第38話 囚われた2人

 血のように赤く禍々しい輝きを放つ魔法陣が、エルザの足もとに突然現れたかと思うと、同時にふわりとした浮遊感を感じた。

ゾクリと背筋に恐怖が走り、エルザの目が見開かれる。急いでこの場所を離脱しなければ。頭では理解しているものの、咄嗟に足がついてこない。地面に足が縫い付けられているのではないかと疑いたくなるほどだ。

 どんどん強まって行く光の中で、エルザの脳裏に絶望がよぎったその直後、横合いから全身を何者かに抱きすくめられた。反射的に相手を確かめると、それは、今まで隣を歩いていたリンであった。

 一体何が起きているのだろう? 状況に思考が追いつかぬまま、リンに抱きかかえられる格好となり、ちょうど見上げる位置にある彼女の顔が目に入る。


「エルザの事はまかせて」


 リンはそう言うと、外にいるハンクに向かって頷いた。

 だが、既に魔法陣の内部は赤く禍々しい光で満たされており、どこまでハンクに聞こえたのか疑問だ。ともすれば、何も聞こえていないかもしれない。

 ほとんど何も出来ないまま、エルザとリンは赤く禍々しい光に飲み込まれた。




 妙に長く感じたが、実際、赤く禍々しい光に包まれていたのは、ほんの数秒だったのだろう。2人の足もとで禍々しい光を放っていた魔法陣は、最初からその場所に無かったかのように、きれいさっぱりと消えていた。

 そして、その光が消えた時、夜の街道に替わってエルザとリンの目の前に現れたのは、石造りの壁とずらりと一直線に並んだ鉄格子であった。部屋の片隅には形ばかりの寝台が置かれ、鉄格子の向こうの壁に掛けられたロウソクが放つ弱い光が、室内を不気味に照らし出している。


「鉄格子……どこかに転移させられたみたいですね」

「……ここは…………牢屋?」


 リンの言葉にエルザが無言で頷いた。

 どこからどう見ても、ここは牢屋の内部だ。先ほどの魔法陣が攻撃型の罠では無く、転移型の罠であったことをエルザは神に感謝した。だが、この場所が安全とは言い難い。連れ去っておいてそれでおしまい、と言うことは無いだろう。未だ、安心出来る状況では無いのだ。

 とはいえ、この意味不明な状況に独りでは無い事が心強い。リンに抱きかかえられながら、エルザはほっと胸を撫で下ろした。


「ビックリしたね。攻撃型の魔法陣じゃなくって良かった。でも、発動の瞬間に、魔力は感じなかったから、何か条件のある罠に掛けられたって見るのが順当かな」


 抱きかかえたエルザを石の床に降ろして、リンが周囲をゆっくりと見渡す。エルザもそれに倣って牢の内部を見渡しながら「条件、ですか……」と呟いた。


「うん。ノーライフキングの呪いに、浄化を受けたらその相手をここに転移させろ、みたいな罠が組み込まれたのかも? 浄化なんて出来るのは司祭だけだし」

「なるほど…………あ! それよりも、助けて頂いてありがとうございます。もし、一人だったらって思うと、きっと怖くて気絶してました」


 はにかむ様な笑顔を浮かべたエルザの亜麻色の髪が、さらりと揺れる。その笑顔を見ながら、リンは照れた様に指先で頬を掻いた。


「いや、私もさっきは恥ずかしいところを見せて…………その、ありがとう。お化け、キライなんだ」

「じゃあ、お相子あいこだね。ありがとうリンさん」


 目の前でばつが悪そうにしているリンを見ながら、エルザは彼女が先ほどアンデッドの大群相手に、凶悪な攻撃魔法を放った姿を思い出した。

 ――とても同一人物とは思えない。

 余程アンデッドが嫌いなのだろう。あまりのギャップに、油断したら少し吹き出してしまいそうだ。ところで、”お化け”ってアンデッドの事だよね? そんな事をエルザが考えていると、リンが口を開いた。


「リンでいいよ。お相子なのに、私だけリンさんって呼ばれるのは、なんか居心地悪い」


 にまっと笑ったリンに、「分かりました」とエルザも笑顔を返した。

 神聖魔法を行使できるエルザは、若くして司祭と呼ばれている。彼女が最初に神聖魔法を会得したのは8歳の時だ。それ以来、エルザは司祭としての立ち振る舞いや教養をその身に叩き込まれてきた。

