第16話 天罰

アリスに抱きつかれ、泣きつかれてアシュは困惑している。

確かに互いに本音や感情をぶつけあったが、まさか泣いてしまうとは思わなかった。

そもそもここは女子更衣室なのだ。

誰かに見られたらあらぬ誤解を産みかねない。

そもそも下着姿のアリスを抱いている自分の姿は幾ら二人の年齢が近しくとも犯罪臭がする。

しかし、アリスを強引に引き剥がすこともできずアシュは困惑している。

そんな中、人工知能に助けてと呟いてみるも。


「提言:女性──特に少女はロマンチックなセリフを好みます。このような状況では甘く囁き掛けるセリフが効果的でしょう。【あの娘の恋心を射止めるチャンス!】」

「(君って本当に人工知能だよね!?)」


とんでもない事を囁いてくる人工知能にアシュは堪らずツッコんだ。

その上最後の方は機械らしくない甘えてくるようなふざけ倒してるような声音で言ってきた。

前半が機械的な事務口調のせいで、より一層後半の異彩さが際立つ。

なんなんだコイツは。

本当に本当の人工知能なのか。

人工ではなく天然なのではないかと疑ってしまうほどRAIRAの発言は人間くさい。

それも他人の不幸を鼻で笑い飛ばすようなそこはかとない悪意を感じる。

もし、彼女が人間でなにかトラブルに遭遇したら確実に火に油を注ぐタイプだ。

それどころか喜んで火にメチルアルコールをぶっ掛けていそうだ。

例え親しいにそう言われてもはいそうですかと行動出来ない。

出来ないが、やるしかない。

泣く泣くアシュはアリスを宥める格好に収まる。

言われた通りにしか出来ないのが少し癪だ。


「大丈夫、大丈夫だよ」


大丈夫と言い聞かせて、背中を摩る。

優しく、優しく、手が背中に染み込むように。

その手に乗せられた感情が背中を通して伝わったのかアリスが埋めていた顔を少し上げる。


「アシュ…私は…」


言いづらそうに言い淀むアリスに笑いかけ、先を引き取る。


「大丈夫。僕はずっと君の隣にいるよ」

「約束、してくれますか?」

「うん。約束するよ。君と、この名に誓って。僕はずっと傍にいる。家族のように。楽しい思い出になる時にも、辛い過去に嘆く時も、苦しみに喘ぐ時も、ずっと傍にいるから。僕が

「──ッ」

「誓うことで僕はいつでもこの事を思い出せる。例え忘れたとしても、僕は君の隣に寄り添おう」

「約束、ですよ。絶対の絶対の絶対に」


誓いを口に出して、やがて訪れるかもしれない『もしも』に対抗する様に。

それは恐れの顕れか、それとも相手恐れを牽制する刃なのか。

アシュは瑞々しい頬をまるで林檎のように赤らめながら今度は遠慮がちに抱きついてくるアリスに若干赤くなりながらも、胸の激情を押さえつける。

これが憎悪に押された感情ならば、制御する術はなかった。

しかしこれは嬉しさの爆発だ。

感動、感謝、感激、感嘆、友愛、親愛、深愛、そしてなりより希望。

愛らしい少女の容姿かたちをした、希望の運び手。

感動で感謝で感嘆のある、友愛と親愛と深愛を抱く、目的で目標である、未来の、これからの希望を掲げる存在を。

アシュは確かにその手の中に感じたのだった。











かくしてアシュが気を揉んでいたトラブルは無事解決したが、トラブルというものは表面的なことでは解決せず、またひとつの問題には付随的にいくつもの問題点があり、またいくつもの解決策もあり──そしてなりより次の問題に繋がる。


