第八話 白との出会い

 目を開いたとたん、体中に痛みが走った。寝汗の気持ち悪い感覚もあった。目に入ってくるのは暗く寂れた天井である。怪我とは関係なく頭も痛い。勝隆は自分がずいぶんと寝ていたことと、この場所が普通の民家ではないことを悟った。

 勝隆はとっさに懐に手を回し、託された包みがあることを確認するとほっとした。

 

「おや、気がつきましたか」


 戸から差し込む白い月光の中、こちらに微笑みを向けたのは自分より五つ六つほど年上の女だった。知った顔では無い。そして、彼女は勝隆が今まで見たこともないほど美しい女だった。

 いや、女と言うより人間といった方が正しい。これほどまでに美しい人間が、この世に在るとは。濃く長い黒髪は奇跡に近い艶やかさであるのに当たり前のようにそこにあり、思わず触れてみたくなるような白い肌も艶のある唇も、どれも思わず見入ってしまう。女の美貌はまさしく天上のそれに思えた。着ているものが粗末なため、美しさが余計に際立っている。


「妙な夢を見ていた。あんたは、一体何者だ。ここはどこだ」


目が覚めてすぐさまの勝隆の問いに、女はふふと妖しい笑みを浮かべた。

 

 「私の名は白。ここは剣の山の麓の小屋です。私の小屋ではないのですけど、川に流れ着いた血だらけのあなた様を見つけて、必死の思いで運んできたのです」


 女の意味ありげな妖しさや艶っぽさには全く気に留めず、勝隆は粗末な小屋の中を見回した。炉も無く埃っぽい、まさしく山小屋である。恐らくここは、近くの猟師たちがすでに使わなくなった小屋なのだろう。

 勝隆の意識が、徐々に鮮明になってきた。


「俺は、川に流れていた・・・?では、どこかから落ちたのか」


 だとすれば、正しくは落とされたのだと勝隆は心の中で呟く。

 一体、あの後何があったのだろう。確か、三郎の奴が、仲間を引きつれて自分を襲ってきたのだ。


 けれどあの後自分がどうなったのか、全く記憶がなかった。自分は川に落とされたのか、逃げるため川に飛び込んだのか。しかしよく考えれば、それほど大差は無いことだった。

「そう思われます。でなければ、服を着たまま川から流れてきたりしませんもの」


「・・・そうか、あなたが俺を助けてくれたのか。俺は勝隆と言う。ありがとう」

 

 礼を言うと、女は優しく微笑んだ。

 玉のような笑顔は、もはや人界のものではなかった。態度もどこか堂々としていて貫禄がある。外見は全く違うのだが、女のその部分の雰囲気は勝隆が知る中では村の長である祖父勝盛に一番近かった。そう思うと、自然と畏敬の念を覚えてしまう。


 「あなたは、何者ですか」

 

「私は白という女です」


 女は軽く笑った。


「俺はあなたほど美しい女にあったことがないよ。白」 


 勝隆は素直な感想を述べた後、起きあがって改めて自分の怪我を見た。頬の傷はもう血が止まってはいるものの、左の腕はまだ痛みが激しい。血が止まっているのは、薬草を布にまいて結んでくれているからだろうが、故に滲みた。この薬草を勝隆は知っていた。とても治りが早く、痛みもかなり取り除くのだが容易に見つける事は出来ない、珍しい薬草だ。この薬草を知っているという時点で、白はかなりの博識である。

 斬られた傷よりも厄介だったのは、転落した時のものと思われる全身の打ち身だった。体中に鈍い痛みを感じ、気持ちが沈む。骨は折れていないと思うが、すぐには動けそうになかった。


「この薬草・・手当てまでしてくれたんだな」


「大したことではありません」


「いや大したことだよ。白のおかげで俺は命拾いした。白は命の恩人だ」


「人助けはするものですね。あなたのようなお若い方にそんな事を言われると、私も嬉しいです」


「迷惑ついでに、しばらく厄介になってもいいだろうか。この傷ではしばらく動けそうにないんだ。本当なら村に戻って助けを呼びたい所なんだが、事情があってそれは避けたい」


 何かわけがあると察したのか、白は勝隆を追求したりはしなかった。本当ならもっと警戒するところだろうが、相手が傷を負っているので安心しているのだろう。


「それは構いませんが」

 白は意味ありげに勝隆を見た。視線がどうも、懐の包みに向いているのは気のせいだろうか。


「いえ、何でもありません」






 その日から白は、三日三晩勝隆の世話をした。

 白はどうやって獲って来るのか、捕ってきた獣はどれも大物の、丸々と肥えた、美味い猪や鹿だった。たまに魚も獲ってくる。やはり、狩りをして生活している者なのだろうか。山には不釣り合いな美貌だが、その技は十分立派な狩人であるこの辺りに白の家や村は無いらしく、粟や稗、豆や芋などの穀物は調達できなかったようだ。けれど獣はどれも食べ頃の獲物であった。

