短編集in2018

宇曽井 誠

辛い

__俺はなんと答えれば良いのだろうか

8PV 星3 コメント1つ ハート2つ

副題 棒を一本足すだけで良いから


俺は彼が好きだった。それは、友人としてではない。この思いを言ってしまったら、嫌われる事は分かっている。それでも、なお俺は彼が好きで堪らないんだ。

放課後の部室にて。俺はカメラの画面を見つめながら少しニヤついていた。


#####


吹っ切れたけど、コウカイなんざしておりません。

いや、でも吹っ切れた時の方が普段よりマトモってどういう事でしょうね。


タグにもあるように、この作品にはボーイズラブ__と私は思いながら書いた結果、ちょっとあっさりしてますけど__っぽい要素が含まれています。耐性ワクチンをお持ちの上、ご覧ください。


@@@@@@


 ドンっと机が叩かれる。顔を上げると、紅一郎コウイチロウ君がいた。いつもように、可愛らしい顔にシワを作っている。

初白ハツアキ先輩。すいませんけど、写真撮るのやめてくれます?」

「断るよ。これは僕の生き甲斐だし、部活動だからね」

 カメラに目を落とすと、紅一郎君は不満そうに俺の手を掴んだ。アッと驚く隙もなく、カメラは彼の手に取られてしまう。

「ですけど、被写体なんて僕じゃなくても良いじゃないですか……うわ、僕の写真しかない」

「今月は君しか撮ってないからね。先月の分、見るかい?」

 SDカードを机の上に出すと、彼は「そういう事じゃない」と言い、カメラからカードを抜き出した。

「二度と僕を撮らないでください。気持ち悪い」

「良いじゃないか。それが俺の趣味なんだから」

「それでも、やめてください。今度撮ったら、部長に言いますからね」

 ああ、それだけは勘弁してほしい。俺は部長が苦手だから。


 夕焼けが頬を撫でる。

 見慣れた交差点で立ち止まり、俺はあの日の事を思い出していた。

 俺は、疲れていた。生きる事に、人生を楽しむ事に。だからだろう。ふと、ここで一歩を踏み出せば良い、と思ってしまった。丁度よくそこにトラックが来ている。

 どこか楽しい気分で前に進んだ時、誰かに腕を掴まれ、引き戻される。そして、呆れた声が聞こえてきた。

「何やってんですか、先輩」

 その声には聞き覚えがあった。同じ部活の後輩、紅一郎君だ。背が低くて女の子っぽいけど、少年らしい情熱も持ち合わせている美しい子。

「先輩? 初白先輩? 大丈夫ですか?」

「……あ、うん。だい、じょうぶ」

「全然大丈夫に見えませんよ……どうせ先輩、暇でしょう? そこに美味しいクレープ屋ができたらしいので、着いて来てください」

 グイッと強引に俺は交差点から引き剥がされてしまう。それでも、悲しいとは思わなかった。

 抵抗すれば、おそらくできただろう。でも、なぜか俺は然程仲の良くない紅一郎君に着いて行っていた。____おそらく、本心では生きていたかったのだ。

 紅一郎君の言うクレープ屋には人が少なかった。メニューにはお菓子というよりも食事といった物が多く、安心したように紅一郎君ため息を吐いていた。後から知った事だが、彼は甘い物が苦手らしい。勢いで誘ってしまい後悔した、と苦笑いを浮かべていた。

 クレープを片手に近くの花壇へ腰を下ろす。一口、一口と食べ進め、遂には食べ切ってしまっても、紅一郎君は何も言わない。

「……何も、聞かないのかい?」

 痺れを切らして聞いてみると「聞いた方が良いですか?」と問い返された。

 言葉にして答えようとしても、声が出ない。仕方がないから浅く頷くと、紅一郎君は「分かりました」と優しい声で言った。

「……紅一郎君の家は、厳しい方?」

「多分、そんな事ないです。周りよりは遥かに」

「そう……俺は、さ、凄く、厳しかったんだよ。いや、厳しいんじゃないかもしれない……期待されてたっていうか、事あるごとに姉と比較されてたんだよ」

「大変ですね」

「ああ。趣味がないから、人と話も碌に……いや、違う。人と話しても、良い事がない気がしてしまうんだよ。今までずっと勉強だけで、生きてきたから」

 手元に視線を落とす。

 クレープの入っていた可愛らしい紙を折り畳んで、震える声で続きを話す。

「でもさ、落ちたんだよ。親が希望する学校を。そりゃあ、この学校が悪いわけじゃないんだよ。でも、俺は親の期待を裏切ったわけで……姉さんは天才だから、大丈夫だって親は安心してる。だから、俺は姉の分も心配されてたんだよ。そんなのだから、俺が失敗した時、親は絶望して……それはもう、面白いくらいに。それで結局、俺に向かってた心配と期待が全部姉さんに向かっちゃってさ…………今、姉さんの捌け口になってるんだよ、俺」

 思い出して身体が震える。この震えは声と同じで止める事のできない、心の底からの震えだ。時が過ぎて、忘れるのを待つしかない。でも、俺は誰かに____紅一郎君に話したかった。全部吐き出したかった。

