第39話 半端者と卑怯者
翌朝、エルザの目の前で、槍の柄ほどの太さがある鉄格子が、まるで木の棒でも叩き斬るかのように、何本も纏めて切断された。
支えるものを無くして自由落下する鉄の棒を、リンが空いた左手と右足首を器用に使って受け止めていく。その際、鉄の棒同士がぶつかったり、石の床にあたって鈍い音を立てた。だが、遠くまで響く大きな音ではなかった。
そして、鉄格子の前に佇むリンが「上出来」と一言呟くと、その手に持った両手剣の剣身が漆黒から鈍色へと変わった。昨晩、彼女がなるべく静かに開けると宣言した通り、派手な音1つさせず、鉄格子には人間1人が楽に通り抜ける事が出来そうな隙間がぽっかりと空いた。
目を疑う光景とは、まさにこの事である。
交代で睡眠をとったから、未だ、しっかりと覚醒してないのだろうか? そんな事を考えながら、エルザは自分の目を軽くこすってみた。しかし、目の前の風景に変化は無い。鉄格子には、ぽっかりと隙間が出来ている。
どんな力で剣を振れば、こんなにもあっさりと鉄格子を切断できるのだろうか? しかも、その両手剣が鉄格子を切り裂く瞬間、剣身の輪郭が歪んでいた。
冷静に考えれば考える程、現実を否定する言葉ばかりが浮かんでくる。
――きっと、冒険者だから特別な鍛え方をしているのだろう。
強引に自分を納得させてエルザがリンを見ると、彼女は驚きの視線を送るエルザの事など気にも留めず、石床に転がる鉄の棒を真剣に眺めていた。
「……悪くない、かな」
リンは床に転がった手ごろな長さの鉄の棒を選んで掴み、そのまま片手で素振りして、天上に当たらないか確認を始めた。風切り音を立てる鉄の棒に、エルザが訝しむ様な視線を送る。
リンが軽々と振り回しているそれは、元は鉄格子だったものであり、ずっしりと重い鉄の棒である。しかも、この状況だ。当然、鉄の棒を一体何に使うかなど解りきっている。それでも、エルザはその事をリンに尋ねずにはいられなかった。
「どうするんですか、それ?」
「ん? 武器だよ。建物の中で両手剣振り回す訳にもいかないし。私、予備の武器持ってないんだ」
リンは冒険者だ。だが、それ以前に同じ女性である。どう見たって彼女の腕は、エルザより少しばかり筋肉がついている程度にしか見えない。それにもかかわらず、鉄の棒を軽々と振り回す彼女は、ずっしりと手になじむ得物に満足気だ。そんなリンの姿に、エルザは返す言葉が見つからず苦笑いを浮かべた。
昨晩、アンデッドは魔物だとエルザが教えてから、リンのアンデッドに対する見方が少し変わった。苦手意識は残るだろうが、今のリンであれば、アンデッド達相手に後れを取ることは無いだろう。
だが、敵はアンデッドばかりとは限らない。魔物や、生きた人間と言う事だってあり得るのだ。そのような敵と相対した時、リンはあの鉄の棒で彼等を殴打するのだろうか?
その光景を思い浮かべて、エルザは顔に恐怖の色を浮かべた。
「急に黙ってどうしたの? 表情が色々変って面白い事になってるよ」
「いえっ! 気にしないでください! それよりも建物の探索、行きましょう!」
悪いことしそうな人みたいでしたなどと、口が裂けても言えない。
こうなっては、同じ人間が敵として出てこない事を祈るばかりである。
それに、何より自分は司祭だ。8歳で教会に入ってから、怪我をした人を治療し、迷える魂を浄化する為に修練を積んで来た。出来れば誰であっても、目の前で傷ついたり死んでほしくない。
勿論、甘い事を言っているという自覚はある。とはいえ、こればかりはしみついた習性の様な物で、どうしても直せそうにないのだ。その所為で、姉のヴェロニカには「エルザは甘ちゃんね」などと、何度も揶揄されたのだが、今となってはそれも懐かしい。
過去の記憶にエルザの頬が緩みかけたその瞬間、リンの緊迫した声が、石造りの牢内に響いた。
「あなたが私達を攫った犯人? だとしたら、本気で抵抗させてもらうけど」
リンの声で我に返ったエルザが、鉄格子の向こう側の通路に視線を戻すと、いつの間に現れたのか、そこには黒衣の少女が薄らと笑って立っていたのだった。
「お前と言い、ハンクと言い、もう少し畏敬の念を持っても良いと思うのだがな。……まぁ、そんな事より、お前達を攫ったのは我では無い」
「信じられると思う?」
黒衣の少女が、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
リンとこの少女は知り合いなのだろうか? しかし、会話の内容からとても友好関係にあるとは思えない。
エルザが、黒衣の少女に訝しむ様な視線を送っていると、
