第五十三話 一炊の夢

 静まった部屋の外には、長宗我部の重臣で久武久武、福留親政、谷忠澄が控えていた。中では元親が下女に衣服を整えられている。


 三人の重臣たちは、どうしてこの大事に自分たちが眠っていたのかついに得心することは出来なかった。一条からの動きがあれば、呼応して元親を救出し、貞親の寝首を掻いてやろうと水面下で画策していたはずなのに、いざという時にいつの間にか眠っていたのである。

 やけに狸臭い雨が上がり、目覚めてみると青空の下、すべては終わっていた。貞親は討たれ、酢漿草衆も散り散りとなっており、奥方であるとよも果てていた。


 三人は配下の者を連れ、慌てて館に駆けつけた。救出された元親は、三人から見ればまるで人が変わっていた。もはや姫若子と呼ばれた面影はなく眼差しは凛々しくなり、口調も思わず頭を垂れたくなるほど清明で威厳がある。そして彼は三人に、男の衣服を持ってくるように命じたのである。


 この館に辿り着くまで、長宗我部の行く末を思って抱いていた彼らの不安は、たちまち吹き飛んだ。元親の眼差しを見て、彼らはすぐに自分たちの新たな主は誰なのか、そして主はなにをしようとしているのかを悟ったのである。人が変わる時というのは、これほど突然に劇的に変わるものなのか。


 戸が開き、若武者姿の元親が現れると、三人はおおっと声を上げて驚いた。たとえ英明でも小柄でどこか頼りない印象は吹き飛び、無限の伸びしろを予感させる若武者がそこにいる。貞親の輝きに勝るとも劣らない、類い希な天質を感じさせる若君である。

三人は慌てて平伏した。


「久武、今の岡豊の状況を述べよ」


 今の晴天のように爽やかな声色に、久武は身を引き締めて恭しく答えた。当主であった貞親は果て、酢漿草衆の半数が討ち死に、半数が逃亡した。奥方のとよは毒を飲んだが、弟君たちは無事である。


 城内に敵はおらず、騒動の中何故か眠っていた元親派の家臣や下働きの者たちが次々に目を覚ましている。襲撃をした相手は一条の兵だと推測はされるが、既に引き上げた後で証拠は何もなく、倒れている者たちの顔を見ても何も分からなかった。ただどの者もおよそ土佐人の顔立ちではなく、朝鮮や明の者のような骨格をしているとの事だった。また一時は岡豊めがけて進軍していたという噂の一条の兵は、その後全く消息が知れなくなっていた。そもそもその噂自体が間違いだったのではと言うのが、今の見方である。


 「では、既に城内に敵はなく、貞親が討たれた事による混乱を治めるのが危急の案件だな」


 若君の聡明さに、三人は改めて頭を深くひれ伏した。


 「城内の死体を片付けるのと平行して、重臣たちを広間に集めろ。私が当主ということを皆に知らせ、収集をつける。酢漿草衆をはじめとする貞親派の残党には寛大な処置を。全て私が吸収する。


 先駆けてお前たちには言っておく、父上の死はしばらく隠す。その間にお前たちは私が当主として相応しい男になれるように、教育を頼む」


 最後の言葉に、福留は顔を上げて確認した。


 「相応しい男、でございますか」


 福留の言葉には、それで後悔はないのかという思いがあった。


「その通り。全ては私が引き継ぐ。いいかお前たち、心して聞くが良い。長宗我部は本山を倒す。本山だけではない。吉良も津野も安芸も、そして一条も倒し、土佐を治める。そして四国を統一する。その覚悟をお前たちも今この場でしておけ!」


主の言葉に三人の重臣たちは深々と頭を下げた。彼らの心に、夢が宿った瞬間だった。

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