「だから、こんなとこに生きてたって何も良い事がないんだ。家に帰っても、親には無視されて、姉には不満をぶつけられて……趣味に逃げる事もできないんだから、希望も何も持てない。そんなの、死ぬしかないだろう?」

 紅一郎君は黙っていたが、足元が見えなくなって来た頃にようやく口を開いた。

「生きてください。先輩がいないと、面白くないです」

「面白くないって……俺は、真面目に部活動をしてないのに?」

「じゃあ、すれば良いじゃないですか。真面目にしてれば、楽しめますよ。なんなら、カメラの使い方くらい教えてあげますから」

 その熱の入った物言いに、俺の心が少しだけ動いた。生死にじゃなくて……何というか、吊り橋効果ではないが……要するに、惚れたのだろう。俺は紅一郎君という今まで関わった事のないタイプの少年に、恋をしたのだ。だから、あと少しだけ生きてみようと思った。

 そう言われて、次の日から部活に真面目に通い出して、紅一郎君に色々と教えて貰って…………とても楽しかった。言葉で言い表せないくらい。親からしてみれば俺はある意味不良になったわけだけど、それでも良かった。幸せだったから。

 だが、楽しい時にも終わりはある。それは唐突だった。

 自分のカメラを買ってみないか、と言われ、買いに行ったある冬の日。頬を赤く紅潮させながら話す紅一郎君の言葉を聞き、彼と同じ型の物を買って……満足して二人で家路に着いた時。

 そう、この交差点で。俺の目の前で彼は事故に遭った。

 人間という物は、あまりに脆い。歩道に入って来た車に跳ねられ、紅一郎君は数メートル向こうへ飛んで行った。慌てて駆けつけたが、その時の彼はあまりに酷かった。手が変な方向に曲がり、血が地面を這い、生きているのか、死んでいるのかも分からない。

「で、電話……そうだ、きゅ、救急車」

 吐き気を堪え、震える指でボタンを押す。長く感じる時の後、やっと出た電話口の相手に震える声で連絡した。

 紅一郎君が死んでしまうと思った。周りの取り巻きも気にならない程、俺は動揺していた。

 結局、彼は生きている。数日後に目を覚まして、四月の終わり頃にどこか浮世離れした雰囲気で帰って来た。

 しかし。しかし。しかし。ああ、神さまは、残酷だ。

「ああ、初白先輩。部活、真面目にし出したんですね」

「え、あ、うん。そう、だよ」

「……そのカメラ。僕と同じですね。面白くない偶然だ」

 彼は、俺の事をすっかり忘れていた。それは、その場に一緒にいた部長も知っている。俺が驚いて硬直していると、部長は俺に帰るよう促した。「朝から体調悪そうだったからね」と。嫌いだけれど、部長の優しさは、とても嬉しかった。


 そうこうしている内に時は過ぎ、日付けは既に次の年。冬休みも終わり、重い足取りで登校し、軽い足取りで下校する頃。

 信号の色は青。ああ、嫌な事を思い出した、と足を進めた時。向かい側に憂鬱そうに突っ立っている紅一郎君を見つけた。疲れた顔で地面を見つめている。

「大丈夫かい、紅一郎君」

「誰で……ああ、先輩か。大丈夫ですよ」

「そう見えないけどな……今日、暇?」

 訝しげに彼は頷く。

「じゃあ、少し付き合ってくれないかな。そこの自販機で面白そうなジュース売ってるんだけど、勇気出なくて」

 俺はあの日の彼のように相手の手を引っ張った。抵抗する事なく、紅一郎君は着いて来る。

「面白いジュースって、なんですか」

 そう言う紅一郎君に、買ったばかりの「ゲキニガ! カフェイン入り珈琲 冷やすとおいしいよ!」という謎過ぎる商品__しかも残酷な事にあったかい__を渡すと、彼は露骨に嫌な顔をした。

「普通の珈琲じゃないんですか、これ……」

「俺、珈琲苦手だから。でも気になってさ。紅一郎君、こういうの好きだろう?」

「そうですけど……なんで、先輩が知ってるんですか?」

 不思議そうに問う彼に、俺は曖昧に笑って誤魔化す。

 一口飲んで「苦い」と声を上げたきり、紅一郎君は何も言わなくなった。

 しばらく経って、紅一郎君は「何も聞かないんですか」と、あの日の俺みたいに問うた。

「聞かないよ。それとも、聞いた方が良い?」

「……お暇なら。お願いします」

 コクリと頷くと、紅一郎君は安心したように言った。

「大事な何かを、忘れてる気がするんです。事故で記憶が飛んでるってのは、知ってるんです。医者に言われたから。でも、何を知らないのかは、誰にも分かんないんですよ。僕は、日記なんか書きませんから、本当に誰にも……」

「そう。でも、大丈夫なんじゃないかな?」

「ええ、そう、思います。思いたいです……けど、なんか、こう」

 彼は胸の辺りに手を持っていくと、涙を流しながら笑った。

「苦しいんです。とても、苦しくて、でも、なぜ、苦しいのか……分かんないんです…………先輩。こんな事頼むのは、変なんですが……助けてください。僕は、どうしたら良いんでしょう。忘れてしまった人に、どう謝れば良いんでしょうか?」

 __俺は、何と答えたら良いのだろうか。

 何も分からない俺は、泣き叫ぶ彼を抱きしめているしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る