第44話 友達

 強烈な轟音が立て続けに聞こえた後、コルナフース城最奥の大広間が左右に揺れた。

 大広間の天井に吊られたシャンデリアが何台も激しく揺れて、石造りの室内に埃が舞う。しかし、横揺れは一瞬の事で、少しすると大広間は再び静けさを取り戻した。

 とはいえ、一度振り子のように揺れたシャンデリアがすぐに動きを止めることは無く、いつ頭上に落下してくるとも分からない現状に、エルザは不安な顔で天井を見上げた。

 ――突然、エルザの視界いっぱいにリンの顔が映る。

 大広間の中央で屈んだエルザを守るように、リンの両腕と顔が覆い被さっていたのだ。

 真上を見上げたエルザと、下を向いたリン。当然の様に、2人の目が合った。


「えっと……その……エルザ、大丈夫?」


 気まずそうな表情の後、それを隠す様にリンは天井を見上げた。天井に吊り下げられたシャンデリアは、未だ揺れているものの、徐々にその振り幅を減少させていく。


「はいっ。……あの……あり、がとう。リン」


 2人が囚われていた牢を脱出して以来の会話に、エルザはしどろもどろになって言葉を返した。

 朝、牢屋を脱出してから、それほど時間が経ったわけでは無い。それなのに、何日も喋ってなかったような錯覚さえ覚える。気まずいのはエルザも一緒だ。

 その所為か、リンとは反対に下を向いたエルザの額が、ぽんっとリンの胸に当たる。不意に感じた温かい感触に、エルザの動きが止まった。


「…………鎧も着けてない人が私に覆い被さってどうするんですか。天井の石やシャンデリアが落ちてきたら大怪我じゃすみませんよ……リンには……天上神の司祭である私の回復魔法なんて効果ないんですよ?」

「そうだね。試したくは無いけど、回復魔法なのに激痛でも感じるのかな? だけど、大丈夫。今の私は天井が落ちてきた位じゃ怪我なんてしないよ。それに……ハンクが本気出しちゃったみたいだし。そろそろ、私もまじめにやらないとね」


 リンは冥界神の力をその身に宿した魔王だ。おどけたリンの言葉が、エルザにそれを再認識させる。

 魔王は邪悪な敵、勇者は聖なる神の御使い。大蛇の尾根を越えた北方の地を治める冥界神は、自らの依代を魔王とする事で、天上神が治める南方の地を手中に収めようとしている。それ故、魔物の軍勢を率いた魔王は、南方の地へ進軍する機会を常に窺っているのだと言う。

 8歳で司祭としての才能をミズガルズ聖教会に見いだされたエルザは、ずっとそう教えられて育った。

 実際に、リガルド帝国はつい5年前まで、その国土の半分を、大蛇の尾根を越えて進軍してきた魔王に奪われていたのである。

 それなのに、目の前の彼女――リンが邪悪な魔王だとは、とても思えない。

 正直、打ち倒すべき相手を前に何を言っているんだと言う自分がいる。その自分が、天上神への信仰はその程度だったのかと烈しく叱責し、白き勇者ヴィリーから聞いた、魔王に支配された帝国領の惨状を得々と語っている。

 ――なのに、だというのに、


「……どうして、なぜリンは魔王になったんですか?」


 自分自身が何か喋っている。エルザがそう気付いた時、彼女は俯いたまま、その言葉を口に出していた。

 天上神の僕である自分が、冥界神の依代である魔王の事など聞いてなんになると言うのだろう。それを聞いたからと言って、楽になるはずなど無い。返って苦しみが増すだけだと言うのに。

 ――間違えた振りをしてしまおうか、それとも「冗談です」などと言って誤魔化してしまおうか……

 思わずそんな考えがエルザの脳裏をよぎる。

 一体、自分は何を期待しているのだろう?

