第二話 少年たちの野望

 裏の林の抜け道を通り、こっそり村の中に戻ると、あたりはもうすっかり暗くなっていた。春先とは言え日はまだ短く、油断すれば夕闇は瞬く間に暗黒へと変わってしまう。勝隆は馬から下りると、村のあちこちに焚かれたかがり火を頼りに、いそいそと自分の家へと向かった。

 屋敷の入り口に来ると、三郎の母のなおが待ち構えていた。日に焼けた黒い顔に、小さい目と低い鼻、お世辞にも美しいとは言い難い容貌の彼女だが、勝隆たちにとっては誰よりも愛おしい母だった。しかし、目の前の彼女は鬼のような形相をしている。


「この悪がきども、また村を抜け出してどっか行ってたね」


「違うよ、母ちゃん。俺は勝隆様を連れ戻しに行ってたんだ。俺がいかなけりゃ大人が気づいて大事になってたんだぜ」


 三郎は必死に弁明したが、なおは気にも留めなかった。


「全く、この私を甘く見るんじゃないよ。三郎、あんたは勝隆様が抜け出したのを承知の上で、ばれないように動き回っていたんだろ。そんなの掟破りの片棒を担いでるのと同じじゃないのさ。勝隆様が村を出ようとしたら止めて、諫めるのがお前の役目というものだろうに。今回の事は二人とも同罪だよ。勝盛様に言いつけてやるからね」


 普段はどんな年長者にも受けが良く、正当な叱責でさえもそつなくかわせる三郎だったが、このなおからだけは言い逃れることが出来なかった。そして三郎でさえこうなのだから、勝隆が言い逃れられるはずはない。ところがそれは勝隆も十分承知していて、こういう時彼女の前では一切言い訳はしない。むしろそうした方が状況が良くなることを彼は知っていた。


「なお、確かに俺は村を抜け出して馬で遠出をしていた。本当にすまない。反省しているよ。何よりなおを心配させてしまった事が一番後悔している。ごめんなさい。」


なおはしばらく渋い顔をしていたが、一つ大きなため息をつくと表情を緩めた。


「・・・全く仕方ないですねえ。私だって、勝隆様が折檻を受けるのを見たくないんですから。今回は私の胸にとどめておきます。でも、どうかもう勝手に外に出るのは控えてくださいな。この村の存在を外部に知られてはいけないのですからね」


三郎が目でずるい奴と非難していたが、勝隆は気にしなかった。


「さあ、二人ともすぐに夕飯ですから、馬を戻して、厨の水で手を洗って来て下さい。勝盛様もお待ちかねですよ」


 馬を休ませ厨に水を貰いにいくと、そこにはなの姿があった。一切の無駄口をきかず、夕食の大根を一生懸命に洗っている。大根は小ぶりだったが、まだ幼いはなにとっては十分な大物で、その表情は真剣そのものであり、二人にとってその姿は微笑ましかった。

 はなは二人の姿に気がつくと、満面の笑顔で迎えた。


「勝隆様、三郎様、おかえりなさい」


 途端に、夕飯時で騒がしいはずの厨が柔らかな空気になる。


「はな、今日もよい子にしていたか?」


 はなは不思議な娘だった。特に美しいというわけでもないのに、何故か人々の目を惹きつけ、心を和ませる。身に纏っている空気、とでもいうのだろうか。それがどうも村にいる普通の人間とは違う、優しく包み込むようなものがある。


「はい、今日はなお様と薪を拾っていました。どんな薪が良く燃えるのか、とても丁寧に教えてくれました」


 夕飯が終わり、月が輝き出すと勝隆の村は途端に静かになった。誰もが一日の仕事で疲れきっており、横になるとぐっすりと朝まで眠る。それは極めて自然なことだった。しかし、久しぶりに同じ部屋で寝ることを提案された勝隆は、皆が寝静まっても床について三郎と話をしていた。


「全く、母ちゃんが許してくれたから良かったものの、今日は本当に危なかったんだぞ。いい加減、もう遠出はやめて、みんなと仲良く一緒に仕事や鍛錬をしてくれよ」


「努力する」


 勝隆はそう呟いたが、三郎はその答えに全く満足してない風だった。もうこのようなやり取りは、今まで何度も行われているのである。この努力するという言葉にしても、勝隆は本当に意味が分かっているのか知れたものではない。


「ところで、三郎。今日は何か話があって、一緒に寝ようといったのだろう」


早く話題を変えようと言った言葉だったが、三郎は思いの外真剣な表情になった。


「ああ・・・やっばりお前は勘が良いな。そうだ。お前、今日の勝盛様、何かおかしいとは思わなかったか?」


 勝隆は夕飯の時の祖父を思い出した。


「確かに、俺も少しそう感じた。いつもより、深刻そうな顔をしていたような気がする。気のせいかと思っていたのだけれど」


「お前でもそう思うって事は、それはかなりの事なんだよ。お前は、人の表情を読み取るのが下手くそだからな」


三郎は布団の中で勝隆を軽く小突いた。


「うるさいぞ。いちいち言うな。それより、やっぱり爺上は遠出のことを知っているんだろうか」


「いや、それが理由ではないと思う。知ってれば、黙ってらっしゃる人ではあるまい。それよりも、お前、今村の重役たちの間で何か大きな事が話し合われているらしいって知っているか。お前は今年の正月から、村の集会に出られるようになっただろ。何か聞いていないのか」


