第四十一話 姉妹

 中村城は御所や中村の平野が見下ろせる丘陵の上に築かれた、一条家の詰城だった。もともとここには土佐の有力豪族の為松氏が築いた為松城があったが、一条が入国して彼らが家臣となった後に東城、為松城、中の森、御城、今城の五郡の城を統合したのである。平野部を東西に通ずる陸路の要を押さえ、南北と西部に至る河川のおかげで攻守いずれの戦いにも対応出来るできる名城だった。

 その城の天守に、はなは勝手に上がり込んで窓から御所の方を眺めていた。

 初夏とは言えまだ肌寒い風が天守に吹き詰めてきたが、はなにとってはむしろ心地よいくらいの風である。この風は時代の変わり目だと、はなは思った。人の世では時代が大きく変わろうとしている。天空に星々が輝き、地上には英雄たち生まれ、世は変わる。

 それはこの世のどの場所においても繰り返されてきた歴史である。

 再び理も変化し、この世の有り様が変っていくだろう。天の理、人々の希望、欲望、愛と怨念、それらが混ざり合わさり時代が変わっていくのだ。かつて、この国で大きく時代が変わったのはいつだったのだろう。自分が直近で良く覚えているのは、やはり源平の頃だと思う。それまで公家の天下だったこの国に、清盛、頼朝という英雄達の潮流の元に、武門による政権が初めて立った。以来、この国の権力は間違いなく武家が担っている。

 あの時、時代が変わったのだと、はなは思う。そしてその時代の移り変わりから取り残された一族が、勝隆の一族だ。自分とは決して浅からぬ因縁の彼らについて、はなは哀れみとも嘲笑とも言えぬ複雑な思いを抱いていたのだった。


「あ、もう!こんなところにいたわ」


 その声に、はなは振り返らなかった。声色から、一体誰であるかは明白なのである。


「なんだ。お前も来てしまったのか」


「まあなんですの、その口ぶりは。姉様がなかなか帰ってこないから、心配してわざわざ様子を見に来たんじゃありませんの」


 声の主は、はなよりは年上の若い女だった。黒く長い髪が印象的であったが、それ以外容姿は取り立てて目立つところのない娘である。しかし格好こそただの女房だったが、それにしてはあまりにも佇まいに品があった。

 はなは自分を姉と呼ぶ年上の女の非難を大して気にせずに、黙って御所と呼ばれる館の方を眺め続けた。


「それで姉様、平家の一族には会えたのですか」


「ああ、会えたぞ。平家の若者に会えた。しかしきっと、彼らが平家としてのまとまりを保てるのは、今の世代で最後だろうな。最後にあいつに会えて良かった」


 姉のしみじみという様に、妹は少し反感を持った。


「まあ、姉様ったら。私全部知っているんだから。姉様は口ぶりは偉そうだし冷たいけれど、ずっとあの一族のことを気にかけていたじゃありませんの。今回だって、さっさと帰ってくればいいものを、小娘に憑いたり翁に化けたりして、随分と手助けしてやったんでしょうに。それでこんなに時間がかかってしまったんだわ」


 はなは返事をしなかった。妹の言うことは当たっているのである。もっと手早く、平家の一族の行く末を確認して、帰ることも出来た。しかしほんの気まぐれやちょっとした情けから、人の身体を借りてはあの少年を助けてしまった。もしかしたら、導いたといってもいいかもしれないと、はなは思う。

 自分ではあまりそういうことはしたくないのだが、言葉や態度でそっけなくしてもいざとなると手をさしのべたくなってしまうのだから、厄介な性分だと思っている。本当であれば、自分はもう少し厳然としていなければならないというのに。


 「そういえば、あの少年はどうしてあのような性格になったのでしょう。人にしては・・・」

 

はなは妹が言いたいことがなんなのか、すぐに分かった。勝隆の、性質について言っているのだ。


「お前も知っての通り清盛という男は、優れた男だったが飛び抜けて欲が強かった。得られるものはほとんど手に入れたのに、それでもなお完全な望月を望んだ。その因果が、子孫に巡ってあのようなに欲のない子が生まれてしまったのかも知れない。だが、あの子がその因果を断ち切れば、一族も少しは救われよう」

「あの子が、たった一人の少年の変化や選択が、一族全てが救うというのですか」


 世の中とはそういうものだ、とはなは語った。全体は一つと繋がっており、相互に働きかけ合っているのだから。ただ、その特殊な役目を背負った者は、辛い思いもしなくてはならない。それが少しだけはなには哀れに思えた。まして、あの少年のことならば。


「まあ、私はこれでもう心残りはない。それに、思わぬものも手に入った」


 はなは妹に、素っ気なく紫色の包みを差し出した。それを確認して、妹は仰天した。


「まあ、ではやはり剣は平家が持っていたのですわね。姉様、これは大収穫ですわ」


 妹の素直な賞賛に、はなは幾分自慢げに頷いた。しかし妹はふと何かを思いついたらしく、人差し指を口元に当てて首を傾げた。


「でも大丈夫ですの?今、人の世では時代が大きく変わろうとしています。あの者が、時代の変わり目には必ず現れるあの狐が暗躍していて、しかもこの土地にいると聞いています。姉様が気に入っていた、あの少年は剣無しで無事にすむかしら。もう少し持たせてやっても良かったでしょう。現にあの子はその戦いで斬られてしまったではありませんの」


「全く、お前は。今来たような振りをして、随分と前からここに来ていたな。よく事情を知っているじゃないか」

「あら」


「しかし、お前は何も分かっていない。第一に、この剣は武器ではない。これは我らが父と軍権の象徴。そして契約を破棄し、あらゆる封印を解く法具ぞ。仮にあの狐、太極の判定者と戦うことがあっても、大して役には立たないだろう。それにあの少年、勝隆は強い。まずもう並の人間には負けまいよ」


「姉様ったら何を言っているんですの。現にこの前、敵の若武者に負けて斬られてしまったではありませんか」


「勝隆は、本当に優しい子なのだ。自分が優れた剣技を持っていても、相手を傷つけるのを恐れて力を抑えてしまっていた。だが、それも終わりだ。あの子は自分が斬られて死にかけたことで、相手に危害を加えることを過剰に恐れなくなったはずだ。今度、戦うことになれば、本気が出せるだろう」


「なんですか、それ。人を傷つけることを恐れていたけど、傷つけられて大丈夫になったっていうことですの。随分歪んでいませんか」


「傷つけることで恐れていたのは、自分の心が痛むことだったのだ。それを恐れなくなった」


 それは生きることを恐れていた、ということに繋がっていた。


「で、でも、人の中で強いといっても、あの狐は我らと同じく人外の者でしてよ」

「その半身が、少年にはついている。あれは人を愛しているよ」

「でも、その半身といったって、そちらは余り物程度の力しかないらしいじゃないですか。向こうの方がずっと強いのですよ。国を滅ぼす力を持っているのです。狐が剣の側で力を補わなければ、あの者はかないっこありませんわよ」


 必死で反論する妹に、はなはため息をついた。その妹はとても賢いくせにどうも、分かっていない。しかも小うるさい。


「またお前の、でも子さんが始まった。こういう時のお前は本当に絞め殺したくなる」


「な、なんですって」


「だからいつも私が言っているのだ。お前はなにも分かっていない。お前の言う悪い奴の方、あの程度の力が、本当に天からあらゆる特権を与えられた白面金毛九尾の狐だと思っているのか」


はなは遠い空に視線を移し、遙かなる太古を思った。

かつて神々が陽と陰、善と悪を作り出した時、大命を与えられた狐のことを。


 

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