存在証明

音菊

第1話

 見るほどの夢も、語るほどの希望も無いと思っていた。そんなものはとっくの昔に、試験管の廃液と一緒に流しに捨ててきた。そう思い込んでいた。

 ──ああ、成程これは私の罪状だ。


 ***


 21世紀以降、飛躍的に進歩を遂げたバイオテクノロジーは遂に禁断の領域に踏み込んだ。生命の創造。かつては神の領域だったそれが、今や楽園を追放された罪人の掌中にある。

 そして、ヒトの複製が合法になった。新薬のアレルギーテストから臓器移植のためのスペアまで、自分のクローンが一体あれば事足りる。特に、人体実験の領域に関して顕著だった。治験や副作用の確認を経る必要が無くなり、残酷な動物実験の犠牲になる哀れなマウスももういない。続々と新薬が完成していく。年々死亡率は低下し、平均寿命は更に上昇する。致死病だったものが、こうして出来た薬1つで治るのだ。自分の欲望を正当化できる理論に、人々はあっさり飛びついた。

 昨日までの禁忌はいつしか義務になった。統治政府によって、国民一人につき一体のクローンが用意される。

 クローン技術の功罪については黎明期から倫理上の問題が叫ばれてきた。当然、クローン法案可決の際にも決して小さくない騒動が発生した訳だが、今のところ、クローンに人格を与えない、ということで一応の決着を見た。

 他者との交流や教育によってパーソナリティは育まれる。ならばそれを排除すればいい。人格を司る部分の脳神経を焼き切られたクローンの感情は、あっても精々「快・不快」のみだ。彼らは施設に収容され、機械の管理下で寝食を与えられ、適度な運動をさせられる。

 人道的配慮、などと言えば聞こえはいいが、つまるところは飼い殺しの家畜と同じである。


 ***


 物心付いて以来二十数年、私の起床時間はカンマ一秒たりともズレたことはない。枕元のアラームを手で止め、ホログラム上のモニターの数値にざっと目を通しながら体を起こす。

 バイタルチェック、オール異常なし。

 電子で構成された新鮮味のない文字列。寝起きのブルーライトはいつ浴びても目に負担が掛かる、と、これまた新鮮味のない感想を抱く。

「おはようございます、ドクター」

 私の助手が扉を開けて寝室に入ってきた。

「おはよう」

「いつ見ても同じ顔ですよね、ドクター」

 私のバイタルを一瞥してぼやく助手は、少し青褪めた表情をしていた。

「体調が悪いのか? 差し支えなければ、私に診せて欲しい」

 私はホログラムを消去し、助手に向き直る。

「いえ、それには及びません。私事により寝不足気味なだけですので」

 慌てて手を振る助手。

「そうか。しかし、寝不足によるパフォーマンスの低下は即日回復するようなものではない。きっと疲れが溜まっていたのだろう。気付いてあげられなくて申し訳ない。今日は私のことは気にせず、自室で休息を取ってくれ」

「本当に、大丈夫ですので。お構いなく。むしろ、こちらこそドクターに心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません」

 きっぱりと固辞され、ベッドから立ち上がりかけた私の腰は行き場を失い、再びスプリングの上に着地する。助手は逃げるように私の寝室から立ち去ってしまった。

 どうやって他者とコミュニケーションを取ればいいのか。助手がここに来てもうすぐ一年になるというのに、初対面からずっと、助手の態度は軟化する気配さえない。私の対応が悪いせいだろうか。本の中の登場人物のようには、人は上手く打ち解けないようだ。


 ***


 定刻に食堂に向かい、統治政府から毎朝送られてくる一日の仕事内容に目を通しながら、助手が用意してくれたレーションを口にする。助手が来る前は準備や片付けも全て自分一人でこなしていたため、助手が来た当初は彼に配膳をさせることに抵抗があった。しかし、本人たっての希望とのことで私が折れた。助手は毎日、テーブルの上に私の分の食器とレーションを並べ、私が食べ終えるまでを黙って見届け、使い終わった食器を黙って下げる。助手が私と食事を共にすることはない。彼自身はきっと、私のいない時にでも食事を摂っているのだろう。

「ご馳走様でした」

 助手の配膳とレーションの製造過程に感謝の意を込めて手を合わせる。

「助手、今日もセンターに寄ってくるから少し遅くなる」

 分かりました、という返答を背に、私は席を立ち、ラボに向かう。


 バイオラボ。前時代的なビーカーやフラスコが並んでいるのは私の趣味だ。インテリアの一種と呼んでも差し支えない。密封も殺菌も出来ないが、幼少期はよくこれらの装備で試薬を作って遊んでいたものだ。私は生まれてこの方、この研究所で一人で暮らしてきたが、幼い頃は世話をしてくれる人がいたのだ。私はその人を先生と呼んでいた。ある日たまたま、私のその遊びを見掛けた先生は、目の色を変えて私からフラスコを取り上げ、代わりに最新鋭の研究装置を握らせた。ナトリウム爆発で施設を破壊して脱走を試みたこともある。一時は抜け出せたもののすぐに捕まり、ラボは防弾ガラスと防燃仕様の壁で囲まれ、更に頑丈な造りになっただけで終わった。そんな私のやんちゃを、これも君の才能のなせる技だ、と先生は笑っていた。

 培養細胞のストックを冷蔵庫から取り出し、依頼された薬剤を生成する。一度サンプルが完成してしまえば、後はそれを機械にかけるだけでいい。 これをあと何個か作り、新しく学会に提出する論文を仕上げれば今日の仕事は終わりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る