第6話

 いつものお昼がやってきた。わたしはいつも通りに弁当箱を抱えて中庭へ向かう。

 しかしいくら待っても里子がやってくる気配はなかった。

 わたしはひとりで弁当箱を開け、食べ始めた。甘い玉子焼きをつまむ。あの子の好きな味。


 あれから、里子はわたしを避けるようになった。あの日から三日経っていた。

 あの時のことを思い出す。

 好きだと言われてわたしは気が動転した。思いが昇華したこと、なにより、里子が同じ気持ちでいてくれたことが心から嬉しかった。でも里子は言った。

「ごめん! いまのなし!」

「えっ」

「嘘嘘、冗談だよーごめんね」

「里子……」

「ごめん、わたし、行くね」

 そうしてパタパタと駆け、夕暮れの教室から出て行った。

 相変わらず吹奏楽部の練習の音が聞こえる中、わたしは、この世でたったひとりの愛するひとを失ってしまった。


 いつの間にか玉子焼きはしょっぱくなっていた。


 弁当を食べ終えて教室に戻る道中、渡り廊下でばったりと里子に会った。

「あっ……」

 気まずそうに里子は視線を逸らした。そのまま離れていきそうな里子をわたしは呼び止めた。

「里子!」

 思わず腕を掴んで逃げられないようにする。

「どうして避けるの? まだわたし、」

 答えてないよ、と言いかけたところで里子が遮る。

「こないだのこと? やだなあ、冗談だって言ったじゃ…」

 咄嗟に。頭に血が上ってたとしかおもえない。悔しさと愛しさが入り混じって、わたしは、

「んっ…!」

 里子の唇を唇で塞いでいた。

「離して!」

 もはや悲鳴に近い声で里子が叫ぶ。

 彼女はとてもとても悲しい表情をしていた、とおもう。

 曖昧なのは彼女がうつむいていたからで、わたしもまともには彼女の顔が見られなかったからだ。

「もう、行くから」

 そう言い残して里子はパタパタと渡り廊下を駆け抜けた。

 昼下がりの校舎はまだあたたかく、澄んだ空気で深呼吸を繰り返すことで自分を取り戻そうと必死になっていた。

 苦しかった。どうしようもなく心が痛かった。

 嫌われた。いや、それ以上に、あれは拒絶だ。何人をも寄せ付けない壁を彼女は造り上げた。わたしは絶望するしかなかった。もう彼女に近付くことはおろか、視界の隅に入ることさえ許されないであろう。それほどの威力を持って里子はわたしを突き放したのだ。

 泣けなかった。乾いた笑いが少しこぼれる程度で、わたしの感情のどこか一部が壊れてしまったんじゃないだろうか。

 人間、追いつめられるとこうも動けなくなるものなのか。始業のチャイムが鳴り響く中、わたしはその場から立ち去ることができなかった。


 教室へは戻らなかった。空になった弁当箱を抱えたまま、わたしはまたあの中庭へと向かった。

「……どんな顔して会えっていうのよ」

 ため息混じりにひとりごちる。

 想定していなかった出来事とはいえ、里子にキスまでしてしまった以上、合わせる顔などない。そもそも、だ。

「嫌われちゃったよお……」

 ようやく現実が現実としてリンクし始めてきた。ぶわとこぼれる涙はとめどなく、頬を伝っては首筋に流れた。

 あの日の里子が何を思って気持ちを伝えてくれたのか、そしてなぜそれを自ら否定したのか、それから。

 考えは堰を切ったように溢れて止まらない。

 彼女は、率直にわたしのことをどう思っているのだろう。

 正直な気持ちが知りたい。あれは本当に嘘だったの?

 今までの楽しかった思い出が頭の中を流れだす。ピザおいしかったな、とか、お弁当の中身を交換し合ったな、とか。

 まだ手も繋げない清らかだった自分を思い出し、こうなるくらいなら、深望みなんてするんじゃなかったと激しく後悔した。

 ぬか喜びに終わった里子の告白にはどんな理由があったのか。

 考えても考えてもわたしにわかるはずはなく、気付けばお昼からあっという間に下校時間になっていた。

「帰ろう、かな」

 そろと立ち上がり教室へ向かおうとして、また悲しくなって、ふらふらと泣きじゃくりながら静かに静かに廊下を歩き、教室で荷物を取ってその日は帰路についた。

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