 白が改めて勝隆の素性を尋ねてきたのは、彼女の眩しい美貌にも慣れた三日目の晩のことである。

 「あの、ずっと聞かずにいましたが、あなた様はやはりどこぞの武士なのですか。身なりこそ慎ましやかですが、喋り方が百姓とは違います。それに腰には刀をしていました」


 「・・・そんなものだ」


  勝隆は適当なことを言ったが、実は心苦しかった。この三日甲斐甲斐しく看護してくれた白に、嘘をつくのは気持ちの良いものではない。

 いささか場違い、謎の多い女であることは確かだが、それでも善か悪か、敵か味方かと聞かれれば少なくとも悪でも敵もない、誠意を返したい相手である。


「ねえ、勝隆様」

 白がまた、意味ありげに見てきた。艶っぽい声である。


「早く傷を治したいですか?」


「それはもう。傷は一刻も早く治したい。白の世話になりっぱなしではこちらも心苦しいんだ」

「では、私がこれからすることに決して逆らわないでくださいね」


 白は体を勝隆に寄せてきた。

 麗しい顔が迫ってきたと思うと、次に感じたのは柔らかな唇の感触だった。今までにない、とろけるような快感が勝隆に走った。このまま身を委ねてしまえば、とてつもない快楽が待っていると本能か告げている。しかし、それと同時に何か頭の中の大事なものも失われてしまうという警鐘も鳴った。


「なにを・・・するんだ!」

「きゃ!」


 勝隆の声と共に、小屋の中は眩しい光で満たされた。

 光は強烈で、まるで真昼の太陽のようだった。勝隆が手で光を遮りながら光の源を探すと、それは懐にある包みであった。


「な、何よ。人がせっかく傷を治してやろうとしたのに」

 光は次第に収まった。勝隆は睨みつけようとすぐに白の姿を探したが、小屋の中に姿はない。

 そのかわりに、紅い眼をした大きな白狐が、勝隆の目の前にいた。


「貴様、狐だったのか!」


 咄嗟に睥睨し、勝隆は可能な限り身を構えた。


「もう!ちょっと、その言い草と態度はないんじゃないの?いかにもあたしは狐、妖怪の妖狐だけどさ、あんたを助けてここまで連れてきたのはこのあたしなのよ?それをまあ、恩知らずに、ちょっと狐だと思ったとたん声を荒らげちゃって。誰がこの三日間あんたの世話をしてあげたと思ってるのよ。食事から下の世話まで全部あたしがしてあげたって言うのに。そこんとこわかってんの」


白のあまりの威勢の良さに、勝隆はたじろいだ。


「そ、それは確かに感謝している」


「そうでしょう?あたしがいなかったらあんた死んでたのよ。そこのところが全然分かってないわ。あんた言ったよね、あたしが命の恩人だって。それなのにこの・・・ばかたれ!」


「すまない」


 勝隆がしゅんとなって謝罪すると、白は満足げだった。


「ふん、素直じゃない。そうね、人間素直が一番よ」


「すまない。あんまり突然だったんで、この三日のことを忘れていた。そうだあんたは俺を助けてくれた。妖怪は人を惑わしたり害をなすというけれど、白は妖怪でも、良い妖怪なんだな」

 その答えには少し間があった。


「・・・」


「何故黙るのだ」


「そりゃあね、私も昔は色々やったわ。うん、色々ね。でもそんなことはいいじゃない。もう何百年も前の事だもの。水に流しましょう。それよりも、あんたを助けたって言う事実を重んじて欲しいわ」


勝隆はやや考えて答えた。


「そうだな。妖怪でも、白は俺の恩人である事には違いない」


「えっ、あれ、そんなすぐ納得しちゃっていいの?」


「いけないか?」


「いや、いいんだけど。でもそんなにすぐ納得されたら、こっちも調子が狂っちゃう。ここでしばらく問答が続くと思っていたし。場合によっては追い払われるかとも思っていたし。・・・あたしがこんな事言うのも何だろうけど、あんた流されやすい性格なんじゃないの?」


「そうかな。ちゃんと理屈で納得したんだがな」


「そう?」


「うん、白は俺を助けてくれた。白の正体は妖怪だったけど、それでも助けてもらったことにかわりはない。違うか?例え悪い妖怪であったとしても、あんたは恩人だよ」


「ふうん、なかなか良い若者ね。そういう子好きよ。でもそんなに素直になられたら、こっちも悪い気がするから白状しちゃう。私ね、あの包みの霊気が気になってあんたを助けたの」


 白は、先ほど金色の輝きを見せた剣に目をやった。

 剣は変わらず布に包まれている。つまり先ほどの目映い輝きは、あれでも布越しのものだったのだ。


「あれいったい何なの?あんな霊気の強いもの、私が昔いた大陸でもそんなに無かったわ。そんなに凄い物をどうして」


 勝隆は答えるべきか迷った。言って良いものなのだろうか。相手は何しろ妖怪である。人の場合もそうだが、優しいと見せかけて寝首をかくというのは常套手段である。言い淀んでいる勝隆を見て、白はにやりと言った。