(誰かを呼び捨てにするなんて、姉さん――ヴェロニカ以来だ)

 4歳違いの自由奔放な姉。ヴェロニカは5歳で神聖魔法を会得し司祭となった。彼女はその齢で、ミズガルズ聖教会最高位である大司教に匹敵する魔力を持ち、さらにその魔力を繊細にコントロールしてみせた。まるで、子供が他愛の無い玩具で遊ぶように、容易く。まさに、天才である。

 それなのに、ヴェロニカは「もっと司祭らしくしなさい!」と、教会の世話役に口酸っぱく言われていた。彼女は大人しくなどしていられない性分なのだ。

 たまには、そんなヴェロニカをエルザが見かねて、「姉さん、また怒られるよ!」と何度も注意した。だが、決まって彼女は「姉さん」呼ばれることを何故か嫌がり、自分の事はヴェロニカと呼ぶようにと、その度に言っていた。

 その後、毎度のやり取りに根負けしたエルザが、ヴェロニカを姉さんと呼ぶ事を諦めるまで、それ程時間は掛からなかった。

 ――結局、その理由は分らずじまいだ。

 懐かしいその姿を思い出してエルザが目を細めると、照れた様子のリンと目が合った。


「なんか照れてません? どうしたんですか、リン?」

「私、友達多い方じゃなかったから、そんな顔されることに慣れてないだけ」 


 視線をあちこちへ彷徨わせながらそう言った後、リンは石壁や鉄格子を叩いたりして、室内を調べ始めた。余程、慣れてなかったんだろう。照れ隠ししているのがまるわかりだ。とはいえ、それは自分もさして変わらない。割と何気なくリンの事を呼び捨てにしたが、内心では緊張しすぎて舌を噛むのではないかと思ったほどだ。

 だが、今はほっこりしている場合では無い。依然、ここが何処かも分からないのだ。

 1つ、深呼吸してから、エルザはゆっくりと室内を見渡した。

 石壁には小さな空気穴が開いており、その穴の中は真っ暗だ。外が夜だからだろう。転移したと言っても時間まで変わる訳では無いのだ。当然である。

 次に、出入りする扉が一切ない鉄格子。一体どうやって囚人を出し入れするのだろうか? 先ほどの様な転移魔法を使うにしても、術者や魔法陣が必要である事を思うと、こんな場所に入れられるのは、余程逃がしたくない相手に限定されるだろう。

 そして、鉄格子の向こうの廊下。最初はロウソクだと思っていたが、どうにもおかしい。火が揺らめかないのだ。魔法の明かりとみるのが順当だろう。それなら、牢屋番がロウソクを取り換えにくる必要も無いが、かといってその牢屋番がいるようにも思えない。牢の中に新たな囚人が入れられたと言うのに、確認もしない牢屋番などいるのだろうか? それとも、出入りする場所も無いこの牢では、その必要さえないのだろうか?

 エルザが自らの思考に深く沈み込みかけたその時、室内を調べていたリンの声がそれに待ったをかけた。


「近くに何かいる気配は無いけど、遠巻きにお化け達の気配がする。まだ夜だし、朝まで休んだら牢を破って外を探索してみよう」

「そう、ですね。太陽が昇ってしまえば、薄暗い室内を除いてアンデッドは活動出来ません。リンの言う通り朝まで休みましょう」


 エルザはリンの提案に賛同してから、はたとある事に気が付いた。と目の前の彼女は言ったのである。それこそ、扉を開けて外に出ようとでも言っているかのように。一体どうやって? どう見ても鉄格子の太さは槍の柄ほどもあり、曲げたり折ったりなど出来そうにも無いのだ。


「え? 牢を破るってどうするんですか?」

「ん? 鉄格子をなんとかするけど」

「いや、だってあんなに太いんですよ? 槍の柄みたいな太さじゃないですか」

「まぁ、そこは朝までに考えとく。なるべく静かに開けた方がいいよね」


 この少女はいったい何を言っているのだろう? 本気で鉄格子をこじ開けるつもりなのだろうか? エルザが顔中に疑問符を張り付けて目を白黒させていると、リンが悪戯っぽく笑った。


