第33話 ルクロの教会にて

 ハンク達と別れた後、アリア、シゼル、ハッシュの3人はルクロの中心部へと向かい、ルクロ教会の前へ到着した。

 大理石で作られたその建物の外観は、教会と言うよりも大聖堂だ。見る者を圧倒する荘厳な造り。時刻を知らせる鐘楼。多くの人間が同時に祈りを奉げる為の巨大な聖堂内部。

 贅沢が過ぎるような気がしないでもないが、ルクロ程の大きな街ともなれば、これも必要な事なのだろう。現に、アリア達がアドラス王国で拠点にしていたドルカスの教会も、ほとんど同じような造りであったと記憶している。

 エルフの街で育ったハイエルフのアリアにとって、祈りを奉げるべき対象はノルンの3女神や大森林を治める精霊王である。しかし、エルフ達にとっての祈りと、ヒューマン達にとっての祈りはイコールで無い。

 エルフ達の祈りは神に感謝を示すものであって、ヒューマン達の様に願いを伝えるものでは無いのだ。

 そして、不思議な事に、ヒューマン達は天上神全てに祈りを奉げ信奉している。

 これでは、いったい自分達がどの神に守護された眷属なのかすら良く判らないではないか。

 一度、ハッシュにその事を聞いて見たところ、「天上の神様全部が僕らを守護してくれてるんだから、それでいいじゃないのさ」と、あっけらかんと返されてしまった。

 なんとなく釈然としないものを感じながらも、種族の違いは文化の違いでもあると実感した事を覚えている。

 解放された正門から教会内部を窺うハッシュの後姿を見ながら、アリアがそんな事を思い出していると、そのハッシュが後ろを振り返った。

 

「エルザ、いないね」

「そうね。旅の司祭なんだし、奥で祈りを奉げてるのかもしれないわ。その辺の修道士に聞いてみましょう」

「わかった。俺が聞いてこよう」


 そう言ってシゼルが近くに居た修道士の少年に声を掛ける。少し言葉を交わした後エルザの事を尋ねると、彼は「しばらくお待ちください!」と一言残して、急いで奥の方へと走って行ってしまった。仕方なく、そのまましばらく待つと、エルザとイザークが現れた。


「みなさん、おはようございます。お待たせしました」

「おはよう、エルザ。早速だけど依頼の件、司教には話してくれた?」

「はい! アリアさん達が来たら執務室へ案内するようにって言われていますが……えっと、メンバーが少し足りないような……5人でしたよね?」


 3人で現れたアリア達に、エルザが怪訝な表情を浮かべる。


「いつでも出発できるように、ハンクとリンには旅の準備を任せてあるわ。だから、交渉は私達3人で来たの」

「そうだったんですか。てっきり、イザークさんが手合わせなんてするから、その所為で来てくれないのかかとドキドキしてました」


 安心したように破顔するエルザを見て、アリアの心がちくりと痛む。嘘は言っていない。とはいえ、ハンクとリンが教会に来ない理由を言う訳にもいかない。

 後ろめたい気持ちを隠す様に、アリアもエルザに笑顔を返した。すると、エルザの後ろからイザークが口を開いた。


「その……昨日は悪かったな。いきなり手合わせなんて言って。ちょっと、むしゃくしゃしてたんだ。司教が増援をくれない事もだが、前の戦いであと2人いた神殿騎士を守ってやれなかった。だから、俺にあっさり負けちまうような奴等なら、依頼なんて頼まずに、エルザを引っ張ってでも帰ろうって思ってたんだよ」

