第84話君よ……どうか3

「白亜」




 呼び掛けると、ゆらりと顔を向ける彼女はエドウィンをすり抜けて遠くを見ている。


 肩に触れようと伸ばした手は、伸ばした距離だけ離れようとする彼女により、いつまでも届かない。




「魔王の封印が解けた」




 白亜は、それを報告した後、心をどこか遠くへ飛ばしてしまった。


 あんなにハキハキとした物言いをし、男のように振る舞っていたのに、もうそんな作った自分も放棄したらしい。




 見かねたエドウィンは、彼女を夏の野へと連れて行った。


 気晴らしになれば……少しでも自分をみてくれたら…




 木陰で弁当を広げ美味しい物を食べても、夏の花の美しさを見ても、泉の水の冷たさを掬った手に感じても、白亜には何も響かない。




 それが悔しくて恨めしい。


 今でも彼女の心を占める護は、一種の呪いだ。




「……真白」




 そう呼べば、びくりと肩を揺らし初めて気付いたように、ようやくエドウィンに視線を合わせる。




「真白、君のそれは愛なんかじゃない。執着、或いは依存………酷い呪縛だ」




 彼女は否定しない。だが肯定もしない。


 自分ではどうしようもないのだ。




 エドウィンは、護が元の世界に帰るのを見ていない。自分が真白を引き留めるのを知っていたから、用心深い護の不意打ちにより重傷を負い、城の片隅に捨て置かれていたから。




 イチカの力により、異世界に開かれた転移魔法陣に護が立ち、真白に手を差し伸べた。彼女は、その手を握ったはずだった。


 光の中で護の姿が消えかけた時、なぜかお互いの手の力が緩んで……離れてしまった。




 なぜ離れたのか。なぜもっとしっかり握っていなかったのか。


 真白は後悔している。




 護と別れてからは疑問も湧いた。




 そもそもイチカの力では、一人しか帰れなかったのか。


 無意識に、私から手を離したのか。


 それとも、護の方が……




 帰還の為にと、耳以外人間と変わらない姿の魔族の女性を、楽しげに切り刻み血にまみれた護のおぞましい記憶と取り残された悲しみと後悔と、確かにあった愛し合った記憶とが、18年経った今でも真白を侵食し蝕んでいく。


 護には、良くも悪くも人を強烈に惹き付ける力があった。彼の笑顔は真白の為だけにあったが、それは愛ではなく逃げないようにする為だったと、エドウィンは思っている。




 木陰から遠くを見つめる真白の横顔を見つめる。




 一時は諦めようとした。


 彼女は聖女白亜として、いつか帰ることをひたすら望み画策し、自分は国王となり妃を迎え、家庭を持った。




 それでも彼女の姿を目で追ってしまう自分がいて、これが決して諦められない想いだと自覚した。




 だから、今こそ傍にいたいと思う。たとえどんなに時が経とうが、もう長いこと待っていて馴れているから平気だ。


 本当は力ずくでと思ったこともあるが、そうすればきっと真白の心は絶対に手に入らない。




「真白、いつになったら君は……この世界を受け入れるんだ」




 手の甲で、彼女の頬に触れようとした時だった。




 急に目を見開くと、真白は空を見上げた。


 その視線の先を追ったエドウィンは立ち上がり、それを見た。




『この映像は今この時、魔界人間界問わず全世界に流れている』




 豪奢な椅子に腰掛けた美しい青年が、傲慢な笑みを浮かべて口を開く。




『俺の名は、ネーデルファウスト。先代の父の死に伴い、新しく魔王になった。そして…』




 魔王は隣にいる若い娘を見つめる。彼女は魔王に頷いてから前を見据えて言葉を紡いだ。




『私は、レティシアです』




 エドウィンは直ぐには彼女が誰かわからなかった。




「深紅……」




 白亜が驚きと共に名を言うまでは。




「あの娘か?」




 映像の中にいる娘は化粧をし、美しく自分を装い、背筋を伸ばして挑むように微笑んでいた。


 その片手は、魔王の手と指を絡めるように繋ぎ、肘掛けに置かれている。




 魔王と娘は、もう一度顔を合わせ「せーの」と小さく声を揃えた。




『『私達、結婚しました!!』』




 満面の笑顔で娘は言ったが、魔王はそれ以上に幸せそうに、フニャフニャと綺麗な顔が溶ろけてしまっている。




「は、は!魔王即位の宣言かと思いきや、結婚会見か?」




 羨望と嫉妬渦巻く胸中で、エドウィンは負け惜しみのように言った言葉に更に悲しくなった。




『俺の妃、レティシアだ』




 余程嬉しいらしく、そう紹介するや魔王はデレデレと妃を見つめてご機嫌だ。




 今頃、自分を含めた全世界の非リアが殺気立っているはずだ。


 エドウィンが、頭を掻き毟りたい衝動に駆られている横で、白亜が突然笑い始めた。




「ふ、ふふ、弱点を見つけたわ」


「真白?」




 狂気を孕んだ瞳でエドウィンを映し、白亜は笑んだまま言った。




「もう一度だけ、私にチャンスを与えて」


「な、なに?」


「そうしたら諦める。お前のものになってもいい……だから協力して」




 すうっと立ち上がり、白亜はエドウィンの腕を掴んだ。




「私の為なら何でもするんでしょう?」






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