第3話.何もかも……
「Idiot!」(馬鹿!)
「Putain de Merde!」(ピュタン ドゥ メ-ルド! このくそ野郎)
自分の姿を鏡に写し出し、自分に向かって声を張り上げ、怒鳴った。
部屋の中はもうめちゃくちゃ。
帰るなりそこらじゅうの物を投げては壊し、ひっくり返しては床に散らかし、挙句の果てにワインを3本一気飲みした。
飲み干した後、すぐにトイレに駆け込み飲んだものすべて吐き出した。
最後は何も出なくなっても、トイレの中で「うげっ!」と声にならない声をあげながら便器を抱え込んでいた。
ようやくトイレから出て、ふと写し出されたその姿に、私は叫んだのだ。
だけど、どんなに叫んでも、誰一人私を心配してくれる人なんかいやしない。
悔しさが湧き出てくる。
みじめな自分の姿を見ていて、涙が湧き出てくる。
「なんでよ! なんで私がこんな目に合わないといけないの」
そう言いながら、目の前に転げ落ちていた珈琲カップを手に取り、呆然としながらそのカップを眺めていた。
和樹の使っていた、お気に入りの珈琲カップ。
そのカップを見ながら、みじめな自分を自分で慰めようとしていることに気が付き、怒りがまたこみあげてきた。
そのみじめな無残な私の姿を映し出す鏡に、そのカップを思いっ切り投げつけた。
鏡も、カップも粉々に砕け散った。
その時飛び跳ねた破片が、私の頬をかすめた。
すぅーと血が頬からにじみ出る。
ほんの数時間前の事だった。
数時間前、私のすべては砕け散りすべてを失った。
役員会、そして病院からの連絡。
この二つが私の人生を閉ざしたのだ。
会社へ帰るのを遅らせ、私は病院へと向かった。
そこで明かされた真実。
余命2カ月の宣告
すぐに入院をするようにあの医師は言った。
しかし、入院をしたところで、私の命が助かる見込みはもうない。
確実に私はあと2カ月後、死を迎える。
病名は……わからない。
何処が悪くて、どうして私はあと2カ月で死なないといけないのか、その原因さえ不明。
あの上原医師の話では、現在の医学では解明が付かない難病であるとしか言えないと、言葉を選ぶように私に説明をした。
だけど、あと2カ月という言葉が、その時から私の頭の中をずっと駆け巡っていた。
物腰柔らかくとても紳士な彼の言葉は、何も私の耳には入らなかった。
正直取り乱しそうになったのは事実。
そんなことをいきなり言われて平然としていられる人がいるだろうか?
私には到底無理なことだ。
死を予期していたわけでもないのに。
「もう時期あなたは死ぬんだよ」
なんていきなり言われて「はいそうですか」なんて気軽に返せるほど私の心は強くないのだ。
でも、不思議と時間が経つにつれ、私の気持ちは落ち着きを取り戻しつつあった。
どうせ、死ぬんだったら、もう死ぬことが決まっているんだったら、何も病院のベッドで何もせずにその時を待つのはいやだ。
そんな想いが胸の中から湧き上がる。
「大丈夫ですか? スレイユさん」
心配そうに私の顔を静かに見つめ、上原医師は優しく問いかける。
「………正直なところ、大丈夫と返せるほど、余裕があるわけじゃないんですけど」
「そうですよね。いきなりこんなことを言われて平然としていられる人はいませんよ」
この人は言葉がうまいのか。それとも相手の感情をコントロールするのがうまいのか? 上原医師の声を訊くとなぜか心がおちついて来るような気がする。
「先生、私入院はしません」
「それはどうしてですか? これからどのような症状が出てくるかさえも分からないんですよ。できるだけ、安静にされている方がよろしいかと思いますが」
「それでも、今は私何ともないんですもの。いつもと何も変わらないんです。それに私に残された時間があとわずかというのが本当なら、私はやり残したことを精いっぱいやって悔いを残したくないんです」
きっぱりと答えた。いや正確には答えられたというべきだろう。
「そうですか、わかりました。貴方の意思を尊重いたします。でも、何かあったらすぐにご連絡ください。それと気休めかもしれませんが幾つかお薬を処方しておきます。症状をいくらかでも緩和させることが出来るかと思いますので」
処方箋をもらい、すぐに薬局で薬を受け取り、急いで会社に戻った。
会社に戻る途中、不思議とさっきまでの話がまるで夢でも見ているかのような、嘘のような、自分のことなんかじゃないような、そんなことが現実にある訳がない。
自分に言い聞かせてるというよりも、まるっきり信じていない。私は意外と楽天家だったのかもしれない。
それも究極な楽天家の様だ。
会社に向かう、仕事に向かう。
私はこの仕事が好きだ。
自分で始めた夢の仕事だ。この夢を多くの人と分かち合いたい。
だから会社の名も「Pays de reve ペイドゥリーヴ社」日本語にすれば「夢の国の会社」
仕事に没頭すれば嫌なことも全て忘れることが出来る。
後残された時間が本当にわずかなら、やるべきことは山の様にある。
やるべきことではない。やり残していることが山ほどあるんだ。
悲しんでいる暇なんか、そんな暇があったら一つでも仕事をこなしたい。
私には仕事がある!