 リンの事をもっと深く知ってしまったら、彼女を敵として見る事など出来ない。きっと、見逃してしまう。そして、二度とリンに会う事が無いよう神に祈るはずだ。

 でも、その祈りは天上神にとって、反逆行為以外の何者でもない。

 反逆者となれば、回復魔法はおろか神聖魔法のすべてを失うだろう。

 その未来は、良くて幽閉、悪くて処刑である。

 ぐるぐる回る悪い考えに、エルザが身を堅くしたその時、エルザの頭上を覆っていたリンの腕が解かれた。


「ハンクには悪いけど、しばらく待ってて貰おっか」


 伏し目がちに足元を見ながら、リンがエルザの隣へ腰を下ろし、にまっと笑顔を浮かべる。その意味を量りかねたエルザが、怪訝な表情を浮かべると、笑顔のリンが大広間の中央を見ながら、ゆっくりと口を開いた。


「……本当のリンはね。8歳で死んだんだ。今いる”私”は、フェンリルの力で別の場所から魂だけ連れて来られたの」

「……え?」


 リンの言っている言葉の意味を、即座に理解する事が出来ず、エルザが呆然とする。


「本当の”私”も、17歳で死んだ。今思い出すだけでも、最悪な死に方だった。……私ね、悪魔を呼び出すための供物として、実の母親に殺されたんだ。勿論、悪魔なんて創作の中の存在だって思ってた。でも、違った。あの人は本当に悪魔を呼び出す事に成功した。……まあ、今となってはあの人が何を願ったかなんてどうでもいいけど」

「そんな……そんな事って…………」


 絶句するエルザの隣で、大広間の中央、がらんとした空間を見つめるリンに表情は無い。

 勿論、それは意図したものだ。喜怒哀楽。そのどれか一つに僅かでも傾いてしまえば、それが引き金となり、母への憎しみに囚われてしまうだろう。

 だから――本当はこんな話などしたくない。

 だが、自らの信仰を揺るがせながらも、エルザはリンと向き合おうとしている。本人は隠しているつもりだろうが、丸分かりだ。

 そんなエルザに、距離を置いて接する事はフェアじゃない。心からそう思ったからこそ、リンはその対価として、自らの一番昏い部分をさらけ出したのである。

 とはいえ、此処は異世界だ。人権など、泡沫うたかたの夢に等しい。

 リンよりも、さらに残酷な目に遭った者など、ごまんといるはずだ。


 つい先ほどまでだって、大広間の中央には、黒い布で目を隠された血まみれのアンデッドが立ち尽くしており、左の鎖骨から腹部にかけて、一本の剣がその体を貫いていた。

 一目見て、残酷な死に方をしたのだろうと想像が付く。しかも、着用していたのは、女性物の衣服だ。

 ――多分、あれがノーライフキングだったのだろう。

 なにせ、それは大広間に入った途端、大量のアンデッドを召喚したのだ。だが、アルタナとリンの前では、アンデッドなど紙で出来た兵隊も同然である。

 特にラーナと名乗ったアルタナは圧巻であった。

 無造作に大広間の中央へと進み、「赦そう、我が子らよ。皆、輪廻へと還れ」とアルタナが一言発すると、ノーライフキング以外のアンデッドが瞬時に灰と化したのだった。

 その直後、リンはハンクの魔力が解放されたことに気が付いた。

 当然、アルタナもそれに気が付いたはずだ。「遅いわ。愚か者め……」と呟いた後、


「事情が変わった。そこのアンデッドと共に前庭へ行く。お前達は後からゆっくり歩いて来い」


 そう言い残して、アルタナはアンデッド共々、瞬時に姿を消した。十中八九、試練の材料に使われたのだろう。

(――安らかに眠る事も許されないなんて……)

 正直、その姿にリンは自分を重ねた。アルタナが配下になれと言った真意も未だ不明である。使い潰すような事はしないと言ったが、どこまで本当かなど分かったものでは無い。

 ――結局、神とはそういうものだ。

 気まぐれで、到底真意など量れない。太古の昔、人々は大自然に神を重ねた。やはり、それは無理からぬことだったんだろう。

 諦観の念。

 誰もいなくなった大広間の中央を見つめるリンの心の内はまさにそれだ。だが、それはとても危ういバランスの上に成り立っている。

 だから、一瞬の油断も出来ない。話はまだ、入り口にすぎないのだから。

 ゆっくりと一つ深呼吸をしてから、リンはフェンリルに転生させて貰った事、8歳のリンとなってこの世界を生き、ある日、名も無き魔王に襲撃されて、初めて出来た大事な友達――ティナを喪った事、魔王である事を隠し一人で生きて冒険者となり、冥界竜の生命核を得るために向かったエルダー火山でヴィリーと戦った事、その後ハンク達と出逢ってここまで来た事をエルザに語った。