「そういう事だったのね。済んだ事だし、気にしなくていいわ」

「そんなこと聞いたら責められる訳無いじゃないのさ……」


 済まなさそうに言うイザークの横で、エルザが視線を床に落とした。仲間を亡くした事に思う所があるのだろう。彼女の顔には悔しさが滲み出ている。

 エルザとイザークが何の目的で旅をしているのかは知らない。でも、つらい思いをした事は容易に想像できる。


「大丈夫。誰も死なせないわ。もちろん、私達もね」


 そう口に出してから、アリアはエルフの街でハンクに同じ言葉を言われた事を思い出した。

 ノーライフキングと言えば、死者の王であり、その力は上位竜エルダー・ドラゴンに匹敵すると言われている。

 そんなもの相手に、ハンクの様な常識外れの力を持つ訳でも無い自分が、こんな事を言って大丈夫なのだろうか? ふと、そんな考えが頭をよぎる。だが、顔を上げて満面の笑顔で「ありがとう」と言うエルザを見ると、そんな考えも吹き飛んだ。

 上級冒険者だろうと、一人で出来る事など高が知れている。だけど、自分一人で皆を守ろうと言う訳では無い。ハンクやリン、シゼルにハッシュもいるのだ。

 頼りになる仲間達。数か月前にドルカスでシゼルとハッシュに声を掛けられた時には、これほど長く一緒に旅をすることになるなんて思いもしなかった。

 エルフの街を飛び出して冒険者になってから7年、見習いの頃に出会った師匠と呼べる女性以外、パーティを組んでも依頼の間だけに止めて来た。それは、自らがハイエルフだと言う出自であったことと、サラを探す為、同じ相手と長く一緒にいて、いざと言う時身動きが出来なくなることを嫌った為でもある。

 だからこそ、その目的を知って尚、協力してくれる彼等には感謝の言葉も無い。

 その所為か、アリアの顔に自然と笑みがこぼれた。


「僕はそれほどでもないけどさ、アリアとシゼルはドルカスじゃ名の知れた冒険者だったんだよ。それに、ハンクとリンもいる。あの二人は特別製だから、大船に乗った気持ちで、どーんと任せてよ!」

「そうね。あの2人が本気出したら、どちらか1人相手にするだけでも、此処にいる全員が瞬時に制圧されるでしょうね」

「そうだな。……制圧か。特にハンクはそうするだろうな」


 シゼルの言葉に、アリア達3人が笑いだした。

 意識して言ったつもりは無いがその通りだと思う。なにせ、ハンクは見ず知らずの、しかも敵であるはずのラーナの死に方が気にくわないからと、一人で帝国に突っ走ろうとするくらいなのだ。

 だが、そのラーナは創造神アルタナの依代として、再びハンクの目の前に現れた。その事について彼は何も言っていなかったが、内心は複雑だろう。

 ふと、アリアはハンクがアルタナの依代となったラーナと再会した時の事を思い出した。今更ながら、我を失いそうになったハンクを、よくも制止出来たものだ。

 青白く輝く燐光の中心で見た怒りの形相は、まるで別人のようだった。思い出すだけでも胸が締め付けられそうになる。

 

「アリアさん? 急に辛そうな顔して、どこかお加減が悪いのですか?」

「え? ああ、ごめんなさい。なんでもないわ。それより立ち話もなんだし、司教に会いに行きましょう。案内してもらえる?」


 フードを被っているからと油断していたかもしれない。知らず知らず表情に出てしまっていたようだ。

 ひとつ咳払いをしてから、怪訝な顔で問いかけるエルザと視線を合わせると、彼女はにっこりと頷いた。その後、一呼吸、間を開けてから「では、付いて来てください」と言ったエルザに案内されて、アリア達は司教の待つ部屋へと向かった。



「ところでリン。俺達は旅の準備をしに市場へ向かったはずだよな?」

「そうだね」

「まかせてって言ったよな」

「どうだったかな? 過去にこだわるの、好きじゃないから」

「……さっきから民家しか見てないぞ」


 しばしの沈黙。その間も舗装された道を歩くハンクとリン。朝、アリア達と別れてから市場に向かった2人であったが、未だ目的地にたどり着けずにいた。

 そう、迷子である。


「市場の場所はアリアに聞いといたから、まかせて」


 リンはしらばっくれているが、すべてはこの一言から始まったのだ。

 どう考えても同じところをぐるぐる回っている気がする。このままでは埒が明かない。この調子で歩いていたら市場にたどり着くなど夢物語だ。

(――ハッシュが言ってたけど、本当だったんだな……)

