第85話君よ……どうか4
『言っておくが、俺は別に人間界を侵略する気はない』
ギル兄に「デレデレしない!」と小声で注意が飛び、きりっとした顔に戻ったレイ。
『俺は父のように真面目じゃないからな、人間界まで支配して治めて、自らの仕事を増やすなど御免だ』
「レティとベタベタする時間なくなったらイヤだし」
と後に小声で付け足したのは、世界中に聞こえて……ないよね?
『よって、魔王封印などくだらないことしてないで、互いに干渉しないで自分のテリトリーだけに集中することを人間共に勧める』
レイは淡々と人間界に興味の無いこと、互いに不可侵でいること、そして魔王が封印されない利益(魔王は中級魔族も支配下に置くので、むやみに人間を襲う魔族が減るということ)を説いた。
その間、時折握った手に力が入るのを私は感じていた。
イチカちゃんを殺された彼が、今どれほどに憎しみを堪えて話しているか、私には想像もできない。
ちゃんとこの人は、自らの感情よりも魔王として世界の平和を優先しようとしている。私はレイの手に力が入る度に、同じように力を込めて握り返すしかなかった。
一通り話終え、レイは私に目を向けて「何かあるか?」と問うた。
「わ、私?」
「やめときなさい!何話すか分かりません!危険です!」
ギル兄が私を珍獣のように警戒して阻もうとするのを、レイは目で制する。
「折角の機会だ。言いたいことがあれば言ったらいい」
レイ………いいのかな?
いいんですな?喋りますよ、知りませんよ
「私は、見ての通り人間です」
纏まらない言葉を、頭の中で必死に模索する。
「レ…ネーデルファウストも母は人間でした……魔族は酷いことをしたり恐ろしいものだという認識は、一方的な人間側の誤りです」
俯きそうになる顔を、スリィちゃんに呼ばれて慌てて上げる。
「魔族は……ちゃんと心を持っていて、誰かを大事にしたり好きになることのできるヒト達です。このヒトだって、人間である私を好きでいてくれます……だから」
隣のレイが逆に俯き加減になった。握った手に汗をかいているようだ。
「私は、人間も魔族もいつか仲良くできると思っています。私がこのヒトと結婚するのは、ただ相手のことが好きになったからだけど、魔王と私が結婚することで人間界と魔界の繋がりが深まるなら嬉しいです」
話している間に興奮して、ちょっと早口になったかも。
ゆったりと構えて、とスリィちゃんは言ったけど私にはいっぱいいっぱい。
鏡の横で、意外にもギル兄が腕を組んで頷いてくれている。
「最後に、人間の中には私が操られたり脅迫されたりして話していると思っている人もいるでしょうが、それは違います」
言葉を切り、隣を見ると既にレイは顔を赤らめて口許を片手で隠している。
「レイ、ちょっと」
「な、なに」
袖を引っ張り、手招きして、レイが私に合わせて顔を近づけたところを、両腕でガシッと頭を捕まえて頬にちゅううっとキスをする。
「あっ」
小さく悲鳴のような声を出したレイの頭を抱えたまま、私はゆっくりと、世界と魔王に向けて告げた。
「私は自分の意志で、ここにいます。このヒトのこと……大好きだから。甘えたがりで、たまにおかしい(変態)ヒトで、でも本当は優しくてカッコいい魔王が好きだから。だから皆さん、どうか温かく見守ってくれたら嬉しいです。お願いします」
頭を抱えられたまま、レイがギル兄に頷くと、映像が切れたようだ。
「終わった」
ほうっと力を抜いてレイから手を離した。どっと疲れて椅子に座っていたら、ギル兄が「意外に頑張りましたね」と褒めてくれた。
スリィちゃんが、両手を胸の前で組んで「良かったですわ」と労ってくれて安心しつつ、ふとレイの方を見た。
「レイ?」
ぼやーんとしているレイを見ていたら、次第に目を潤ませ始め、いきなり私に飛び掛かってきた。
「レティシア!」
「わわ」
椅子に押し付けられるように、ぎゅうぎゅうと抱き締められ身動きが取れない。
「レイ君?!」
「すき、レティ、すきすき」
ぐりぐりと私の肩に頬を押し付けて、頬にキスをしてくる。
「く、くるしい」
「はああ、かわ、かわいっ、レティ、今すぐ、夫婦の契りを!あ、いだだだ」
狂ったワンコの腕を、ギル兄が後ろから捻り上げた。
「まだ昼です。さあお仕事ですよ」
「いやだあああ!!俺からレティをとるなああ!!もう限界なんだああ!!レティ、せめて一度だけええ!!」
引き摺られながら、この世の終わりのように叫び、レイは私に手を差し伸べたまま苦悶の表情を浮かべて連れ去られて行った。
……まあ本気のレイを止めることなどできないはずなので、まだ本気じゃないってことだね。
私は手を振り見送ることにした。
しばらく悲しい声が響いていたけど、やがて静かになって、お城は落ち着きを取り戻したみたい。
「お疲れ様でした。頑張りましたわ」
自室でドレスを着替えていたら、スリィちゃん(いやかなり年上だったから、スリィさんかな)がコーヒーを運んで来てくれた。
私が簡素な白いワンピースに着替えてしまったのを、残念そうに彼女は見ていたが「うふふ、本番はこれからですわ」と微笑んで、なぜかゾクリと背筋が寒くなった。
ん、何か忘れてる気が?
気のせいか。
「スリィさん」
「さん?呼び捨てで構いません」
「やっぱりスリィちゃんで……さっきの私の演説?ど、どうだったかな?」
ちゃん付けで呼ぶと、彼女は大層嬉しげで目を細めた。
「レティシア様の気持ち、きっと世界の皆に伝わりましたよ。それにそれ以上に……」
「な、何でしょう」
スリィちゃんは、畏れにも似た眼差しを私に注ぐ。
「魔王様の心は、完全に貴女に堕ちてしまいましたわ」
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