「ここへ来た用事は1つ。リン。お前を勧誘に来た」
予想だにしなかったのだろう。突然の誘いにリンが唖然とする。
今なら黒衣の少女が何者か聞けるかも知れない。不意に訪れたわずかな沈黙の間を縫って、エルザが口を開こうとしたその瞬間、強烈なプレッシャーが彼女を襲った。
黒衣の少女が、リンを可笑しそうに見ながら、ちらりとエルザに視線を向けたのだ。
ほんの、一瞥。ただそれだけの動作に、エルザの心臓がドクンと跳ね上がった。彼女は危険だ。エルザの頭の中で、警鐘が鳴り響く。肺を鷲掴みにされたような息苦しさの中、黒衣の少女に視線を向けようとすると、その視線を遮る様にリンがエルザの前に立った。
その途端、今まで感じていたプレッシャーが嘘の様に遠ざかり、リンと鉄格子を挟んだ向こう側に立つ、黒衣の少女の声が再び聞こえた。
「ラダマンティスを撃破した後、ハンクは頑なにその生命核が自分に吸収されるのを拒んでいた。その所為で、行き場を無くした膨大な魔力は、ほぼ全てお前に吸収された。そして、神を失くしたグレイプニルは、現在、空の器だ。しかし、ラダマンティスから得た強大な魔力を触媒に、お前の生命核とグレイプニルを同化させれば、そのすべてを継承できる。――意味は解るな?」
コクリとリンが頷くと、黒衣の少女は満足そうに微笑んだ。
「現在お前はラダマンティスから得た魔力を持て余した状態にある。それはそうだろう? 魔力の総量だけなら、ハンクより強い冥王竜の生命核だ。お陰で、生命核を吸収した後2、3日は暴走を抑えるのに必死だったのではないか?」
ピクリと、リンの肩が動く。図星をつかれたのだ。
それにしても、この2人が喋っている内容は本当の事なのだろうか? 冒険者同士の勧誘かと思ったが、どうも違うらしい。それに、”生命核”などと言う、聞き慣れない言葉も飛び交っている。
しかし、エルザはその言葉が持つ意味を知らない訳では無い。俄かには信じられない思いで、エルザは目の前に立つリンの後姿を見た。
「持て余してたらどうだって言うの? 今のままじゃ制御出来ないとでも言うつもり?」
「その通りだ。ひとたび魔力が暴走すれば、その時お前は人類を喰い殺す魔狼と化す。それは明日かも知れないし、何年後かも知れない。だが、お前がグレイプニルを継承すれば、その力は問題なくお前の一部となり、そのような心配も無くなる。晴れて此方側へ一歩踏み出す訳だ。しかし、どちらにせよ、元々お前の存在はヒトの理の外側にある。ならば、我と共に来い」
自信に満ち溢れた顔で、黒衣の少女がリンに手を差し出した。その手を見て、リンがクスリと笑う。
「じゃあ、あなたの配下に加わって、私にハンクと戦えってこと? 次の試練は私にでもするつもり?」
「悪くない案だ。だが、正直勿体無い。」
差し出した手はそのままに、心底惜しそうな顔で、黒衣の少女が頭を振った。
「安心するといい。使い潰すような真似はしない。貴重な戦力だからな」
一体、リンは何と戦うための戦力だと言うのだろう。ふと、エルザの脳裏に、そんな考えが浮かんだ。
エルザの知る中で、生命核を持つ存在とは”勇者”と呼ばれる人間である。
天上神を信奉するミズガルズ聖教会では、神の使徒たる勇者に対して、絶対の服従を誓うように教えられる。なぜなら、生命核を得た彼等は、天上神に認められた神にも等しい存在だからだ。
そして、黒衣の少女の話ではリンも生命核を所有している。それが本当であれば、邪悪な気配など微塵も感じさせない彼女は、自分が仕えるべき勇者のはずだ。
だが、リンは今、暴走の危機にある。もし、それが発現してしまえば、彼女は魔狼となって人類を喰い殺すのだと言う。
ならば、それが意味するところは、対極の存在。つまり……
「リン、あなたは”魔王”? それとも……」
呆然と呟くようなエルザの声に、リンが振り返って困惑したような表情を浮かべた。だが、それも一瞬の事であり、リンはすぐに正面へと向き直る。
「……今は返事できない。話はエルザを安全な所へ連れて行ってから。私が欲しいのなら、それ位待ってくれるでしょ?」
「いいだろう。では、我も同行しよう。……ラーナとでも呼んでくれ」
それだけ言うと、ついて来いとばかりに、ラーナと名乗った黒衣の少女がさっさと歩き出した。リンも「行こう、エルザ」と、前を向いたまま一言口に出してから、切断した鉄格子の隙間をくぐろうと身を乗り出している。
――どうしてリンは魔王である事を否定しないのだろう。一言、自分は勇者だと言ってくれさえすれば、私は身命を賭してリンに協力するというのに。