「何も知らない。初めての集会も、内容は退屈なものばかりだった」


三郎は勝隆が真実を言っているか、見定めるように真顔で見つめた。


「そうか・・・。でも重役たちの様子は普通じゃなかったんだ。ほら、俺はよく知らせの役を任されるから、あちこちの重役の家に行くだろ。それがどうも、ここしばらく彼らの様子がおかしいんだ。具体的にどうといわれると説明が難しいが、前後の流れから考えて、どうやらなにかの取り決めについて、賛否が分かれているんじゃないかと思う。それもとんでもなく大きな事の」


 暗闇に慣れてきた勝隆の目に、三郎の顔が映る。いつもにも増して真剣な眼差しだった。このような顔の三郎を、勝隆は久しぶりに見る。一瞬、少し怖いと思ったのは気のせいだろうか。

 昔、三郎がこのような眼差しをしたのは、彼の父が亡くなったときだった。流行病だった。あの時から、彼は実質自分の一家を背負っている。そのいつかの夕暮れ、一人で空を見つめていた面差しによく似ていると思った。


「これは俺の推測なんだが、お前が許された集会とは別に、なにか別の集会があるんじゃないかと思う。或いは、お前が出る何回か前の集会で話されていた議題なのかもな」


「それはあるかも知れない。別の集会の話は聞いたことないが、俺が出る前に何か大きな議題があったという話はあり得る。もしかしたら、それが決まって落ち着いたから、俺の参加が認められたのかも知れない。俺が出たときは前回の話なんて何もしなかったから、それはあり得る話だ。けど、三郎は頭が良いから、その大きな取り決めというのについて、もう見当はついてるんじゃないのか」


 勝隆はあまり深刻そうでなく言ったが、三郎は表情を動かして迫ってきた。


「その通りだ。なんだかんだでよく分かっているじゃないか。さすがは乳兄弟だな。まあともかく話を進めよう。俺は掟に関する事なんじゃないかと思っている」


「それはつまり、掟が変わって自由に村の出入りが出来るようになるということか」


「そういうことだな。けれど、そこはそんなに重要じゃない。つまり、どういう理由で禁が解かれるかということなんだ。そもそも俺たちは、一族の再興を目指してこの地で鋭気を養ってきた。その為には、天下の情勢を把握しつつ、隠れて生きる必要があった。掟はその為のものだ。だがそれが解禁されるということは」


「まさか」


暗闇の中、三郎の目が光った。


「そうだ。俺たちの出番だ。今は戦乱の世で、各地で色んな武将達が名乗りを挙げていると聞く。そこでついに、俺たちも打って出るんだ。かつて、地下人(じげびと)ながら初めて殿上人となり、公家に変わって武士の世を築いた我らの一族が」


さすがの勝隆も、目を見開いた。


「可能だと思うのか?」


「もちろんだ勝隆。今、朝廷や将軍の権威はとっくの昔に失墜して、各地で力を持った武将達が覇権を巡って戦っているが、逆にいえば、それだけ強力な一つの勢力がまだ今の天下には存在していないということなんだ。これはとてつもない好機だ」


 勝隆は息を飲んだ。気づけば握りしめている拳の中で、汗の水気を感じた。


「しかし、源氏が滅びたときも、俺たちは何も出来なかった」


「うむ。あの時は、仇敵源氏が滅びたとはいえ、北条に実権が移っただけで幕府の力は依然として強大だったからな。その後も大陸の蒙古が攻めてきたり、足利氏が出てきたり、都が大乱で荒れても俺たちに有利な状況とは言えなかった。けど今は違う。

 この天下に広がった戦乱。そこに俺たちが出自を明らかに名乗りをあげたら、どうなると思う?俺たちは少数とは言え、三百年訓練を積み続けていた精鋭集団。一人一人は今天下に名を馳せている武将達にも決してひけは取らない。しかも俺たちの数が少なくても、銭があれば従う傭兵集団は各地にいくらでも存在していて、今の天下の状況が彼らを日々強く育ててくれている。ここまで天下の布石が整ったのは、今までなかったことだ。そして俺たちにはあれがある。あれを武器に朝廷と交渉しても良いし、どこかの国を乗っ取ってもいい。確かにすぐにかつての地位に返り咲けるわけではないけれど、その機会は今の世に数多くあることは間違いない。分かるか勝隆、我ら平家三百年の悲願が、もしかすると俺たちの世代に叶うことになるかも知れないんだ」


 興奮の止まらない乳兄弟を前に勝隆が言葉を失っていると、三郎は唸るように笑った。


「おいおい、まさか事の壮大さに怖じ気づいたなんて言わないでくれよ。もし、俺たちの代で挙兵することになれば、その軍勢を率いるのは間違いなくお前なんだぜ。勝隆、いや平家の若君。

 だから俺は、普段からもっと若い者たちの中心にいてくれと言っていたんだ。お前はもっと平家の若君という事を自覚して行動しなくちゃならない。これからは特に、そういうものの考え方が重要になってくる。俺たちに人が集まってくれば、そこには色んな事が起こるんだ。才気が溢れている奴、磨けば光る奴、どうしようもない奴、狡い奴、裏切る奴。そういう奴らもまとめて惹きつけて、統率する器が必要になってくるんだ。

 約束しよう勝隆。俺は、一生をかけてお前とこの一族を支える。だから勝隆、もしその時が来たら、お前は俺たちを導いてくれ」


 勝隆は何も返す言葉が浮かばなかった。ただ、三郎の黒く輝く瞳を見ても、彼の口から語られる一族再びの栄光を聞いても、何故か思ったほど心は興奮していなかった。その事が、勝隆には不思議に思えた。


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