく挨拶してさっさと帰ってこればいいだろ、と心の中で毒づいてから半眼でザカリアを見た。

 

「断る。アンタさっき密偵に、挨拶は明日行くって言ってただろ。そんなに帰りが遅くなったら、流石に薬屋の仲間が心配する。俺はその屋敷に着いたら帰らせてもらうよ。それに、アンタだって”普通の人間”には、とても見えないぜ」


 よりにもよって一番会ってはいけない相手の所へなど、一緒に付いて行ける訳が無い。

 ……一番最悪のパターンだ。

 こうなっては、なりふり構ってなどいられない。悲しそうな顔でこちらを見上げるエステルには悪いが、とある貴族とやらの屋敷に着いたら、全力で逃げよう。

 つい今しがた、ザカリアを”普通の人間”では無いなどと言ったが、生命核を持ち、人外の存在であるハンクからすれば、彼はあくまで”普通の人間”だ。本気を出せば逃げ切ることなど造作も無い。

 それに、コルナフースでの一件を思えば、勇者ヴィリーの体を乗っ取った天上神フレイを許す気など毛頭無いのがハンクの本心である。正直、ザカリアに付いて行って、不意打ち同然にフレイを消滅させることだって吝かではなのだ。

 だが、実際にそれを成した時、元々のハンクの目的であった”ハイエルフのサラの奪還及び、彼女の育てた子供立ちの保護”は、大きな混乱の中で達成不可能となってしまうだろう。

 なにせ、多くのリガルド帝国重臣が見守る前で、新たな皇帝位を宣言した天上神フレイを討ち取るのだ。その衝撃は計り知れないものとなるはずである。


 ――3か月前。

 コルナフース周囲に展開している帝国軍より帝都フレイベルクへ齎された、ノーライフキング消滅の知らせと勇者ヴィリーの帰還は、現皇帝ベルナード・ガウェイン=リガルドを始めとした全ての帝国首脳陣を驚愕させるものであった。

 早馬でその知らせを届けた兵士の説明によれば、漆黒のドームに覆われたコルナフースへ勇者ヴィリーが向かってしばらくした後、突如、巨大な光の柱が城の辺りに出現した。その巨大な光の柱がコルナフースを覆う漆黒のドームを霧散させると、狼の遠吠えともドラゴンの咆哮ともとれる鳴き声と共に漆黒の稲妻や竜巻が出現して、街の中心部で荒れ狂った。しばらくその状態は続き、すべてが静かになった後、転移の魔法陣で帰還した勇者ヴィリーと聖女ヴェロニカにより、ノーライフキングが消滅したことを知らされたのだという。

 当然、俄かに信じ難い出来事であるが、ほどなく帝都フレイベルクに帰還した勇者ヴィリーによって、そのすべてが真実であると証明されたことで城内は快哉を叫んだ。

 そして、勇者ヴィリーはその快哉の中、自らが天上神の長フレイであると明かした。

 さらに、地上の人々は天上神フレイの下、創造神アルタナから独立し、この世界から冥界神の軍勢を排除することによって、正義と平和に守られた理想の世界を築くことが出来る。

 ヴァルハラの如き安息の地を得る為、ここに聖戦を開始すると宣言したのだった。


 ――そして現在。帝都フレイベルクは、翌月に迫ったリガルド帝国からミズガルズ神聖皇国への国名変更と、天上神フレイへの統治権奉還に沸き立っていた。


 もし、こんな状況で無理矢理フレイを討ち取ろうものなら、ハンクの仲間であるアリア達がどうなるか分かったものではない。その上、彼らがエルフ王からサラ奪還の依頼を受けていることまで知られれば、即戦争に発展してもおかしくないだろう。

 そうなった時、この異世界に転生してから築いたすべてを失ってしまう。アリア達大切な仲間。優しく包み込むように寛容な心でハンクを信頼してくれたエルフ王アルヴィス。姉のアリアを心配しつつも、予言者としての使命を全うするイーリス。長剣をくれたマレインだってそうだ。

 それに、象徴を失いタガの外れた帝国が、アドラス王国にもその手を伸ばすことだって考えられる。だとしたら、冥王竜ラダマンティスによって町が半壊したままのドルカスなど、瞬く間に蹂躙されてしまうだろう。冒険者ギルド職員のレジーナやカタリナ、他愛もない話をした冒険者達。