今の私から仕事を取ったら何が残るの?
くすっと笑い、自分に活をいれたかの様に身を奮い立たせた。
会社に着き、自分のオフィスに入った途端、私の思いは見事に打ち砕かれた。
私のディスクの上に置かれた一枚の紙きれ。
役員会での決議報告書。
社長不在のまま役員会は開催され、その議題は社長である私の意見など一言も受け付けず、決議された。
告
緊急役員会において、代表取締役社長 スレイユ・ミィシェーレの解任を役員全員の賛成の元決議されたことを報告する。
辞令
解任 代表取締役 社長 スレイユ・ミィシェーレ
「は?」
目を疑った。
私、まだ動揺しているんだ。
何これ? 嘘でしょ。
役員会終わったんだ。
「役員全員」
この文字がやたらと気になった。
役員には和樹もいるのに。
和樹も私のこの役員会の決議に賛成したの?
和樹も私にこの会社を辞めろって言うの?
私と一緒に立ち上げたこの「夢の国」を出て行けというの?
すぐに和樹の携帯に電話をかけた。
コール音はなる。コール音は続く。
でも彼奴は出なかった。
居留守? わざと出ないの。
何度もかけた。何度も。メールも送った。何度も。
でも和樹からの返信は何もなかった。
呆然と、まるで魂が体から抜けていったような状態になっている時、オフィスのドアをノックする音がした。
私が声を出す前にそのドアは開いた。
ゆっくりと見上げるとそこには役員の一人、
吾妻幸太郎、彼は役員の中では一番の敵対派。
「やぁお戻りでしたか、スレイユ社長。いや、元社長と言うべきですね」
「な、なんですかこの報告書は。社長である私の意見は何一つ通す事は出来ないんですか?」
「何を言われるんですか。貴方自身の進退の決議に対して、あなたの意見を聞いてどうするんというんですか? それに役員全員の賛同を得た決議ですよ」
吾妻幸太郎は、不気味ないやらしい笑みを浮かべながら私に向けて言う。
「あなた一人だけがどんなにあがいたところで、役員全員の意思は貴方の解任という結果を導いているんですよ。たとえあなたが役員会に在席していたとしても、結果は変わることはなかったでしょうね」
「和樹は、片岡和樹は」
「片岡君ですか。彼も自分の意思ですよ。彼は彼自身、あなたがこの会社に不必要であるということに賛同したんです。しかも誰も彼にそうするように裏から手を回すような卑劣なことはしていませんよ」
「そ、そんな。和樹までもが……信じていたのに。唯一私のパートナーだと信じていたのに」
「そんな泣き言をいまさら言われましてもね。そうそう、スレイユさん早くあなたの私物は整理してくださいよ。もう時期新社長がここの席に座ることになりますからね」
「新社長? いったい誰なんですか?」
「ハハハ、野暮なことをお聞きになりますね。もうあなたには関係のないことじゃないですか」
鋭い眼光が私を突き刺した。
後で聞いたことだが、会社の株式が大量に売られていた。裏で手を引いていたのがこの吾妻幸太郎であることを。
それを阻止できなかった。気づくことさえ出来なかったのは私の失態でもあると言える。
そういうことはすべて和樹に任せっきりだった。
もう何も考えることが出来ない。
私はもう時期死を迎えると今日宣告された。
会社はすでにほかの会社に売られていた。
私は……何もかも。
何もかも失った。
頬からにじみ出る血を手の甲ですくい、口にした。
私の赤い血の味がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます