第二十三話 藤の御所

 幡多郡中村は、土佐一条氏が造った賑やかな商業都市だった。

 この町は京を模して造られている。町並みも都と同じく碁盤目状に造られており、地名も祇園、京町、東山と京の町と同じ地名が使われ、鴨川に当たる部分などは四万十川が当てられている。

 そもそも土佐一条氏と中村の関係は応仁の大乱まで遡る。足利将軍家の継承問題に端を発したこの大乱は、諸大名を巻き込んで京の京を火の海にした。庶民は逃げまどい、乞食、盗人が都に溢れかえる。当然、このような混乱の中にあっては年貢も入ってくるわけはなく、公家であっても平穏に暮らせるはずがなかった。それまで京都で暮らしていた公家達は、地方の領地へと下向していった。この下向した公家の中の一つに、一条家があった。

 応仁二年。この時の当主は、前関白職にあった(父はまだ存命だった)一条教房。彼は土佐の幡多郡に下向し宣下を得て国司となる。この一条教房は土佐の百姓に大きな歓迎を受けた。彼らにしてみれば、都の摂関家に連なり関白を務めた教房は、まさしく天上の人間である。

 当時の土佐は、まだ武力よりも遙かに家の尊貴さに重きをおいていたため、前関白にあった教房を人々は神仏のごとく崇めたおした。また豪族達の都合にも良かった。戦に疲れ切っていた彼らは、乱れる土佐のまとめ役に権威ある一条家を望んだのだ。


 (ここは焼けた京よりよほど良い)と、彼は思ったはずである。


 教房はこの地で妻を後妻を娶り、この女を一条家の正妻とした。この『正妻にする』とはつまり、その女の生んだ男子を一条家の世継ぎにするという意味である。生まれたのは

一条房家。房家は生まれながら、名門一条家の後継者に決まっていた。未来を約束された御曹司である。彼は地方に土着してはあり得るはずのない正二位、権大納言の位を朝廷から受け、中村の地に京を模して『小京都』と呼ばれるほどの優雅な町を建設する。さらに彼は名門の権威をもって国人領主達の盟主となり、一条家の土佐での地盤を確立するのだった。房家は三十七歳の時務めを果たすため京に上る。彼の生まれを考えるなら、彼はこのまま一条宗家を嗣ぎ、京に留まるはずだった。

 しかし。

 五年後、彼は土佐に帰ってくる。そしてなぜか彼は在地領主となって中村に留まり、京へは二度と帰らなかった。この房家を初代と数え、京の一条宗家から分家したのが土佐一条家。そしてこの土佐一条が造り、共に栄えてきた小京都、それが中村の町なのだった。


時は流れる。


 現在の一条家四代目当主は一条兼(かね)定(さだ)。今や戦乱で傾いた京の都よりも遙かに栄え、外つ国との貿易もあるこの町を治めるのは、わずか十一の少年だった。





 「よくぞ参られたね。面を上げたまえ」

 甲高い声が、室内に響いた。

今、城の奥、中村御所の藤は満開だった。一条は家紋にある藤を代々ことのほか愛でており、邸内には無数の藤がある。

 その極みは『藤遊亭』と言われる藤見の為の館で、そこで毎年開かれる豪華絢爛な宴は遙か都でも噂に上るほどだった。鬼国と呼ばれる辺境に咲く花、風雅で、優美で艶やかたる美しさ。藤の美しさこそ、一条の権勢の証なのである。

  しかし藤の臈長けた美しさとは全く無縁に感じる凡庸さが、上座の少年の声からは感じられた。何となく間延びしており、印象だけで言えば、聡明とは言い難いものを受ける。御簾の向こう側の影は、やはり小さい。無理もなかった。この土佐の幼帝はまだ齢十一。

 この少年こそ、一条兼定である。


 「兼定様におかれては、長宗我部殿の来訪をことの外喜んでいらっしゃる」

その幼帝よりも遙かに存在感を放っているのが、横に控えている筆頭家老の源康政だった。


 康政は兼定の伯父であり、家老の筆頭。当主がまだ十一という幼い事を考えれば、一条の実質の主は彼に違いない。兼定が土佐の主上であるなら、彼は康政はさしずめ土佐の摂政関白。一条に助力を乞うならば、この康政こそ『攻略』しなければならない相手である。

 康政の声は、咲き乱れる藤の花をそっと揺らすように部屋に響いた。この土佐の摂政関白の麗しさこそ、一条の真髄である藤の花のようだ。

 二十七歳。土佐の光君と名高く、この一条家の影の主である源康政の面差しは、たとえその心の内が謎であってもこの上なく麗しい。

 康政は声も美しかった。高低く、まるで目の前で綾が紡がれているかのように優雅に言葉を発する。不敵な笑みと共にその声が聞こえてくるのだから、女達はまるで誘惑でもされているような気分になにちがいないだろう。

  礼を済ませ、康政の涼やかな眼差しを受けながら、そもそも源康政という男は、謎の多い男だと綾姫は改めて考えた。自分がこの館に初めて来た時には、康政は名前すら知られていなかった。生まれははっきりしている。夭折した先代、一条房基の異母弟である。容姿端麗にして才気煥発、四書五経を学び、歌、立花、茶湯、書、絵画などにも優れ、医師、算用の術も修めているという。また盤上の遊においては朝廷から声がかかるほどで、彼が都に上がって宮仕えを願われることもしばしばあるときく。

 しかし、容姿、才能において比類無いといわれている一方で、彼の人となりを知るものは少ない。というのも彼は、兄が亡くなるまで自身は屋敷の奥深くに隠れ住むようにして生活しており、現在の兼定の後見として世に出るまで、館の者ですらほとんど顔を知られていなかったのである。

 女達はその奇天烈な生い立ちと優美な容姿にさらなる憧れを持ったが、突如として現れ、事実上一条の主におさまった彼を僻む男達は、『先代があまりにも若くして亡くなられたのは、彼の仕業では』と噂立てていた。事実、彼が妖術をも修めているという噂は、まだすでに五日滞在しただけの勝隆たちの耳にも入ってきていた。


 「うむ、私も長宗我部殿に会えて、とても喜んでおるぞ」

 

 兼定の言葉は、身分を考えるならばあまりにも気安かった。しかし綾姫は特に驚かない。それだけの縁が、この少年とはあるのだと自覚している。


 「兼定様、綾姫にございます」


 「うん・・・綾姫、知っているよ」


 兼定は御簾の向こうで、ゆっくりとうなずいた。


 「もちろん、岡豊城で今何が起きているのかも知っている。この康政が詳しく報告してくれたからね。心配しないで。一条と長宗我部、私とあなたの縁は深い。私がこの館に匿い、そなたたちを悪いようしない。決してあちらに手出しもさせないから」

 

 横で見ている康政も、うむと頷く。

その言葉は大変寛大なものに違いなかったが、綾姫は納得いかなかった。


 「お言葉、大変有り難く。しかし兼定様。私はここへ守ってもらおうと来たわけではありませぬ。私は、岡豊にいる父母兄妹を救うために、ここに来ました。つきましては、どうか兵をお貸し頂けないでしょうか」


 「うーん、困った。それは伯父上からはダメだと言われているんだ。でも、あなたの気持ちもとても分かるよ。それでこそ、武士の男の子だよね。分かった。兵を・・・」


 「なりませぬ」

 

 その瞬間、康政は刃物のような鋭さで話に割り込んできた。


 「お、伯父上」


 「綸言汗の如しと申します。そのような約束、むやみにしてはなりませぬぞ。長宗我部の跡目騒動に、我らが迂闊に関わってはなりませぬ。まして兵を動かすなどと」


 「康政殿、どうかお願い致します。父母兄弟が、兄によって捕らえられているやもしれぬのです。もし、これが兄の独断であれば、義は間違いなく我らになるのです。何卒」

 

 綾姫は伏して懇願した。鎌倉の時勢ならばともかく、戦国の世で「義」という概念は一般的ではない。しかし学問、すなわち儒教の教えを少なからず修めているはずの康政には、多少なりとも胸に響く言葉だろうと綾姫は思ったのだ。


 「いや、今回のこの騒動。間違いなくこれは、当主国親殿の意向によるものであろう」


 「何故でしょう。根拠がありませぬ」


 康政は何かを確認するように視線を兼定へと送った。


「よかろう。本来ならばこれは一条でも秘中の秘であるが、見せて進ぜよう」


「伯父上、良いのですか?」


「構いません。腹立たしい事なれど、そもそもこの話が先に行ったのも、この四国でその中心にいるのも長宗我部なのです。家という単位であれば、長宗我部と一条はこの情報を共有しております」


 慌てる兼定をよそに、康政の行動に躊躇はなかった。話をしようと決めたなら、一切躊躇わない。公家風に見えて、時々鎌倉武士のような気風を見せるのが、この一条家だった。


 康政は奥に置かれていた黒い箱を持ち出し、中の書状らしきものを取り出した。随分と良い御料紙である。


「といっても、到底信じられぬ話やもしれぬぞ。何しろ、事はこの四国を遙かに超える話。見よ、これが京の近衛家から送られてきた」

  書状を示しながら、書かれてある事を彼は説明した。


 陰陽師の博士たちによると今、この地上には天下を治める星を背負った若子が三人誕生している。その三人の若子は誰もが天下を統べる資格、すなわち天命があり、一番目の若子は破壊を持って二番目は舌、そして三番目は忍びをもって天下統一を成すという。しかし二番目三番目の若子はその予備に過ぎず、一番目の若子が破壊をもって統一を成し遂げればそれで戦乱は終わりを告げる。ならば悪戯に戦乱の世を長引かせるのではなく、大名が協力しあい、一番目の若子の治天を助けようというのが、書に認められた計画だった。

差出人の名は、公家最高の名家、近衛の若君、近衛前嗣である。


 遙か都の、若き貴公子が提案した前代未聞の計画に、天下が今どう動こうとしているのか、康政は包み隠さず話した。


 「長宗我部はこの話に乗ったのだ。だから貞親殿は動いた。この約定、連合が成立した暁には、我が国始まって以来の大規模な謀が展開される。近衛は秘伝の兵法を連合に提供するだろうし、かの家が飼っている優れた隠密衆も動くだろう。それまで殆ど都のみで行われていた呪術も、東西で派手に行われる。加えて全国各大名達の連携が完璧であれば、この謀は間違いなく成功する。つまり、一番目の若子が背負う『破壊』の星が輝くのだ」

 

 康政は断言した。

 星を背負う若子、帝の重臣たる近衛家の思惑、大名達の大連合。あまりの壮大さに綾姫は一瞬、把握するのに論点をどこに定めればいいのかと言葉が出なかった。この話には星読み、朝廷の転覆、武将の大連合と言及すべきところは山ほどある。が、彼女にしてみればそのどれもが、絵空事とも思えるような荒唐無稽さであり、綾姫が聡明であればあるほどこの話を正しく掴むのには時間がかかった。


 「しかし、この件と岡豊での騒動がどう関係が」

 

 それまで後ろに控えていた虎之助は、壮大な話の中であえてごく個人的な想いを論点に定めた。

「ふん、長宗我部の家人如きが私に問うか。まあ、良い。答えて進ぜよう。簡単な事。この約定に参加するという事は、すなわち長宗我部は四国を下さねばならぬ。それも若子が成長するまでに。いかに支援があるとしても、この四国統一など古来より一度たりとも実現しなかった大事業。となれば、この局面で跡目を誰に継がせるべきかという話にも大いに影響してくるだろうな」


 その推理を疑う前に、綾姫は即座にさらなる推測をしようとした。虎之助はすぐ目で合図をし、それを止めさせる。


 「恐れながら、この話を一条家はどのように捉えておいでなのですか」

 

 土佐の光君から、涼やかな笑みが消えた。遙かな上座から、気位の高い公家らしい顔にになって虎之助を見下す。およそ忍には似つかわしくない直垂が、妙に似合っていると康政は思っただろう。


 「虎之助、相変わらずそなたは主を守るためなら随分と聡くなる」


 「康政様」


「今それをそなたらに教えることはできない。城から逃げてきたとはいえ、そなたらは他家の者。当家の今後を決める重要な機密を、そこまで話せるわけがないであろう。まあ、話がこの一条ではなく、長宗我部にいったというのは、余り愉快な事ではないのは間違いない」


 康政はそこで公家らしく、ほほほと笑った。しかし決して顔は愉快というわけでなかった。


「あの、康政様どうかお尋ねする事をお許し下さい」


と、会話に入ってきたのは、それまで脇に控えていた白だった。


「そなたは?」


「お初にお目にかかります。綾姫様のお供をして参りました玉藻と申す者です。この度は拝謁させていただき誠に恐悦至極に存じ奉ります」


「玉藻・・・で、玉藻殿、確認とは?」


康政は玉藻の美貌と名を意味ありげに確認すると、一瞬考えてから問いかけた。

 「はい、康政様は『星読み』というものに、一体どの程度の信をおいておられるのでしょう?」


この質問に康政の表情は硬くなった。


 虎之助はなるほどと思う。そう、全ての事の発端は『星』である。天下を統べる星を背負うという若子出現の予言。これが全ての始まりなのだ。今は、まだ星がもたらしたあくまで『予言』に過ぎない。つまりそもそもの、この『星読み』を信じているかどうかが、今後関係者が取る行動の、一つの基準になるだろう。極端な話、何を馬鹿なと笑い飛ばしてしまう者にとっては、今回の事はただの妄言に過ぎないのである。


 「さて・・・こちらの名花は随分と英明だな。あくまで一条家の考えを、私に言わせたいと見えるわ。ふむ、しかしそなたらにとって、その情報は本当に重要なものだろうか」


 「というと?」


 康政は玉藻の妖艶な容(かんばせ)から綾姫の可憐な容へと視線を移した。


 「大元の原因がどうであれ、もはや事態がこうなってしまった以上、姫の選択は二つしかあるまい。すなわち、岡豊に戻り兄君を討って母弟を助けるか、あるいは・・・このまま逃げるか」


 康政が話をそらしたのは明白な事だったが、それでも彼の主張は、筋が通っていた。一行が一条まで来た理由の最終目的は、綾姫の母弟を助け、岡豊城を奪還することである。もちろん、貞親の行動の動機は気になるところではあるが、それがなんであれ、もはや彼を討つ事は避けては通れないのだ。


 綾姫は改めて思考を整理できたが、逃げるという選択肢を自分が持っており、それを自覚している、それを私は分かっているのだぞと康政に匂わされ、恥を感じた。


「で、ではもし私が、心を決め、兄の討伐に助力をお願いしましたら、答えてくれますか」


「それはやはり無理だ。他家の問題に、迂闊に関われぬ。ただでさえ、長宗我部には色々と貸しがある故、ここでまたさらにというのは、土佐の盟主としては他に示しがつかない。たまには貸しを返してもらわねば。それに、長宗我部は近衛に選定されし、四国の覇者ではないか。自力でこれを乗りきってこそ、それを内外に示せるというもの」

 どうやら一条は一条で、自分たちを差し置いて、四国の覇者に長宗我部が選定された事が屈辱を感じているらしい。康政は綾姫と虎之助が苦しい表情を確認すると、扇をぱちんと閉じ、静かな笑みを浮かべた。


「ただし、どうしてもと言うのなら、方法はある」 


「それは?」


「外を見るがよい。藤の花が美しい」

 入念に手入れされた庭には艶やかな藤の花が満開である。何羽か小鳥もとまっており、まるで一枚の絵のような光景が広がっていた。


それを見て、綾姫ははっとする。


 「その通り。もうじき藤遊亭で、恒例の藤見が催される」



 土佐豪族たちとって晩春の恒例行事である藤遊亭での藤見。これには毎年、土佐の本山、香宗我部、安芸、吉良、大伴、津野、もちろん長宗我部といった有力豪族の当主が訪れることになっている。普段は領地を巡り小競り合いを繰り返している彼らも、土佐の盟主一条の催す藤見の席では、席を同じくして宴を楽しむのである。

 当然、余計なもめ事を起こさぬよう、彼らが連れる事を許される護衛も最低限ということになっていた。


 「なるほど、伯父上、その時に貞親を討てば良いのですね。確かにそれならば、多くの兵は必要としません。もしかしたら、綾姫たちだけでもやれるかも。しかし、貞親殿はくるでしょうか」


 康政はにやりとした。


 「来ます」


 と、絶対の自信がある様子である。


 「あの者は、他家でも知れ渡っているほど聡明であり、その上長子でありながら長宗我部で冷遇されていたことは周知の事実。その彼が、今回長宗我部を掌握したならば、必ずや土佐中に自らの在処を示すでしょう。それは彼の心情的にももちろん、長宗我部の戦略的にも必要なことです。そこにこの藤見の宴。これに乗らぬはずはありますまい」

そして、そのような宴の席を襲うとは通常の公家の発想ではない。その容姿や口ぶりとは違い、彼の思考はやはり武士である。


 「ただし、条件がある。そこの男の子が所持している包みを我らに納めよ」

その言葉に一同の心中は騒然とした。


 特に驚いたのは勝隆である。ここで振る舞うべき作法を知らぬ為大人しくしていた彼だったが、康政の言葉によって一気に話の中心へと引きずり出された。

 彼は知っているのだ。自分の出自と、なによりこの包みの中身が何であるのか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る