 それらすべてが、戦争という名の暴力で掻き消えてしまうのだ。極端で飛躍した話だが、それを一笑に付すことが出来ない自分がいる。

 

 ――馬車が止まって、外に出たら姿をくらまそう。


 幸い、お手本はさっき帝国密偵が見せてくれた。きっと、体の周りの光を屈折させていたのだろう。あれを利用すれば、周囲の景色に溶け込むことが出来るはずだ。

 全身を魔力の層で覆って光を屈折させ、歩く音や声はその魔力の層に伝わらせて減衰させてしまえば、それ以上周囲に漏れることも無い。きっと、そういう原理だろう。

(酷いお兄ちゃんでゴメンな、エステル)

 断る、と言ったハンクの言葉に、今にも泣きそうになっているエステルを横目で見て、ハンクは心の中で詫びを入れた。拒絶の言葉をくれてやった当のザカリアと言えば、エステルの隣に座って余裕の表情でこちらを見ている。

 どこからその余裕が来るのか知らないが、彼らと一緒に行くことは出来ない。生命核を持ったリンでさえああなってしまったのだ、それにハッシュだって……

 肝心な時あの場にいることが出来なかった自分自身に、苦々しいものが浮かんでハンクは小さく眉をしかめた。

 わずかな沈黙の後、金属が軋むような音がして、馬車が減速を始めた。

 ……そろそろだ。

 ハンクはゆっくりと一つ息を吸って、馬車の扉に目を向けた。

 馬車はさらに速度を緩めていき、やがて大きな屋敷の正門前でその速度がゼロになった。ほんの少し間を置いて、扉が開き――瞬間、ハンクは息を飲んだ。

 なぜなら、屋敷の正門前に立ち馬車の横あいからこちらを見上げていたのは、胸のあたりまで伸びたプラチナブロンドの髪とアルビノの目をもつ女性――勇者ヴィリーの信頼厚き仲間である”聖女”こと、ヴェロニカ=ドレッセルその人であったからだ。


「ヴェロニカ……なんで、ここに……」


 絶対会ってはいけない人物の内の1人に、ありえないタイミングで出会ってしまった。

 予想外の出来事に、今の今まで逃げる算段をしていたハンクの口が、度胆を抜かれて呆けたように開きっぱなしになる。

 だが、驚いたのはハンクだけではない。ヴェロニカも同様だ。形の良いアルビノの瞳がわずかに見開かれ、数秒、ヴェロニカの動きが止まった。


「……まさかあなたにここで会うなんてね。奥にはドワーフ王ザカリア様もいらっしゃるようだし……歓迎するわ」


 先に口を開いたのはヴェロニカだった。しかし、どれだけ考えようと、ハンクにはヴェロニカの口から出た「歓迎する」の言葉の意味がさっぱり分からない。考えれば考える程、混乱は増すばかりだ。

 そうこうしているうちに「んっ」と声を出したエステルが、扉の踏み台からジャンプして、下から手を差し伸べるヴェロニカにしがみついた。

 ザカリアも愛娘に続いて外へ出ると、ヴェロニカに向けて鷹揚に構える。


「聖女ヴェロニカ。帝都フレイベルクに逗留する間、しばし世話になる」

「本来であれば皇宮にて歓待すべき所、この様な狭い屋敷に御身を留める不便、ご容赦願います」


 ヴェロニカはエステルをそっと体から離すと、居住まいを正してカーテシーで応えた。


「よい。それよりも、その様な堅苦しい喋り方などしなくてもいい。普通にしてくれて構わん。将はお主なのだからな」

「では、お言葉に甘えて。ザカリア様、エステル様。それに、”守護者”ハンク。歓迎するわ。こちらへどうぞ」


 どこか含みのある笑顔を浮かべたヴェロニカに、ほう、と声を漏らしたザカリアが、楽しそうに口元を歪めてハンクを見上げた。


「どうだハンク、話を聞く気になったか? エステル! ハンクお兄ちゃんを馬車から引っ張り出してやってくれ」

「分かったよ、お父さん! 一緒にいこう、ハンクお兄ちゃん!」


 ……こうなったらヤケクソだ。その話とやらを徹底的に聞いてやろうじゃないか。

 満面の笑みで手を伸ばすエステルを見ながら、ハンクも又、その顔にうっすらと笑みを浮かべたのだった。

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