ここが何処かも分からないこんな場所で、アンデッドを怖がっていたリンの姿は、私と同年代の、普通の少女だった。そんなふうに怖がるリンを励ましたつもりで、私の方こそ心細さを埋めて貰っていたのだ。
”リン”でいいよと言った彼女は紛れも無く――友達だ。友達になれると思ってたんだ。
それなのに、なんでこんな時に限って、リンは魔王だと確信めいた直感が働くのだろう……
「リン! どうして…………どうして否定してくれないんですか!? なんで勇者だって言ってくれないんですか!」
エルザは短杖を両手で握りしめてリンに向けた。言葉の最後は嗚咽交じりだ。うな垂れた態勢の所為で、亜麻色の髪がエルザの表情を覆い隠す。
司祭であるエルザは攻撃魔法のすべてを禁じられている。出来るのは守る事と癒す事。護身用の短杖だって、腕前は下級冒険者といい勝負と言った程度だ。
それでも、司祭と言う自らの役目が、短杖をリンに向けさせた。例え敵わなくとも、相手は不倶戴天の敵かもしれないのだ。
「ごめん、エルザ。仕えるべき神様が消滅した時点で、本当なら私も消滅したっておかしくなかった。でも、私は生きてる。生かされたんだ」
リンはゆっくりと振り返り、力無く微笑んだ。
「私は冥界神フェンリルの眷属、リン。でも、神様のいない今の私は魔王ですらない。ただの半端者。信じて、なんて言うのは都合がいいけど、それでも、エルザだけは絶対に死なせない」
冥界神に魔王。一番聞きたくなかった言葉。まるで、鉄の棒で頭部を殴られたような衝撃だ。どうしたらいいと言うのだろう? リンを信じたい自分と、それを戒める自分が頭の中でせめぎ合って、正直、訳が分らない。もう、何も考えたくない。
思考を放棄したエルザの手から力が抜け、彼女は構えを解いた。
「行こう。きっと今頃、ハンクとイザークが私達の事を探してる。それに、傷を負った人達の為にも、司祭のあなたは死んじゃだめだ」
「そんなの、狡いよ……」
俯いた視界を遮る亜麻色の髪のカーテン。その隙間からは、ゆっくりと踵を返すリンと、無造作に転がる鉄格子だった鉄の棒が見える。
――まるで、置いてけぼりを食らった子供だ。
癇癪を起こした子供みたいに、この短杖を振り回して「嫌だ!」と言えたらどんなに楽だろう。だけど、それは出来ない。だって、私は司祭だ。感情を剥き出しにして取り乱したり、神の教えを疑ってはいけないと、ずっと教えられてきた。
なのに、思わず「狡い」などと口に出してしまった。
もう何も考えたくないと思ったはずなのに、頭は考える事をやめてくれない。
(――司祭である事を引き合いに出されて、狡いと言い返す私に、司教になる資格なんてあるのかな?)
この旅は、司教になる為にバスティア海沿岸国を回る修行の旅だ。各地の教会で祈りを奉げ、治療を手伝い、アンデッドを浄化する。そうする事で、司祭としての信仰と見聞を広めた後、1つの教会を任されて司教と成る。
だが、エルザにとって、この旅の目的はそれだけでは無い。寧ろ、もう一つの目的の方が重要なのだ。
――それは、姉ヴェロニカ=ドレッセルの捜索。
7年前、勇者ヴィリーの協力要請に応じたミズガルズ聖教会は、当時14歳にして、すでに当代最強と名高い司祭ヴェロニカを勇者の元へと遣わした。
それからは、各地の教会を通してヴェロニカからエルザに手紙が届いた。たまの休暇には、パルメイア連合国にある、エルザがいる教会まで来たこともあった。だが、数か月前、突然ヴィリーとヴェロニカの行方が分からなくなった。
日々膨らんでいく嫌な予感に、何度教会を飛び出そうと考えた事か。そんなとき、エルザの元に司教になる為の修行の旅へ出るよう指示が下った。この旅は、通称”巡礼の旅”と呼ばれている。この偶然に、エルザは心から天上神に感謝したのだ。もちろん、エルザは二つ返事で巡礼の旅に出る事を了承した。
(…… ……違う。狡いのは私だ。巡礼の旅をヴェロニカ探しに利用しようとしたんだから。なのに、私がリンの事を狡いなんて言う資格は何処にも無い。それに、ヴェロニカの手掛かりだって何もつかめてない。こんなことを言う私は――無力な卑怯者だ)
エルザは血が出るのではないかと言う程強く唇を噛みしめ、骨が折れるのではないかと言う程ありったけの力を込めて短杖を握りしめた。
巡礼の旅に出て2か月。エルザは未だ何の目的も成し遂げてはいない。それどころか、護衛の神殿騎士を2人死なせてしまっている。寧ろ成果はマイナスだ。
「これじゃ、みんなに合わせる顔が無いよね」
ぽつり、と小さな声で呟いてから、エルザは一歩前へ踏み出した。
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