「……狡いですよ。リンがもっと嫌な人なら良かったのに。人の命なんて何とも思わない、その名も無い魔王みたいだったら……」


 リンの話を聞いたエルザが、目に涙をためて言葉を詰まらせた。そんなエルザに、リンはにまっと笑顔を作る。


「ごめん。私が魔王だからって、エルザはそれを必死で割り切ろうとしてること、解ってる。でも、何も言わないで距離を取るのはフェアじゃないかなって思って。私ね、あっちの世界で死ぬまでは友達なんて1人もいなかったんだ。そう呼べる人が出来たのは、この世界へ来てから。勿論、あなたのこともそうだって思ってる。だから、友達のエルザにはそれを知っておいて欲しかったんだ。――ここでお別れだとしても」


 エルザの安全を確保する為にも、まずは前庭へ行き、ハンクと交戦中の”試練”を倒さなければならない。

 きっと、アルタナはそこで質問の答えを聞いてくるだろう。

 それなら、後の事はハンク達に任せればいい。たとえ、その答えがどんな結果を招くものであろうと……。

 リンは伏し目がちに下を向いて、1つ息を吐いてから、すっと立ち上がる。その刹那――突然、亜麻色の髪が眼前に迫り、抵抗する間も無く、リンはエルザに正面から抱きしめられた。


「お別れなんて言わないでください! 私を……私を護衛するのが、リンの仕事でしょ? それに、リンが、魔王だと言うなら……私は、あなたに付いて行きます。だって……リンが悪さをしないように見張らなきゃいけませんから」


 亜麻色の髪の向こうで、涙声のエルザがリンの肩に顔を埋める。

 エルザは所々言葉を詰まらせつつ、肩を震わせて泣いた後、ゆっくりとリンから離れ、両手を取って目を合わせた。


「……リンは私の友達ですから」


 その眼を涙で濡らして、エルザは、はにかむ様な笑顔を見せた。

 友達だからこそ、フェアに、対等でいたい。その思いはエルザも一緒だ。だからこそ、踏ん切りをつける事が出来た。覚悟を決めよう。そう思えたのである。

 

「……ありがとう。でも、それはとても大変な道だよ?」

「構いません。私は司教候補の司祭なんですよ? すこしくらいの我が儘は許して貰えるはずです。さっきも言いましたけど、魔王が悪さをしない様に、自ら見張るんですよ?」


 クスリと笑い声を漏らすエルザに、リンも口元を緩める。


「魔王の私を狙って、帝国の勇者ヴィリーが戦いを吹っかけてくるかも知れないんだよ?」

「そんな事はさせません。私が止めて見せます」

「……仕方無いなぁ。だったら、ハンク達を止めるのは私の役目だね」


 リンがわざとらしく溜め息ついた後、2人は顔を見合わせて笑った。

 ややあって、笑いが落ち着いた後、エルザが真面目な顔でリンを見つめる。


「私の姉は、勇者ヴィリーと共に行動してるんです。名前はヴェロニカ。最強の司祭で、周りからは”聖女”なんて呼ばれてます。いざとなったら、ヴェロニカを説得して、2人で戦いを止めます」

「……えっと、なんていうか、それは予想して無かったな。火山で戦った時はヴィリー一人だったけど、お仲間がいて、しかも、それはエルザのお姉さんか…………」


 運命の神様がいるのだとしたら、きっと意地悪な性格に違いない。

 ……本気でそう思う。

 目の前で握り拳を作り、「大丈夫!」と意気込むエルザを見ながら、リンは頭を抱えたくなる衝動を必死でこらえた。

 思わず苦笑いが漏れ、視界の端に大広間の中央が映る。その時、リンは、はたと大事な事を思い出した。

 ラーナこと創造神アルタナと、ノーライフキングの事である。

 ハンクが力を解放してから、既にかなりの時間が経過した。だが、未だハンクとアリア達、それにノーライフキングらしき気配を外から感じる。つまり、戦闘は続行中だ。

 正直な所、全力を出せば出す程、暴走の危険が増す。だが、それが分っていたからと言って、ハンク達を見捨てることは出来ない。

 リンにとって、パーティは仲間であると同時に、友達なのだ。死なせる訳にはいかない。かつて、ティナが、リンにそうしてくれたように。

 

「今頃、ラーナがハンクにノーライフキングをけしかけてると思う。理由は……走りながら説明する。急ごう」

「はい!」


 ハンク達が無事である事を祈りながら、2人は大急ぎでコルナフース城前庭へと向かったのだった。 

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