 「あたしはお前の何でしょう?」


 答えは命の恩人である。

 勝隆は小さく息を吐いてから言った。


「分かった、あれは草薙の剣だ。大昔、大蛇の尾から出てきたと言われる、天叢雲と呼ばれていた剣だよ」


 白は目を丸くした。


「ちょっと。ちょっと待ってよ。草薙の剣って言ったら、この国の天子の証の一つじゃないの。京の帝の持ち物でしょう?それをなんでお前のような小僧が」


「・・・・」


「一体あたしが眠りについている間に、何があったって言うの?京の大乱とやらで朝廷は滅びちゃったの?あたし、鳥たちから結構世の中の事を聞いて知っていたつもりだったのに・・・あれ?ちょっと待って」


 何かを思い出したようである。


「確か草薙の剣って、壇ノ浦で安徳帝と一緒に海に沈んだはずじゃなかったっけ?そうよ、確か鳥たちが言っていたわ。あれでは神器は永久に見つからないだろうって」


 勝隆は刹那、遙か昔の同胞達の末路に思いをはせた。摂関家とはほど遠い、地下の民でありながら天子の外戚にまで上り詰めながらも、波の下に都を目指し入水していった先祖達は、一体その時どのような気持ちだったのだろう。普段はそんなことは全く考えもしないのに、不思議なものだった。


「それは偽物だ。剣も、主上も。主上は平国盛に変装した維盛様が連れて逃げたんだ。維盛様は屋島での戦いの後、密かに国盛と入れ替わって・・・」


 勝隆はしまったと思った。そして白もそれを聞き逃さなかった。


「主上?なんであんたがその呼び方を。なんでそんな色々知ってるの・・・そうか、あんた平家の残党ね」


 どうやら白は聡明な狐のようであった。


「なるほどねぇ、各地にいたものね。そういう輩が。それでこの山に籠もっていたってわけか。しかしまあ、あれから・・・うわっ、三百年もしつこいこと!」


「言うなよ。もう平家再興の夢は終わったんだ。だから俺のような小僧が、この剣を託された」


 白は何か事情があることを察したのか、改めて勝隆の身なりを見やるとふーんと言った。


 「でも、どうやら私も感謝しなくちゃいけないようだわ。私、実はね、あんた達の先祖が来る前から、この山で眠ってたのよ。前は都にいたんだけど、ちょっと悪さが過ぎちゃって。やられた傷を治すためにも、霊格の高い山の霊気は体に良かったの。でも、眠りについてしばらくのことかしら?元々霊気の高い山だったけど、ある日急に霊気が倍くらいになった。何事かと思ってたんだけど、なるほどあんた達が来てその剣を祀っていたせいだったのね」


「白は一体いつから眠っていたんだ?」


「そうね、ざっと三百年くらい前からかしらね」


「・・・お前、一体いくつなんだ?」


「あら、女に年を聞くのは失礼よ」


「・・・なんでだ?」


 白は思わず、そういえば何故なのだろうと考えてしまった。


「ま、まあそれはおいておきましょう。あんた、もう傷は治ったでしょう」


 言われて体を改めると、傷はすっかり治っていた。左腕も、打ち身もまったく苦痛は感じられず、綺麗な皮膚に戻っている。


「白のおかげか?」


「気にしないで良いわよ。一生忘れないで恩を感じて崇め奉ってくれれば。それよりこれから何処へ行くの?あっ、京の都はお薦めしないわよ」


 思わぬ問いに、勝隆は答えに詰まった。どうしよう。白に迷惑をかけてはならぬと思い、早く傷を治したかったのだが、こうもたちまち治癒すると身の振り方に困った。本当ならば、すぐに村に帰って三郎のしたことを告発しなければならない。けれど、今はそれより気になることがあった。


「土佐に行く。俺は土佐に行って長宗我部という豪族を見てこなくてはならない」


 この時、勝隆は長宗我部にさほど関心があったわけではなかった。ただ祖父に、剣を持って遠くへ行けと言われ、そこでたまたま長宗我部という一度滅びた家を再興させた長宗我部の話が出ただけである。

 剣の一件もあるが、一度帰って祖父に諸々を報告するという案もあった。しかし、村にはまだ帰れないと思ったのだ。

自分は平家再興を諦めることができない三郎の一派に襲われた。だがそもそも三郎は、自分の乳兄弟であり親友だった男である。おそらく自分は、三郎の気持ちを慮ることが出来なかった。それでああなった。その迂闊さは、七菜の一件と重なる。このまま村に帰ってはいけない。

 そう、自分には何かが足りないのだ。それを埋めない限り、村に戻ってもまた不和を起こすだけなのではないだろうか。旅は人を変えるという。それが真の事なのかは分からないが、少なくとも村に帰るよりは何かが、あるいは自分が変わるような気はする。別にそれは、『なくとなく』でもいいのだ。

 言ってから自分に言い聞かせる内に、勝隆の決意は固くなっていた。


 「そう、それならあたしも付いていくわ」


 「何」


 「まだ都には行きたくないのよ。東はちょっと怪しいし。南なら丁度良いわ。それにその剣の近くにいると、とても楽なのよね。あら、何その目は?あたしはお前の何だったのかしら?」


 そう、答えは命の恩人だった。





 

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