「先に私が見張りするから、エルザは先に休んでて」


 早く早くとリンに急かされながらエルザは簡易寝台に寝かされた。

 ホントにどうするつもりなんだろうか? と、エルザは頭の中をもやもやさせながら石造りの天井を眺めた。気が付くと、リンは簡易寝台のすぐ脇に座り、両手剣を抱えている。その左手首には、下級冒険者である事を示すブロンズのマナクルタグが見えた。

 もし、アンデッドが来たらあの両手剣で戦うんだろうか? あれでは両手剣が牢の天井につかえて、満足に戦うことも出来ないだろう。エルザがその両手剣から目を離せないでいると、リンがこちらを振り返った。


「安心して。こんな狭い所でこの剣は使わないよ。お化け達が来た時は、すぐにエルザを起こすから。迷わず成仏させてあげて!」


 緊張した面持ちで言うリンに、ふっとエルザの表情が緩んだ。きっと、彼女は両手剣を抱き寄せる事で恐怖を紛らわせているのだろう。しかし、何故リン程の冒険者が、そこまでアンデッドを怖がるのか理由が良く解らない。

 普通の下級冒険者であれば、アンデッドを恐怖しても不思議は無い。なぜなら、下級冒険者の実力では、1人でスケルトン2、3体を相手するのがやっとなのだ。場合によっては、1対1でも危ない時だってある。その下級冒険者であるはずのリンが、魔法の一撃でアンデッドの部隊を一掃した。ちょっと雰囲気がおかしかったとはいえ、ありえない。しかも、あの時襲ってきたアンデッド達は低位のスケルトンでは無く、もっと上位のアンデッドだったのだ。考えれば考える程、訳が分らない。

 ――そして、そんなリンを震え上がらせる”お化け”とは、一体なんなのだろう?

 リンと”お化け”。なんとなく、エルザはその両方に興味が湧いた。


「ねえ、リン。”お化け”ってなんですか? きっと、アンデッド達の事を言ってるんだろうな、とは思うんだけど……」

「お化けはお化けだよ、エルザ。恨みを持った幽霊とかに取りつかれると、呪い殺されちゃうんだ」

「えっと、それってやっぱりアンデッドの事ですよ……」


 どうやら、リンは本当にアンデッドが怖いようである。その証拠に、横になったエルザの足もとに座っていたはずのリンが、いつの間にか上半身の辺りまで近寄って来たのだ。

 普段、リンはオレンジ色のショートヘアと言う見た目もあって、明るく見える。しかし、”お化け”の話になったとたん表情を曇らせ、どんよりとした雰囲気を醸し出すリンに、エルザが苦笑した。


「ねえ、リン。アンデッドは魔物であって”お化け”では無いですよ。恨みを持っていると言う点については同じかもしれませんが、彼等はちゃんと倒す事が出来ます。だから、安心して」


 仰向けのまま、エルザがリンの手を取って微笑んだ。リンは何事か考えるようにしばらく黙った後、「そっか。此処はそういうトコだった……」と、ぼそりと呟いた。此処とは何のことを言っているのだろう? ”お化け”の事もそうだが、エルザにとってリンの言葉は、所々要領を得ない。


「そうだね。アレは魔物。お化けじゃない。そうだったんだ。私、頑張れるかも」


 ほとんど独白に近いリンの言葉を聞いていると、エルザを睡魔が襲った。良く考えたら、1日中移動した後にアンデッドに襲撃され、その挙句、気が付いたらこんな所にいるのだ。疲れていて当然である。

 それでも、使命感の様な物に駆られて、エルザは口を開いた。


「リン。何言ってるか、意味、解りませんよ? ……でも、リンが、恐怖を、克服できるのなら、私も、うれしいな…………」


 最後はちゃんと言葉になっていたかどうかも疑わしい。だが、エルザがそれを確かめる事は無く、彼女の意識は暗い闇の中に沈んでいった。

 そして、規則正しく寝息を立てるエルザに、リンが「おやすみ」と呟いてから、ゆっくりと天井を見上げた。


「ティナ、あなたの幽霊ならきっと怖く無いのかな……」


 誰も答える者のいない室内で、リンの言葉は、夜の静けさに吸い込まれて消えた。

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