第一話 勝隆

 その日高原を馬で駆けめぐっていた勝隆は、遠く夕日を背に誰かが馬に乗って呼びに来るのを見て、また何かばれたかとも思い焦った。

 悪戯というのではない。勝隆は数えで十八。さすがに童の遊びからも抜けきる年頃である。ただ、勝隆は村のある掟をよく破っては、長であり祖父でもある勝盛に叱られていて、この、馬での遠出というのはその際たるものだった。

 出入りを固く禁じられている勝隆の村では、彼が今ここにいること自体大きな禁忌なのである。先日の一件以来、勝隆が密かに村を抜け出しているのではないかと、他の村人が気づき始めていた。

 

 それでも勝隆は馬での遠乗りを辞めようとはしなかった。決して人に見つからぬよう細心の注意を払いながらも、春と夏には花が咲き乱れ、秋には紅葉が美しいこの高原をひたすら駆け巡るのが、堅物と評される彼の唯一の楽しみだったのだ。普段は言われた事は必ずと言っていいほど従うくせに、時たま閃くように気まぐれを起こしては周囲を唖然とさせるのが、この勝隆だった。

 季節はすぐそこに春が待ち構えており、数多の生命の蠢きが山々の至る所で目撃できる。一際高いこの山の風にも、花の香りが混じり冬とは違う鳥たちの声が聞こえだした頃合いだった。自分の中の、脈打つ若き血潮と連動する生命の蠢きに興味を持つなという方が無理な話だった。

 夕日を背負った人影は次第に大きくなり、勝隆の前に姿を現した。


 「ここにいたか。またこんなところでぼおっとして」

 

 太く黒々とした髪と眉をした少年は、乳兄弟の三郎だった。三郎は勝隆とは共に育った少年で、お互い上にも下にも兄弟のいない彼らは、お互いを兄弟のように思っていた。それ故に二人が気安く話すことも、周囲はそれほど目くじらを立ててはなかった。

 

 (また、言われてしまった)


 勝隆は三郎の発言にいささか傷ついた。

 この乳兄弟に限らず、勝隆はよくぼっとしていると評されることが多い。 


「さあ、早く帰ろう。こんな所を人に見られては大事だ」


「あ、なんだ。気づいているのは、お前だけか」


 間抜けにも受け取れるその言葉に、三郎は少しむっとしたようだった。


「お前なあ、少しは慎みというものを持て。俺が残って大人たちに目を光らせているから良いものを、見つかったらただではすまないのだぞ。まして、お前は長の跡取りだ。皆の模範となるべき身の上なのだぞ」


 勝隆は分かっている、と呟いた。

 兄弟のようと言われる二人だが、どちらが兄でどちらが弟かと言われたらその役割は雀と烏ほどはっきりとしていた。三郎は大人たちからも信頼されるよく出来た少年で、身分こそ重役の家柄ではないが、村の若者たちの間でも自然とまとめ役をこなす事が多い。

 一方勝隆は、同輩と共に遊んだり農作業や鍛錬をするよりも、それらを一人で黙々とこなしたり、道具の仕組みをひたすら観察したいという性分だった。


「しかしそんなことよりもだ。俺はお前が心配だ。お前が何かをしでかせば、勝盛様がどんなにお前を大事に思っておられても、見せしめのため、他の者より厳しく罰しなければならないだろう。ちょっとやそっとの折檻ではないのだぞ。頼むから、こんな真似はこれで最後にしてくれよ」


「見つからなければいいじゃないか。それに、俺がこうして馬で出掛けていたから、はなを助けられたんだ」


 はなというのは、二月ほど前に山で一人迷子になっていた娘の事だった。勝隆が夕暮れに村へ戻る途中、怪我をしている「はな」を発見したのだ。はなはまだ六、七つほどの娘で長の許可を経て保護された後、今では勝隆の家で下働きのまねごとなどをしている。普通、山中で人を助けた時は、相手が何者であっても村へと連れてくるのは慎重にならねばならないのだが、勝隆は悩まずに手負いの少女を連れ帰った。その事に眉をひそめる重役もいたが、村の女衆たちはこぞって彼を賞賛した。勝隆は、もし罰せられたらという誰もが抱くはずの不安や保身を一切考えず、ただひたすら少女の生命を思いやり、自分の心のままに従ったのである。

 危うい性分ではある。しかし普段勝隆を陰気だ変わり者だと評する同輩たちも、この時ばかりは勝隆を見直していた。そしてそのはなを自分の妹のように、一番可愛がっているのが他ならぬ三郎だったから、勝隆のこの意見に言い返すことが出来なかった。


「む。確かにそうだ・・・。お前が禁を破って村を出ていなければはなは助からなかったかも知れない。し、しかしだ。せっかくその事でお前の人気が高まったんだぞ。もうこれをきっかけに、長の孫として、同年代の中心に来てくれよ。俺はお前にいつでも譲れるように、うまく立ち回ってるんだからな」


三郎が珍しく多少言い淀んでいるのを気にせず、勝隆は馬を村へと向けた。

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