第94話君を破滅へ導く明日

 レイの薄くて形の良い唇が、重ねるだけのキスを長くして、ちゅっと小さく音を立て離れた。


 そして私の両手を片手で包んでくれたので、治癒の術を唱える。手首にようやく血色が戻って、自由が利くようになってレイの首に必死でしがみつく。




「レイ」


「ん」




 背中を支えて、レイの頬が私の頬に甘えてすり寄る。


 それから私を抱いたまま、彼は立ち上がった。




「古来から、この神殿には神聖な結界が張り巡らされている。聖女や神官の力を増大させるが、魔力を使う転送魔法陣は使えないし、魔族の力を弱める作用がある。貴様の特殊な力には有効に作用するが、それ以外の魔力は無効化される。だから逃げられないぞ」




 私達を騎士と数人の神官が囲んでいる中、私達を微妙な表情で見ていたアテナリア王の言葉に、レイを見上げる。




 出入り口は一ヶ所。そこは何人もの騎士によって塞がれている。


 辺りを見渡し考える様子だったが、私の不安な表情を見てとって、レイは静かに「大丈夫」と告げる。




 体の弱った私を抱えた上に魔力を発揮できない状態で、レイがここを逃げきれるとは思えない。




「俺が力を使い、異世界への扉を開けば、もうレティや俺に関わらないと誓うか?」


「ああ、これっきりだ」




 そう応えたのは、エドウィン様の背後から歩み出た白亜様だった。




「これを最後にする。だから」


「妹の仇を信じるか!」




 そう言ったレイの仄かな影が伸びた。しゅるりと白亜様の首に影は巻き付き締め上げようとした。


 それを白亜様の結界が防いで、エドウィン様の剣が切り落とした。




 舌打ちをするレイに、白亜様は構わず縋るような表情で願う。




「許されないことをしたのはわかっている。だが、お前にしか頼めない」


「…………………いいだろう」




 吐き捨てるように言い、そっと私を床に降ろしレイは距離をとった。




「レイ」


「…………すぐ終わる。目を閉じてろ」




 私に背を向けて、床に手を付いた彼は白亜様に言う。




「何か不具合が起きても知らない」




 黙って頷く白亜様の横から、エドウィン様が剣をレイの腕にあてがい、いきなり縦に斬った。




「きゃあ、レイ!」




 二の腕から、ざっくりと傷がはしり血が溢れて床に伝う。




 大量の血に見ているこっちが痛くて、手で体を引きずるようにして近寄ろうとする私を、苦痛に顔を歪めながらも首を振って制して、レイは血で魔法陣を描いた。




「わが血をもって、異界への扉を開かん」




 唱えたそばから、光り出したそれは魔法陣の中心に渦を作る。




 白亜様は安堵した表情で、触れようとするエドウィン様の腕を逆に握って、別れの握手でもするように軽く撫でると手を放した。




「白亜……」




 魔法陣に足を踏み入れた彼女に、エドウィン様の呼ぶ声が悲しげに響く。




「彼の者を送れ」




 レイの言葉に、魔法陣が一際光り輝き、そして一瞬の後に光が消えた、白亜様を取り残して。




「どうして!?」




 悲鳴のような問いに、レイは「やはりか」と驚きもせず納得したように呟く。




「異世界から聖女としてこちらに喚ばれた者は、こちらの世界の存在として受け入れられているようだな。そういう者は、もうこの世界からどこへも行けない。よくはわからないが、聖女を招く意志のような力が働いている」


「だけど護は帰ったのに!」




 腕を掴んで詰め寄る白亜様に、レイは振り払うと冷たく嗤う。




「あの男は元より異質な存在。おそらくお前がこちらへ来る時に巻き添えになっただけだろう」


「あ、そんな……」




 魔法陣の上で呆然と座り込む白亜様に、エドウィン様は隠しきれない喜びの表情をし、レイは嘲笑う。




「もういいか?お前はずっと不可能なことに夢見ていただけだ。愚か者が」


「いいえ!まだよ!」




 レイの血だらけの腕を乱暴に掴み、再び床に押し当てた白亜様が鬼気迫る様子で命じる。




「ならば護をこちらへ喚びなさい!」


「は!?正気か……」




 素早く服従の術を放った白亜様が、レイに強く命じる。




「喚べ!」


「……ば、かが!」




 抵抗しようとするレイだったが、神殿の結界のせいか術を撥ね付けられない。




「よせ!真白!」




 エドウィン様が阻止しようと近づくのを、彼女が拘束の術を使う。




「……異世界より、再び迎えん。河野護」




 苦々しくもそう唱えた途端、魔法陣の光りが外側へと流れていく。




 その中心にすうっと人影が立ち、華奢な体つきの黒髪の青年が姿を現した。


 黒い瞳を数度まばたきし、彼は辺りを見渡し、不機嫌な表情を作った。




「はあ?!ウソだろ」


「ま、護!」




 ふらりと歩み寄り、涙を浮かべる白亜様が彼に触れて抱きつこうとした。




 驚いた顔をした護は、直ぐに彼女の手を振り払った。




「馴れ馴れしい!キモいんだよ、オバサン!」




 愕然とする白亜様を突飛ばし、護は苛立って髪を掻いて、ぶつぶつと文句を言っている。




「くっそ!なんだよ、これ!?またこんな所に来たわけ!ふざけんなよ!」




 黙って見ていたレイは、彼らを横目にして私を抱えた。皆、もう私達には興味を失ったらしい。彼等の視線は、護にだけ向いていた。




 階段をさっさっと上り、神殿から出た所で、レイはくつくつと嗤いながら、私に教えてくれた。




「俺は異世界の者を確かに喚べるが、その者の時間指定まではできない。なんせ生きてる時間も次元もこことは異なるから」




「そういうこと……」


「バカな奴らだ」




 レイは、これは報いだなと可笑しそうだった。だけど、これで終わらないんじゃないだろうか。


 何だか不安でレイの首に頬を擦り寄せた。




 鳥型の中級魔族を呼び寄せ、そこに乗った彼はそんな私の気持ちを感じたのか、背中を安心させるかのように撫でてくれて、私はやがて彼に凭れて眠ってしまったようだ。




 喚び寄せた護という人は、白亜様と同じ年齢のはずなのに、まだ20代前半の若い姿をしていた。


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