 正直、侮っていた。ハッシュの口から、ドルカスの難民街では、リンの先導で迷子になったという話を聞いていたが、そこまでひどくないと思っていたのだ。なにせ、難民街は乱雑に建てられたあばら家の所為で迷路の様な有り様だった為、下手をすれば誰でも迷うだろうとハンクも感じていたからである。

 それに比べて、ルクロの街の市場は舗装された市街地の中にある。いくらリンと言えど、アリアに道を聞いているのであれば、大丈夫だろうとハンクは高を括っていた。

 しかし、現実は迷子である。リンには悪いが、此処は非情にならざるを得ない。


「……リン、あえて聞く。転生する前、子供だった頃、迷子になったら誰に道を聞けって教わった?」

「う……お巡りさんか、お店の人に道を聞けって言われた」

「よし。それっぽい奴を探すか」

「……はい」


 がっくりうな垂れるリンを後目に、ハンクは周囲を見渡した。そして、巡回中の兵士らしき人影を見つけると、彼等の方へ向かって歩き出したのだった。



 エルザが木製の扉をノックすると、中から若い男性の声で「どうぞ」と声が聞こえた。

 一言、「失礼します」と言ってからエルザが扉を開けると、そこには20代の青年がゆったりとしたローブを着て机に向かい、書類を眺めているところだった。

 司教と言うくらいなのだから、てっきり老人がいるものだとばかり思っていたアリア達が目を瞠る。そんなアリア達を見て、その青年は可笑しそうに破顔し口を開いた。


「ようこそ、冒険者の皆さん。私はルクロの教会及び、リガルド帝国西方方面を管轄する司教で、名をデニス=アハッツと言います。思いのほか若造で驚かれたでしょう?」


 リガルド帝国や、その東の隣国であるパルメイア連合国に多い、茶色の髪と瞳のデニスが、にこやかな笑顔のまま席を立ち、アリア達の前に進み出た。

 そして、エルザの方を向いて確認するように問いかける。


「こちらの皆さんが護衛を引き受けてくださる冒険者達と言う事で間違いは無いですか?」

「はい。ここにいないメンバーがあと2人いますが、彼等は旅の準備を整えているそうです」


 解りました。と一言頷いてから、デニスは再びアリア達をその視界に収める。既にその顔から笑みは消失し、真剣な面持ちでデニスは口を開いた。


「すでにご存じの方もいると思いますが、コルナフースは先日アンデッドの大群に占拠されました。いえ、滅ぼされたと言ってもいいでしょう。そして、彼の地には死者の王ノーライフキングが出現しました。現在、帝国軍の包囲によってアンデッドの流出は起きていませんが、予断を許さない状況です。

 我々、ミズガルズ聖教会も帝国より支援の要請を受けて司祭や神殿騎士を派遣していますが、状況は芳しくありません。その為、少しでも多くの司祭を現地に派遣し、浄化の神聖魔法でアンデッド達を輪廻に還さなければなりません。

 この度、旅の司祭エルザが協力を申し出てくれた事で、冒険者の皆さんに彼女の護衛をお願いすることになりました。引き受けて頂き、感謝の言葉もありません。勿論、報酬は満足のいくよう手配いたします」

「なるほど。事情は了解しました。俺は上級冒険者、シゼル=ランドルフ。司祭エルザの護衛依頼受けさせていただきます。ですが、俺達も旅の途中で立ち寄った流れ者です。無用な争いを避けるためにも、報酬は相場に合わせた額をお願いしたいのですが……」