「アリスちゃーん、大丈夫?着替えにしては遅い、け……ど?」


更衣室の扉からひょっこりと結子看護婦が現れた。

途端に温まっていた空気が凍る。

暖かかった雰囲気ムードも凍てつくような視線に散らされていった。

アシュには逃げ道も【逃げる】というコマンドさえもない。

【逃げる】コマンドを押したとしても【しかしまわりこまれてしまった】とテロップが出るだけだろう。

結子の眼にはきちんと姿

いくら同じ孤児院に住んでいるからといって許されざる行為であり、現行犯逮捕である。

いや逮捕、拘留の順序をすっ飛ばして即処刑かもしれない。

結子の目から光は消え、感情が消え、そしてついには状況の理解を放棄した。

彼女のやることはただ一つ。


「───こんのぉドスケベ野郎がァァァ!」


アシュの下顎に蹴り上げをクリーンヒットさせる事だけだ。

思い上がった下劣な欲望に杭を打つ。

二度とそのような事をしでかさないように。

雷速の蹴りはいとも容易く避ける術を持ち合わせないアシュの下顎をぶち抜き、ほんの刹那の間ではあるが宙を漂わせる。

アリスが寄りかかっていた存在が居なくなったことで初めて異常に気づき、今更ながら小さく悲鳴を上げる。

それはアシュが蹴り飛ばされたからなのか、それとも己のした事への羞恥なのか二人にはわからなかった。

その程度の事など些事だということも大いにあったが。


「ご、誤解──」

「問答無用!ハイや!」


結子がミドルキックをお見舞する。

もちろん本気ではないだろうがアシュにとっては途轍もない威力だった。

刹那に中空を漂いながらアシュは思った。

なんでこんな仕打ちを受けなければならないのかと。

しかし、その理不尽さを憤る感情や意識すらも空白に呑まれ。

そして、宙を再び舞っていく中、意識が白さに呑まれていく。
















「主任、報告が」


自動で開く認証式の扉を跨いで入室したのは浅葱色の髪の女。

しかし、一房だけ白くメッシュになっている。

その髪はボサボサで長い間ロクな手入れをされていないことが伺える。

しかし、それを彼女が気にする素振りは見られない。

隈が出来た左眼の細かな装飾の施されたモノクルが天井の光を反射して輝く。

その対面に座るのは狂助だった。

なにかの報告書から離された、ぎらりと光る三白眼が女を睨めつける。

睨めつけると言うより、ただ単に目つきが悪いだけだが。


「あァ?咲水こなみか。例のガァキ、捕ァまァえたのかァ」

「いえ、その例の病院ですが〈黒羽〉が横槍を」

「〈黒羽〉だァ?そりゃあ国の…なァんかァ重要なァ家柄じゃなァかァったァかァ?」

「はい。公爵相当の位を騎士の家ですね。ご存知で?」

「いやァ、詳しくはァ知ァらねえなァ。なァんせ俺らァ外出身だァかァんなァ」


そうですか、と答えて咲水は説明する。


「まぁ、有り体に言って国のいぬですかね。この国の半分の治安維持を担っていますが己のシマの利権を守る為でしょう。この国の建国にも絡んでいますし、国のトップとして初代から聖女を祭り上げている狗にして平和主義者ですよ、奴らは」


特別な感情があるのか、鼻息を荒くして捲し立てる。

腕組みをして瞳は「奴らを許せない」と語っている。


「そんなァ国の狗っコロがァなァんで俺たァちの存在を一介の病院で邪ァ魔ァするんだァ?わァかァるはァずねぇだろ?どっかァら情報がァ漏れたァ?」

「現在、調査中です。それで作戦の被害は干支の兎と牛、それから送り出したアルファ・ロメオが全滅、というか捕まりました。また連絡したオロスの部隊も半壊。更に目標は奪取出来ませんでした」