 デニスの言葉を聞いてから、シゼルは1歩前へ出て金色のマナクルタグを露にし、自らが上級冒険者である事を示した。そして、自分たちの事情をデニスに伝える。

 シゼルのマナクルタグを見て、デニスが「承知しております」と再び微笑む。そして、1枚の羊皮紙を取り出し、シゼルに手渡した。

 羊皮紙には報酬が金貨8枚と、出発時、司教自らによる、武器防具へ高位の加護を付与することが書かれていた。

 その内容を見て、シゼルが驚いたようにデニスを見る。


「これは……破格すぎませんか? 冒険者がミズガルズ聖教会に高位の加護を求める時は、高額の寄付を求められます。5人いたら金貨2枚くらいは必要でしょう。全部で金貨10枚の計算ですよ? 普通だったら半分の金貨5枚でも十分すぎるくらいだ」

「神聖魔法の使い手である司祭は、教会にとってそれほど大事な存在だと言う事です。それに、あなた方は神殿騎士イザーク殿と手合わせをして、ものの数秒で彼を破ったと聞きました。イザーク殿は隣国であるパルメイア連合国の出身で、彼の国では精鋭部隊と名高い、第1騎士団の一員なんですよ。それほどまでに強いあなた方なら、ノーライフキングを倒せるかもしれないと言う期待も込めて、その報酬なんです。相場以前に、これが適正価格ですから気になさらないでください」


 大陸西部のバスティア海周辺国で広く信仰を集めるミズガルズ聖教会は、司祭を護衛する為の騎士を「神殿騎士」と言う名目で、その教会の置かれた国の騎士団から派遣して貰っている。

 各国は彼ら神殿騎士が司祭を護る事で天上神への信仰心を示し、さらに民衆の支持を得るのだ。その為、「神殿騎士」に派遣される騎士が、各国でも有数の使い手であり人格者でもあると言う事は、このバスティア海周辺国では常識である。

 にこやかに言うデニスの言葉に、アリア達3人の視線がイザークへ向けられた。3人3様の視線に、イザークは眉間に皺を寄せる。


「デニス殿の言っている事は本当だ。……俺だって信じられないんだよ。あんなやられ方、騎士見習いの頃だってしたことないぞ」

「イザークさん、昔から剣の腕だけは凄かったですもんね。騎士団長以外には負けた事なんて無いのに、あっさりやられて戻って来たから、正直びっくりしました」


 イザークはハンクの正体を知らない。あっさりと負けた事に、内心忸怩たるものがあるのだろう。エルザがそれとなくフォローしているのが解って、アリアはクスリと微笑んだ。そして、視線をデニス司教へと戻す。


「私達をそれだけ高く評価してくれるって言うのだから、その報酬はありがたく受け取りましょう。ただ、天上神の加護はここにいる3人だけでいいわ。出来れば、理由は聞かないでくれるとありがたいのだけど……」


 フード越しに、アリアとデニスの視線が交わる。天上神の加護などいらないと言っているのだから、教会からしてみれば、理解不能も甚だしいだろう。下手をすれば異端者扱いだ。

 ――とはいえ、実際、天上神にとってハンクとリンは異端者に他ならない。

 最悪、フードを脱いで、ハイエルフである事を明かし、自らの出自とノルンの名前を出して、2人の身元を保証すれば何とかならないだろうか? そんな考えが、ちらりと脳裏をかすめる。

 ――莫迦莫迦しい。アリアはすぐさまその考えを振り払う。ノルンの依代でさえない自分が、その名前を出したところで、どれほど効果があるかは疑問だ。

 そんなことより、そもそもハンクとリンにやましい所は無い。堂々としていればいい。怯みそうになる心に活を入れて、アリアはデニスに微笑みかけた。

 すると、デニスは一つ溜め息をついて瞑目し、ややあってから目を開いた。


「……解りました。こちらこそ、護衛をお願いするのです。何故? などと野暮なことは聞きません」

「ありがとう。デニス司教さん」


 感謝の言葉を言ってから、アリアはシゼルとハッシュの方をちらりと振り返った。2人とも、今にも盛大な溜め息を漏らしかねない表情をしている。アリアは思わず笑いそうになるのを堪えながら、再びデニスへと向き直った。


「これで依頼は成立ね」

「ええ。では、加護を施しますので移動しましょうか」


 にこやかに言うデニスに促されて、アリア達は司教の執務室を後にしたのだった。

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