「踏んだァり蹴ったァりだァなァ。持たァせたァ自決用の薬はァどうなァってやァがァる?」

「奥の歯に仕込んでありますが…奴らの前では噛む前に捕縛されているかと。小粒揃いではありますが、流石に矛を交える前に奥の歯は使用しないかと」


いつの時代も奥の歯というのは自決には、そして口封じには最適だった。

安価で量産も容易い。

更に発動率もほぼ100パーセントである。

余程の力の差がなければ、だが。

拷問に対する訓練や挫けにくい意思の強化、一種の軽い洗脳も施している。

さらに奥の歯は噛むことで記憶を混濁させる成分も含んでいる。

情報を得るために復活の魔法を唱えたら唱えたで相手の資源リソースを削ることが出来るので一石二鳥である。

拷問されようにも口を割らないし、割ったとしても証言から得られる真実は迷走するだろう


「…ベータ・テスターに始末に向かァわァせろ」


ベータ・テスターはアルファ・ロメオよりも隠密行動に優れている。

構成員は仕事の関係上少ないが一定の働きはするだろうと狂助は踏んでいる。


「よろしいので?ここでさらに動けば奴らに補足されますよ」

「あァ。背に腹はかァえらァれねぇかァらな。どの道始末しなァきゃ芋づる式にコッチがバレんだ。んなァら蜥蜴トカゲの如く尻尾切っちまえばァいい」


奥の歯で撹乱しているとはいえ相手は国レベル。

完全に騙しきれるとは考えていない。

とすると情報戦で先手有利を取っている間にとっととトンズラするのが最も良いとキレのいい頭脳は弾き出した。

正面から迎え撃つのは愚か者の所業だと狂助は考えている。


「なるほど。では後で被害が少ない研究所で捜査を打ち止めさせます」

「あァんまァ資料を持ち去り過ぎんなァよ。少なすぎっとばァれるかァんなァ」

「はい。完成した研究レポートの半分過ぎもあればそれの精査で足止め出来るでしょう」

「いっそのこと暗号化するかァ?」

「そんな時間はないですが…そうですね。実験体が脱走した体にして計器や資料を破って散りばめれば紛失しても疑われないでしょうし、時間もさらに稼げますね。実験体もいくつか配置すればさらに困難になるでしょう」

「何番を出ァす?」

「そうですね…対人という事を考えると700番【いとも容易く崩れるモノ】、4100番【正義とアク】、8412番【赤錆あかさび】辺りがいいと思いますが」

「あァ。だァがァ【赤錆】なんかは他に使ァい道がァあァりそうだがァなァ。戦わせても単純に強ぇしよ」

「ですが調べるにしても【存在値希釈装置HDM】無しじゃ自分たちが赤く錆びてお終いですよ」


存在値希釈装置、通称HDM。

Hume Dilution Machineから頭をとってHDM。

存在値という物質が定義付けられる際に持つふたつの要素である。

その物質がどんな性質を持つのかと言うものを表す属性エレメント、そしてその物質がどれだけ改変を受けやすいかを表す存在値ヒューム値

存在値は科学的、物質的、魔法的な要素を孕んでおり、存在値が低ければ低いほどより小さな力で属性が変形、変異などいった現象が起こる。

逆に高ければ高いほどその物質が持つ属性は変化せず、干渉を受けづらい。

HDMはその値を希釈することができ、どのようなものでも好きなように改竄することが出来るのだ。


「奪ァってったァ奴の足取りはァ?」

「依然、不明です」

「やァっぱァそいつらァがァ持ってんじゃねぇのか」

「可能性としては充分有り得ますね。あんなにも素早く脱走して、依然居場所が分からないんですから。国がバックに付いている線も十二分に有り得ます」

「クソ兄貴…なァんで裏切りやがァったんだァ」

「さて…自分には分かりかねますね。何か聞いていないのですか?」

「さァっぱァりだァ。俺にとっちゃ晴天の霹靂、寝耳に水だァ」

「そうですか。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、という奴なんですかね」

「さァて、どっちがァ燕雀でどっちがァ鴻鵠なァんだァろうなァ?」

「我々は鴻鵠でしょう。大衆小物には理解されないでしょうから」

「あァいずれ、天罰が下るだァろうなァ」

「ではこれで。自分は研究に戻ります」

「おい、待て。…少し休憩をやァるかァらァ髪とか身嗜み整えとけよ。お前の素敵なァ浅葱色の髪が台無しだァぞ」

「ッ…し、しし失礼します!」


咲水は顔を真っ赤にして退出して行った。

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